いやな気持にされるアイツも苦痛を感じさせる出来事も、味方なんだよなーって話。
"敵”認定したくなるようなヤツは、いま向き合っていて抵抗を感じるヤツなんだろうけど、よくよく考えたり感じたりしていくと「まぁ味方だな」ってなる。
それは後々実感するかもしれないし、対峙や抵抗から手を引いたとたんに気づくかもしれない。自分が勝手に作り上げていた幻想の印象に。
いずれにしても、委ね切れる生き方は 味方しかない心地よさの中、安心しながら物事に対峙していくので抵抗がなくて楽だと思っている。
以上、『味方』の語源は?なんで『味』なの?っていう疑問を調べたり、私の中で「南無阿弥陀仏」の解釈が変わったりした中でふと思い至ったことでしたー。
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