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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

昭和の巨星墜つ!  大相撲・北の湖が死去

2015年11月21日 | 相撲

【昭和の大横綱】
北の湖敏満氏、日本相撲協会理事長が、
昨日6時55分に永眠しました。
62歳という若さでした。

突然の訃報。

この日の午後、
入院したということは公表されていましたが、
あまりに突然のことで、
びっくりして混乱しています。


昭和の大横綱

この称号がこれほど似合う力士も、
いないと思います。

弱冠21歳2か月で第55代横綱となり、
その後62場所にわたって綱を張り続けた、
『憎らしいほど強い』大横綱。

その孤高のたたずまいは、
常に【男は黙って勝負する】大横綱のそれでした。

『横綱は、負けてニュースになるぐらいがちょうどいい』
という哲学の持ち主で、
大鵬の後の大相撲界を常に引っ張り続けました。

中学卒で角界入りしたたたき上げの横綱として、
当時珍しかった大卒の”エリート横綱”輪島との、
毎場所千秋楽結びの一番での死闘の数々は、
まさに『大相撲の華』と言われました。

北の湖が綱を張り続けた昭和50年代、
大相撲は二人の大横綱を中心として、
ライバルの若乃花(2代目)や大関の貴乃花、
旭国や魁傑、増位山、高見山、麒麟児・・・。

いまでもすらすらとたくさんの名前が上がるほど、
素晴らしい個性派力士が揃っていた、
百花繚乱の時代でした。

大相撲が隆盛を誇った時代だったと思います。


北の湖は、
若乃花(ワタシは若三杉と言った方がしっくりときます)、麒麟児などと並んで、
キラ星の如く輝く昭和28年生まれの筆頭格、
『花のニッパチ組』
と言われたものです。

ワタシが大相撲に興味を持ったころにはすでに大関に昇進した後で、
その後はすぐに横綱に昇進。
大相撲の≪大黒柱≫として、
ず~ッと横綱として相撲を支えた存在でした。

その強さは破格。

まさに『負ければそれが大ニュースになる』
という存在感抜群の大横綱。

思い出されるのは、
北の湖の実に堂々とした雲竜型の土俵入りの姿。

そして、
輪島とのがっぷり四つに組んで力の限りを尽くす死闘の数々です。

記録を見てみると、
関脇だった73年の九州場所から、
81年の九州場所まで8年間にわたり、
9勝6敗の成績だったひと場所を除き、
常に二桁の成績を上げ続けていました。

ものすごすぎる成績です。

あの強い力士、くせ者の力士がたくさんいた、
今の土俵とは全く違った厳しい時代の中で、
それだけの成績を残したということは、
いかに彼が強かったかということを物語っているでしょう。

85年初場所に引退した後は、
一代年寄として北の湖部屋を興し、
ずっと親方として後進の指導に当たってきました。

そして相撲協会の理事長としては、
02年に第9代の理事長として、
一度退任の後、
再度12年からは第12代理事長として、
大相撲の発展に努めました。


『勝負の鬼』としての逸話には、
事欠かない力士です。

土俵上では決して対戦相手に手を貸さなかったということは、
現役時代からよく言われていたことですが、
それもまた彼一流の哲学によるもの。

土俵上ではまさに一切の妥協を許さない姿は、
今の土俵には一番必要なものなのではないかと思います。

そして、
常に『横綱としての責任』を自覚し、
対戦相手を常にガッチリと受け止めるという『横綱らしさ』にこだわり続けました。

それだけに朝青龍の横綱らしからぬ振る舞いや、
昨今の横綱による姑息な技などには、
大変に厳しい目を向けていました。


昨年大鵬が亡くなり、
今年また北の湖が亡くなりました。

相次いで【昭和の大横綱】が鬼籍に入る報を耳にするにつけ、
『昭和も遠くなりにけり』
と実感しますね。


ワタシがずっと不満に思っていたこと。
『何で千代の富士が国民栄誉賞を受賞して、北の湖が受賞しないんだ』


功績から言っても人格から言っても、
全てで北の湖の方が、
ずっと上だと思っていましたから。
(まあ、時の首相による《人気取り》の側面の強い賞だからね。長嶋さんがずっと取れなくて後輩の野球選手が獲っていたのも、納得できないことでしたが。。。。そう考えると、『大した賞じゃないんだな』なんて思ってしまいますね。)


話が全くまとまらなくなってしまいました。

それだけ混乱していると、勘弁してください。


北の湖には、
一言『ありがとう』という言葉しかありません。

これからは空の上から、
大相撲を見守っていてください。

合掌。



ああ、それから、
一言だけ言っておきたいことがあります。

北の湖親方がまさに生死の境をさまよっているその時に行われた、
昨日の大相撲。

『攻防なき横綱対決』で日馬富士が白鵬を破ったことには、
特にコメントはありません。

しかし。。。。


その前後の、

豪栄道vs稀勢の里
照ノ富士vs鶴竜

この2番については、
ため息というよりも、
半端ないがっかり感と共に怒りが込み上げています。

昨日まで6勝6敗と苦しい星勘定の大関、豪栄道と照ノ富士。
その苦しさはわかりますが、
ここで以前から言われ続けている『大関互助会』が現れました。

豪栄道と対戦した稀勢の里の、
まったく気迫を感じない相撲っぷり。

あんた、
そんな気持ちじゃあ、
横綱狙うどころか、
来場所以降はあんたも『互助会』の”助けてもらう方”の仲間入りだよ。

と思ったら、
今度は鶴竜が『モンゴル互助会』でまさに無気力相撲の末あっさりと照ノ富士に敗れました。

モンゴルの力士は、
これまでは『日本人大関が7勝7敗でこの相撲に勝ち越しがかかってる?そんなの知ったこっちゃねえよ』
とばかりガチンコの相撲を取って、
その姿を見ているワタシも、
『やっぱり相撲はこうでなくちゃいけねえな』
と思わせてくれていました。

しかし昨日の無気力さは、
『モンゴルの力士同士じゃあ、星の融通はやっぱりあるんだな』
と”実感”させてくれました。

そういう姿が、興ざめなんだよ!
横綱の意地や矜持、
どうなってんだよ!!!


気力あふれる攻防があって、
結果として『勝った』『負けた』があるのであれば、
な~ンにも文句はないのですが、
こういった相撲を見せられると、
『大相撲の世界、八百長が疑われた時からの反省、まったくないんだな』
と思ったりしちゃいます。

上手くやろうったって、
素人にもわかっちゃいますよ、昨日のような相撲っぷりでは。



そんな怒りを抱えていたら、
北の湖理事長の訃報。

理事長も草葉の陰で、
大いに嘆いていることでしょうよ。

怒りと悲しみ、
ないまぜになっています。


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