真珠湾奇襲攻撃から70年を経た2011年12月10日(土)
NHKで「真珠湾からの帰還~軍神と捕虜第一 号~」が放映された。
当時の特攻は特別攻撃の意味で、生きて帰ることが当たり前だったが、
真珠湾に入って行った、特殊潜航艇「甲標的」は帰らなかった 一人を除いて…
甲標的5隻×搭乗員2名のうち戦死した9名は九軍神として崇められ、
捕虜となった士官一人は黙殺された。 この頃から、命を軽んじる風潮が始まった
その特殊潜航艇の訓練をした、伊方町三机湾に行ってみた。
土砂の堆積で陸地になった、須賀の森公園に慰霊碑が建てられていた。
ズームして見ると、こんな感じ!
「大東亜戦争九軍神慰霊碑」
特殊潜航艇隊長の岩佐大尉(戦死後二階級特進で中佐に)は26歳だった
慰霊碑の横に三机湾から引き揚げられた、夜間戦闘機「極光」のプロペラがあった。
極光は陸上爆撃機銀河を改造した日本海軍の双発夜間戦闘機
B29迎撃用としては速度、上昇力、高空性能とも不足しており戦果はなかったみたい
たぶん?先月見に行った破片の大日本帝国海軍爆撃機銀河と同型のプロペラじゃろ!
訓練中の海軍士官が泊まっていた「いわみや旅館」にも寄った
出航を見送った岩宮緑さんみたいに屋根に上ると、本当に海が見えるぜ!
お昼は、ちょっと足を延ばしてまりーな亭で
浪人の身でござるが、満開丼1,500円をいただきました 贅沢?
極光ってオーロラのことって知ってた?
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