今日も疲れました。
火曜日に父から突然言われた、薬がないから今日医者に行きたい。以前行っていた医者にもう一度行きたい。の件。
自分からもう嫌だと強く言って、替えた医者。気まぐれですぐに戻して…
医師の怒りを買って、失敗したことは前の記事で書きました。
今日は、その変えた方の新しいクリニックにまた行かないと、薬が足りないと。
泌尿器科が専門のそのクリニックは、土曜日は午前診療だと言うので、朝早く起きて車を出して連れて行きました。
ところが行ってみると夏休みの休診。
診察券を出して見せてもらうと、ちゃんと「夏期休診のお知らせ」を書いた紙がクリップどめしてありました。
これからは、薬の残量の管理と同時に、医者のスケジュールの管理も、私が全部やらないといけないなと。
「どこかの薬局に行って、お薬手帳を見せれば、同じのを出してくれる」と言うので…
「処方箋がなければ、どの薬局も出してくれないよ」と説明。
とにかく薬がないので、代わりに同じ薬を出してもらおうと、近場の泌尿器科をスマホで検索。
父の家の近くにも、その日のその時間、やっている泌尿器科と調剤薬局がちょうどあったので…
そこへ行こうと言うと「スマホなんてあてにならない。俺が知っている医者に行く」と主張します。
そこは整形外科なんですけれど…
いくら言っても頑固にそこに行くのだと言って聞かないので、仕方なく言う通りにしました。
付近に駐車場がなかったので、広くないので停めると迷惑な道路に、無理やり路駐して…
「本当はこの薬のことは分からないので、処方したくないのだけれど、お困りのようだから」
と言って、幸い処方箋をくれましたが…
そのクリニックの近くの薬局に、その薬が置いていない。泌尿器の特殊なお薬なので…と。
当然、予想されたことです。
それで、先ほど調べた泌尿器科の近くの薬局に行こうと言ったのですが…
またしても「俺が知ってる薬局があるからそこへ行く」と言って聞かない父。
それから3軒「知ってる薬局」を一つ一つ回ったのですが。
いちいち車を動かして、停める場所に気を使ってとめて、あるかどうかきいて、待って、結局ない、の繰り返し。
結局、ネットで探して最初に見つけた泌尿器科と同じビルに入っている薬局へ行ったら、やはりありました。
最初からまっすぐその泌尿器科に行って、その薬局に行っていれば、1時間もかからないところを…
3時間半かかって、ようやく薬を手に入れました。
父のネットアレルギー(?)のおかげで、この猛暑の中ぐるぐる回るはめになって、クタクタです。
とにかく、スマホどころかPCも全くいじれない、パーフェクト・デジタル弱者の父。
(もともと銀行のATMも操作できないぐらいの機械オンチなのですが)
ネット経由での海外からのテレビ中継に、放送時間の長さに応じた料金がかからないことも、理解できないと。
回線料というものがかからないのが、どうしても理解できないようです。
なのでスマホやPCというより、インターネット自体を、もの凄くうさん臭いものだと思っているみたいで。
そういうわけのわからない物を、周りの人間が触っていること自体も、イライラするみたいです。
だから父の前ではたとえ5分の間でも、スマホをいじっていると、きつい口調でなじられます。
でも、いまやあらゆることに必需品だから、隠れてコソコソいじらないといけないのです。
今日みたいなことがあると、正直、ムカついて仕方がない。
「スマホなんかに頼るぐらいなら、何倍かの時間をかけても、知っている薬局のつてを辿りたい」
それが父の希望なんです。
でも、お年寄りの世話って、それに辛抱強く付き合ってあげないと駄目。
効率とか合理性とかは、もう捨ててかからないといけない仕事なんです。
全くの無駄だと分かっている行為に、半日付き合うことなんて、ザラもザラな話。
今日だって、医者に行って、薬局に行って、買い物する。たったそれだけの用事で…
朝8時きっかりに家を出て、帰ったら夕方18時半でした。
そんなこと、商業ベースに乗るような仕事じゃないこと、誰だってわかりますよね?
だから介護やその他の福祉って、利益を出すことが基本の、企業の論理だけでは立ち行かないんです。
そういう仕事、しかも誰かが絶対にやらなければならない、大切な仕事があるんです。
なのに、何でも民営化、何でも自由競争の元での利益ベースで考える、ネオリベ的な考えの人間が…
同世代から少し下の「仕事のできるやつ」には、めちゃめちゃ多い。
これでは駄目なんです。福祉と営利という二つのものは、とても相性が悪い。
だから福祉分野に関しては「はじめに公助ありき」を基本に置かないといけないのに。
ちょっと前に、菅首相が言った「自助・共助・公助」という順番を守らされる。
これは保守系政治が続く限り、誰が首相になろうが、誰が厚労相になろうが、同じです。
福祉に公費は、徹底的に出し惜しむ。
そうなると、いつまで経っても介護職の人というのは、構造的な低収入のうちに置かれます。
今は使命感で何とか成り立っている介護職も、被介護者の数がこのまま増え続ければ…
いずれ、必ずパンクします。
そして誰もやり手が無くなる。
その不都合な真実を、そのまま放置したいから「介護は家族で!」という道徳を刷り込もうとしているんです。
もう日本人の頭には、すっかり刷り込まれちゃっていて、今からではどうしようもないのだけれど。
保守的な家族観……その実は、新興宗教的(統一教会を代表とする)な家族の形、道徳。
これから確実に、人口の中での高齢者の割合が増えまくる中で、その道徳を通せば…
介護に手を取られ、非常に多くの日本人が、労働できなくなる。
そうすると、社会は破綻します。必ず、破綻する。
わかっていてもやめられない。
それが良いことか悪いことかはともかく、やっていれば、必ず社会の破綻へと導かれる道。
でも、多くの人がそれでいいんですよね。
自分の「気持ち」と「世間の目」さえ満足させられれば、社会なんて別に破綻しても構わないんですよね。
社会というものが存在するという、感覚がないから。
その感覚がなるべく失われるように、子どものころから、家庭で、地域で、学校で教え込まれて来たから。
みんな、親や先生や、世話になった大人たちのことを、悪く思いたくないから…
そうした人たちのせいで、間違った道に踏み込んでいることを認めたくない。
仕方ないです。
私みたいに毒親に育てられたとかいう、特殊な人間でないと「善意の虐待」には気付かないんでしょう。
日本社会は、いったん崩壊し、ガラガラポンでゼロから出直さないと、どうしようもない運命なのかも。
みんなが、本当の意味で「性根から入れ替える」ことが出来たら、まだ可能性はありますが…
無理でしょう。
誰もが、不都合なことには自分が関わらなくても、他の誰かが何とかしてくれる…
今に、全知全能で、心根は愛と正義に満ちたヒーローが現れて、みんなを引っ張って行ってくれるだろうと。
そのヒーローについて行けば何とかなると。
そんな夢みたいな、おとぎ話みたいなことを、どこかで期待している。
白馬に乗った王子様を待つ、お姫様みたいなもの。1億2千万人、総シンデレラ症候群ですね。
そんなわけないでしょ。
甘い夢を見たまま、現実から目をそらしたまま、変らない社会。
でも変らなければ、破滅する社会。
壊滅して行く日本の大衆社会とは一線を画した、一種の小さなユートピアを計画する人もいるでしょうが…
そういうのは、仮に成功しても、存在を「世間」に知られた途端、大衆からの反感と嫉妬を買って…
襲撃されて、火をつけられて、ぶち壊されちゃいますよ。
あるいは、権力にみんなで訴え出て「ぶち壊してもらう」という選択をされますよ。
ユダヤ人の大衆が、イエス・キリストを「殺せ!」と、ローマ総督ポンティオ・ピラトに訴えたように。
まして日本人は、権威・権力に自分を同化させて、それにすがることが大大大好きですから。
昭和の時代劇だって、権力者がヒーローなもの、多かったでしょ。
水戸黄門、暴れん坊将軍、遠山の金さん、大岡越前、などなど…
それに、寄らば大樹の陰、長いものに巻かれろ、が大好きですから、みんな。
でもね、日本はおろか世界の歴史を見たって、時代劇のヒーローみたいな権力者なんて見当たらないですよ。
長い人類の歴史の中で。どこにも。そんなあり得ない者の出現を期待して、どうするんでしょうか。
そういうことなら、不都合な真実を、こうやって書くのも、良くないのかもしれないですね。
末期がん患者に、余命宣告する医者よりは…
サルノコシカケとか、そういう変なものを煎じて飲ませて…
「きっと治りますよ!」と、明るい顔で嘘を言ってくれる…
まじない師の方が、愛があるのかも。
でも逃げられる人はね、逃げたほうが良いです。いまのうちに。
お釈迦様とその弟子たちは、シャカ王国が亡びる前に出家して、社会から逃れ出たために生き延びましたよ。
あーでも、こんなことを言うと、変なカルト宗教にだまされる人がいるかもしれないですね。
どうしましょう……