<あなたへの手紙…!>

加齢と比例し記憶は薄れ身体能力は欠ける日々
模索しながら、頑張って登る八十路坂その生活を備忘録を
ここに綴ります!

60数年の歳月で一番充実していた日々・・・!

2007年06月12日 | 日記
60数年の歳月で一番充実していた日々!
       そして一番笑った日・・・・・!
         そして一番哀しかった日・・・・・!
         
一度も、私は勤め経験のないまま、その時40歳代に突入していた・・・!
仕事一途な夫の傍で、子育てを卒業 ~?
office lady ・ワーキングマザーに憧れる。。。。。!

        

夫の同意を得て・・・
初めて履歴書を書き、出版会社のパートに応募した。
東京の本社から新営業所移転の為引越し、当地採用人員は多い!、
3人の係りに面接を受け後日、採用の返事・・・・・!

総務兼経理に回された。まったく始めての勤めで、事務経験無しだが
それで結構というから、出来ることをしっかり
やっていこうと、こころした。

〇〇出版〇〇営業所には、総務部以外に
入荷 出荷の際の現場事務所が作業現場に二つある。

配属された私の部屋には・・・!
本社からの天下りA常務に、実質的な責任者B所長 在籍は本社のC課長
それに人材派遣会社から不定期に、男性アルバイトの給料を、時々持ってくる
人一名、そして私である。

わたしの仕事はB所長、C課長のアシスタント 来客者へのお茶出し
現場パート女性<30名>の給料計算 アルバイト男性<50名>の
勤労時間計算であった。

算盤は出来なくても、電卓があり 仕事は難なくこなせた。

半年もたった頃には、銀行関係も任され 一番夫が気に掛けていた
人間関係も上々、楽しく表裏なく元気に働いた。  

A常務は小太りで、おまけに おつむは薄ら禿げである。
サイドに小引き出し付きの,大きい机 貫禄充分な椅子に、
埋まるように掛け、回りに衝立をほどこし、手鏡を覗き
御髪の手入れか、新聞を広げコックリコックリ眠っている時が多い。
ここに「社長太平記」東宝の映画のモデルがあった!
 (このA常務とは一線をきちんと引いて置かなければと当初から思ったものだ)

   【甘い手のあれこれなれど心髄の堅き守りが吾にあらざり】


 A常務は B所長と同じ歳の当時60歳・・・・・

B所長は必要以外あまり話さない。私が休みを取った日の仕事は
いつも綺麗に片付いている。お礼をいうと、小さく手をあげるだけだ。

それに変わってC課長(私同年代)「あなたが休むと大変だぁ」
「あなたが休むと大変だぁ」を繰り返す。
腹において置けないタイプで、小さいことでも、ドングリ目を向きだして口にする。
悪気はない。商業高校出身で算盤は天下一。後日、私のお願いに
昼休みを利用して、算盤の加減乗除を教えてくれた算盤の恩師である。

そして私の始めてのパート務めも一年経ち・・・・すっかり処理等
職場にも慣れた・・・・・!

昼食はA常務いつも外食 ・・・・・

この頃、昼休みに食事を取りながら、それぞれの悩み、家庭の出来事等の、日常茶飯事を話し・・・!
B所長が、以前庭に作った巣箱に、始めて小鳥が、入っていた!とか・・・・・!
     土曜の夜久しぶり娘夫婦が来たので家庭マージャンしたよ。とか!
昼休み三人で語らう日が多くなり、この頃は充実の毎日だった。 -つづく-

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