時は元禄15年12月14日 309年前の今日 吉良邸討ち入り事件が起きた
主君が殺害未遂に終わった、吉良上野介を家人や警護の者もろとも殺害した事件
現代であったらテロと言われるだろうが、私の大好きな忠臣蔵ですな
四十七士のうち、大石主税を含む10人が、松山藩・江戸藩邸で切腹した
その時、木村岡右衛門と大高源五の介錯人を務めた松山藩・宮原久太夫が自身の
菩提寺である興聖寺に遺髪を祀った縁で、催される松山義士祭に行ってきました。
武装集団が青信号で渡っていても、右のパトカーは何にも言いません
松山名物ひぎりやきの前を凱旋します
まつちかTOWNでは、槍がつっかえないか?注意して歩きます
地上に出て記念撮影です。17人しかいなかったので、にぎやかしで飛び入り~
誘われて記念撮影 ほんまに誘われたんやけん
泉岳寺にあらず、興聖寺に帰って「エイ・エイ・オー」
大高源五は俳人であったので、なにかと松山と縁を感じる
討ち入り前夜、師匠筋の其角が、はなむけに「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠んだ
これに対し、源五は「あした待たるるこの宝船」と返し、仇討ち決行をほのめかしたという
私は大石内蔵助が瑤泉院に罵倒され、黙って連判状を仏前に置いて帰るシーンが好き!
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