『甲子園に出場するか、地方大会決勝で敗れ去るか』
この間には、
表現できないほどの、
大きな大きな差があります。
選手にとって【甲子園出場】は、
本当に子供のころから見続けた『夢』です。
だから甲子園は、
【夢舞台】とか【聖地】とか、
そういった表現をされるのだと思います。
『一生自慢できる、自分の人生の宝物』
になるこの甲子園出場に向けて、
本当に10万人を優に超す高校野球部員が、
日々切磋琢磨しているのです。
スポーツにはいろいろな競技があり、
様々な形で『全国大会』が開かれてはいると思うのですが、
【甲子園出場】ほど難しい競技って、
ないんじゃないかと思います。
ワタシも他のスポーツ経験者の端くれとして言わせてもらえれば、
こんなに過酷で難しい『全国大会予選』なんて、
やっぱり野球以外ではちょっと見当たらない気がします。
地方大会のベスト16とかベスト8で、
こんなに『しびれる』試合になる競技って、
やっぱり他には類を見ないのではないでしょうか。
そんな、
凄まじい『予選』になるだけに、
そこをどうしても突破できないという学校が出ても、
何ら不思議ではありません。
ワタシが高校野球の地方予選を見てきた中で、
強豪チームを作り、
挑んでも挑んでも【甲子園への扉】を開けることのできなかったチームって、
やっぱりあるんです。
東京においては、
まずずっと言われてきたのが、
『都立高の甲子園出場』ということ。
これは戦後ずっと言われてきて、
挑んでもなかなか達成されなかったのですが、
1980年に西東京の都立国立高校がその重い扉をこじ開けて、
聖地に旅立っていきました。
そしてその後、
城東高校、雪谷高校が夏の甲子園へ。
(春には今年、21世紀枠で小山台高校が出場しました。)
【甲子園の夏】
という特別な舞台は、
なかなか扉を開けてくれないというケースは、
その他でも多く見受けられますね。
東京では長く言われていたのは、
国士舘高校。
センバツでは4強進出が2度などもう【甲子園の常連】なのに、
夏の扉だけはどうしても開かず。
名将・永田監督が挑んでも挑んでも、
長い間、
甲子園の女神が微笑んでくれることはありませんでした。
しかしその国士舘は、
2005年にようやく、
その夏の扉を開けることが出来ました。
神奈川では、
昭和40年代から50年代にかけて甲子園を席巻した東海大相模が、
その”深み”にはまり込んでしまいました。
1977年に7回目の甲子園を掴んだ後、
神奈川県大会で毎年上位に名を連ねながら、
【夏の扉】は本当に開くことなく、
30年以上が過ぎ去ってしまいました。
その間なんと、
センバツでは2度の決勝進出(1度は全国制覇)を成し遂げ、
誰が聞いても【全国屈指の強豪校】の名をほしいままにしながら、
夏の甲子園への『欠席』は33年に及びました。
しかしこの東海大相模も、
2010年になんと33年ぶりに聖地に帰還を果たしました。
30年の想いのつまった『悲願』達成の瞬間でした。
しかもその年、全国準優勝まで駆け上がったのでした。
(なおかつ翌年の春の選抜で2度目の全国制覇を成し遂げます。)
栃木では、
初の甲子園春夏連覇、そしてあの江川を擁して甲子園の話題を一身に集めたあの作新学院も、
苦しみに苦しみ抜きました。
ずっと長い間栃木県大会の優勝候補に挙げられていながら、
1978年を最後に聖地を踏むことは許されず。
しかし若い20代の小針監督がチームを率いるようになって、
チームのカラーを一新した頃からチームは変わり始め、
2009年に31年ぶりの夏の甲子園出場を掴むと、
その後の活躍は言うに及ばず。
今年も難敵を倒して、
4年連続で甲子園を掴み取りました。
悲願の・・・・・・
その言葉で語られているうちは、
どうしてもその言葉に対する意識過剰が出てしまうのでしょうか。
『甲子園を掴みかけた』
ところで自分の野球が出来ず、
その手からスルリと甲子園切符が落ちてしまうということ、
あるのではないでしょうかね。
その重圧に負けず重い扉を一度こじ開けると、
その後は元々力を持ったチームだけに、
翌年以降も甲子園への道は、
開けるということなんでしょうかね。
そんな【悲願】達成に奮闘したチームが、
関東では、
今年も3チームありました。
ワタシが勝手に【関東3大悲願】と呼んでいる強豪校です。
その3校とは、
千葉の専大松戸
茨城の霞ヶ浦
そして東東京の二松学舎大付属
です。
まずは千葉の専大松戸。
強豪校として名をはせるようになってからは比較的新しいチームなのですが、
”茨城の名将”持丸監督が就任してから、
どんどん力を上げてきました。
『もう甲子園に出場しても、何らおかしくない』と言われながら、
どうしても甲子園への扉を開けることが出来ず。
この専大松戸については、
春の選抜の出場もなし。
要するに、甲子園の土を踏んだことがまだない『まだ見ぬ強豪』なのです。
おまけに松戸市と言えば、
人口が多く、これだけ学校がたくさんありながら、
いまだに甲子園出場校を出せていない市として、
東京の八王子市などと並んで逆の意味で注目されている地域です。
今年は戦力の充実度から行っても『間違いない』と言われて第1シードで臨んだ夏でしたが、
決勝で同じく悲願達成に燃える東海大望洋に完敗。
戦いぶりは、
やっぱり肩に力が入っていると言おうか意識過剰と言おうか、
『全然準決勝までの専松の戦いぶりじゃない』
戦いになってしまいましたね。
一方的に押し込められての
2-13という『ありえない』完敗でした。
『悲願』が『呪縛』になっているように、
ワタシには感じられました。
そして、そして、悲願というよりも、悲劇のチームとして語られているのが、。
茨城の霞ヶ浦高校。
高校野球界で【名将】とも言われる高橋監督。
高校バレーでの全国大会出場経験もある異色の監督で、
霞ヶ浦の野球部監督に就任してからどんどんチームは力をつけ、
県大会上位の常連となりました。
何しろその戦績はすごい。
昨年は秋、春、夏の3大会を、
準優勝、優勝、準優勝。
今年も秋、春は、
優勝、準優勝。
なんと県大会では、
6季連続の決勝進出という快挙を成し遂げています。
エースの上野投手。
小柄な左腕からキレのいい球を投げ制球力も十分。
1年秋の関東大会では東海大相模に対して完投勝ち。
3年春の関東大会では、横浜をコールドで破る立役者になりました。
しかしその上野投手をもってしても、
甲子園がかかった試合になるといつも自分の力を出せずに、
悔しい敗退を重ねてきました。
1年秋の関東大会では、
難敵・東海大相模に完勝しながら『あと1勝で選抜』のゲームで伏兵に1点差負け。
2年夏の茨城大会決勝では、
常総学院に対して終盤まで優位に試合を運んでいたものの、
終盤追いつかれてサヨナラ2ランでの悔しいサヨナラ負け。
2年秋の関東大会では、
これまた『勝てば甲子園』という試合で悔しいサヨナラ負け。
3度も『あと1勝』までこぎつけながら、
『悲願の甲子園』にはついにに届かず、
最後の夏を迎えました。
元よりこの霞ヶ浦。
上野投手入学前も、
『9回2死からの悔しいサヨナラ負け』を夏の決勝で2度も体験していたり、
とにかく『甲子園に王手』をかけたのが8試合もありながら、
ことごとくその試合を落として甲子園にたどり着けないのです。
そこからついた異名が【悲運のチーム】というものなのです。
しかし、
それがまた、
大事な試合でチームの動きを固くしてしまうということにつながり、
『何とかしてやりたい・・・・・』
というファンの願いもむなしく、
いつもその悲願を達成することは出来ずにここまで来てしまいました。
(ちなみに、センバツは一度甲子園に出場した時はあります。その時は、見事前年秋の関東大会に優勝しての出場でした。)
今年の夏。
秋、春ともに決勝で対決して1勝1敗、
前年の3試合を合わせると5試合も決勝で対戦して2勝3敗だった常総学院が準決勝で敗れ、
『今年こそは霞ヶ浦に風が吹いている』
と思わせる決勝でしたが。。。。。。。。。
やはり『悲願』という名の『呪縛』は解けず。
ここまで2年半の間、
ほとんどの試合を2失点ぐらいで抑えてきていた【大エース】の上野が、
初回に藤代の猛攻を浴びて5失点。
信じられないような立ち上がりに、
霞ヶ浦のスタンドからは『やはり。。。。。』
という様な溜息と悲鳴が漏れていました。
結局は藤代の猛攻を受け続け、
ありえないような3-12という完敗。
今年も『悲願の甲子園出場』は成りませんでした。
それにしても。。。。。。
チーム力に差なんて、
ちょっとしかありません。
むしろ上回っていると考えられる時の方が圧倒的に多く、
『なぜなんだ。。。。』
ということが定番になってしまっているこれらの学校。
彼らが夏の扉を開けるときまた、
その地区の球史も変わっていくんだけどなあ・・・・・
と思って昨日の二松学舎大付属の決勝戦を見ていました。
二松学舎大付属は既に、
『高校野球七不思議』にも数えられるほど、
夏の甲子園予選で【悲劇】の歴史を重ねてきたチームです。
今まで10度も東東京の決勝に進出して、
そのたびに跳ね返されてきたという、
長い歴史を持ちます。
そのほとんどの試合をワタシは観戦してきましたが、
とにかく毎年のように『決勝は二松学舎がやや有利』と語られたように、
戦力的には上回っていたケースがほとんど。
それでも、
とにかく決勝では『自分の野球が出来なかった』と敗れ去ったケースばかりで、
無念にもほどがある・・・・・・・
といつも思っているチームです。
全国的には、
1981年の選抜準優勝など全国的にも強豪として知られる高校だけに、
なんとしても『夏の扉』を開けてほしい・・・・・・
いつも思っていました。
そして今年の夏も、
順当に決勝に進出しました。
決勝までの戦いぶりは、
これまでの決勝進出時と同じように『盤石の歩み』に見えました。
しかしながら決勝の相手はあの帝京高校。
長らく東東京の盟主に君臨する、
圧倒的なパワーを持ったチームです。
今年のチームは、
帝京にしては珍しく夏の予選中にグングンと力を伸ばしてきた、
まとまりが抜群のチーム。
たぶん甲子園に出場しても、
かなりの活躍が期待されたチームでした。
闘将・前田監督もかなり期待していたチームのようで、
ワタシは正直『今年の決勝は、帝京がわずかに上回るか』
と試合前は思っていましたが。。。
試合とは本当に、
やってみなければわからないもの。
この日の二松学舎ナインは、
劣勢に陥ってもなんだか『余裕』のようなものが感じられ、
『いつもとは違うな』
という感じを持っていました。
それもそのはず。
リリーフエース・キャッチャー・セカンドという”チームの要所”に配したのはいずれも1年生のプレーヤー。
一年生の各プレーヤーに力があったのは言うまでもありませんが、
百戦錬磨の市原監督は、
『壁を破るために何かを変える』
と決意し、
『怖いもの知らず』の1年生のパワーに賭けて夏に臨んだのではないでしょうか。
その期待に応えて、
キャッチャーの小野クンは守備でファインプレーを連発すると、
打撃でも劣勢の0-3から歓喜の同点3ランをたたき込みました。
セカンドの三口クン、
準決勝では先制の満塁一掃を叩く活躍でしたが、
この日もがっちりと内野を締めてチームの勝利に貢献。
そして厳しい場面でリリーフに立った大江クンは、
帝京の強力打線に立ち向かって、
見事に勝利をもぎ取る立役者になりました。
元より新チーム結成時から、
『東京NO1』
と言われた打線ですから、
春から加わった新戦力をプラスして大きな力となり、
ついに長い年月を経て、
【甲子園の夏】を掴み取りました。
おめでとう!二松学舎大付属の皆さん。
そして長らく待ったOBの皆さん。
夢の甲子園で、
長年の呪縛から解き放たれたパワーを見せて、
快進撃を!!
期待しています!
そして今年のその悲願達成がならなかった専大松戸、霞ケ浦の皆さん。
やられてもやられても、
ひるまず挑み続ける両校に、
幸あらんことを。
昨日の二松学舎のような歓喜の瞬間を見届けるまで、
ずっと応援し続けますよ。
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