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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   22.石川

2012年07月25日 | 高校野球名勝負

もっとも印象に残った球児

22.石川



松井 秀喜  内野手  星稜   1990年 夏   1991年 夏  1992年 春夏 


甲子園での戦績

90年夏   2回戦    ●   3-7    日大鶴ヶ丘(西東京)      
91年夏   2回戦    〇  4-3    市立沼津(静岡)
        3回戦     〇  4-3    竜ヶ崎一(茨城)  
        準々決勝   〇  3-2    松商学園(長野)
        準決勝     ●   1-7    大阪桐蔭(大阪)
92年春   1回戦     〇   9-3    宮古(岩手)
        2回戦    〇   4-0    堀越(西東京)
        準々決勝  ●   1-5    天理(奈良)
    夏   1回戦    〇  11-0    長岡向陵(新潟)
        2回戦     ●   2-3    明徳義塾(高知)



石川県の高校球児といって真っ先に思い浮かぶのは、
やはり歴代の星稜の選手たち。

古くは4強入りを果たした76年~の剛腕・小松投手。
延長18回を投げ抜いた79年の堅田投手。
準優勝に輝いた、95年山本投手。

いずれ劣らぬ素晴らしい選手でしたが、
甲子園にインパクトを残したと言えばこの人しかないでしょう。
そう、ゴジラ松井です。

正直、1年生、2年生時の松井には、
それほどのインパクトがあったわけではありません。

2年夏は4強に進出したものの、
際立った成績はなし。

彼を有名にしたのは、
やはり3年生の春夏の甲子園でした。

春のセンバツでは、
新装なった甲子園に登場。

この甲子園、
長らく設置されていたラッキーゾーンが撤去され、
今の形となりました。

このことで、
この年のセンバツ大会のホームランは激減。
『本当に力のある打者しかホームランは打てない』
と言われましたが、
すでにゴジラ松井と命名された松井秀喜は、
軽々と2試合で3ホーマーをかっ飛ばし、
世間の度肝を抜きました。

特に2回戦で堀越の好投手・山本から放った1発は、
低めの鋭いスライダーを振り抜いてのものだったので、
驚いたものでした。

惜しくも準々決勝で天理の粘りに逆転負けして甲子園を去りましたが、
春から夏にかけては、
時ならぬ『ゴジラフィーバー』に沸いた高校野球界となりました。


ところで松井が出現するまで、
星稜は『北陸の盟主』として毎年のように甲子園にコマを進めていましたが、
なかなか勝てない苦難の年月を過ごしていました。

星稜と言えば76年に小松を擁して4強に進出。
センセーションを巻き起こし、
79年夏には箕島とあの延長18回を戦うという激闘を演じ、
甲子園に多数の『星稜ファン』を生み出していました。

しかしその後なかなか勝てず、
小松の4強進出以降、松井が2年時の夏までの甲子園での戦績は4勝13敗。
名将と言われた山下監督の苦悩は深いものがあったと思います。

しかしこの松井の出現、
そしてその年のエースであった左腕の山口も擁し、
『間違いなく星稜史上最強』
と言われたチームが出来上がりました。

選抜ではやはり雪国代表として他地区よりも調整にハンディがあったものの、
夏の選手権は明らかに【全国制覇】を狙っている雰囲気がプンプンしていました。

実際うまい勝ち上がり方をすれば、
最上位まで駆け上がることも夢ではなかったかもしれません。


しかしこの松井を軸とした大型チームは、
明徳義塾の【5打席連続敬遠】という前代未聞の作戦に、
志半ばで夢を摘み取られてしまいました。

しかし、
敬遠され続ける中、
松井秀喜のとった潔いプレーマナーは、
人々の心を打ったと言えるでしょう。

『さすがは星稜の選手だ』

と言うつぶやき、
色々な場所で見聞きしました。

この【大物感】が、
後の松井秀喜を巨人の、そしてヤンキースの4番打者に育て上げるのだと思います。

【高校野球が決してゴールではない】

星稜・山下監督の教えでしょう。

松井の立派な姿、
今でも目に浮かんできます。


逆に、
明徳義塾は、
この試合で何か大きなものを失いましたね。

明徳の馬渕監督や関係者、
選手達は揃って、
『ルールに規定されていることをやったまで。勝利を全力で目指したので、悔いはないし、間違ったことをしたとは思っていない』
と言いました。

ワタシも、
ある一面ではそう思います。

しかし、
それを背負って生きなければならない選手たち、
そしてあの試合から20年近くが経っているのに、
そのことを知るファンからはいまだに”あのこと”が話題にされてしまうということを見るにつけ、
ワタシはどうしてもあの作戦は、
『若い監督の若気の至り』
と思えてしまうのです。

私自身にしたって、
明徳の野球は素晴らしく洗練された野球だと思いますし、
高知県のチームは押しなべて好きなのですが、
どうしても明徳のあのストライプのユニフォームを見ると、
なんだか、いまだに嫌~な空気感が漂ってくるのを感じてしまいますもんね。

『国家100年の計』
ではないですが、
『チーム(学校)20年の計』
を思う時、
やはりルールににある云々じゃなく、
ああいうことはやってはならないんじゃないかと思ってしまいますね。
(いろいろな意見があるとは思いますが)


まあ、
そんなことはさておき、
松井秀喜と言う野球人にとっては、
【5打席連続敬遠】というのもまた、
いい意味で彼の野球人生に大きなインパクトを与えた出来事だったんだと思っています。

【伝説の試合】
と呼べるかもしれないですね。



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