父を一昨日、東京の病院に連れて行って検査結果を聞いて…
その結果を受けて、今日は朝5時半起きで車を出して、横浜の別の病院に連れて行って検査をしました。
ショックだったのは、病院に着いてから父が…
「あれ?なんで今ここにいるんだ…」
とつぶやいていたこと。
脳の認知機能がそこまで衰えて、頭の中が茫々としてしまっているんですね。
理由を教えてあげたら今度は…
「んなことわかってる!」と。そして、それからあとはずっと…
アテンドしている私に、あからさまにキツく当たるような態度を示して、棘のある言葉を連発。
おそらく、そんなことさえ忘れてしまう自分自身に腹が立って、イラついて…
手近にいる息子に、思わず八つ当たりしてしまった、ということなんでしょう。
診察室でも医師の質問に対して、8年前にあった病歴を「去年の3月から…」と間違ったことを言うので…
横から訂正したら、それも気に入らなかったらしく、後で「余計なことを言う」と怒る怒る。
でも、正しい診断と処置のためには、正確な情報を伝えないといけないし。
まあ幼児が、意地が焼けたときに、親に向かってすねたり、ごねたりするのと同じようなことだと思います。
それがわかっていても、こんなに尽くしているのに、つらく当たられたり怒られたりするのは、やっぱりつらいです。
せめて、きょうだいの一人でもいてくれたら、苦労や負担を分かち合えるのに。
親もまた、その親に尽くしてきた、というのならまだしも…
うちの場合、母は両親の老いてからの世話は、長男の妻に任せたきりで、父母の最期にも立ち会っていません。
父は、親たちの世話は末の弟とその妻に任せきりで…
祖母の死に目には会えず、祖父については、いよいよ今日明日にも、というときになって駆け付けたという。
老人介護を全く経験しなかった親たちの世話を、ワンオペでしなければいけない私。
そして私は、自分の世話を息子にさせることだけはするまいと思っています。
損得の問題じゃなくて、親の面倒を子が見るのは、子どもの数が多い時代ならあり得たかもしれないけれど…
ひとり、ふたりの子では、物理的に、というより算数の問題として無理でしょう。
まして一般庶民は、共働きしないと家庭を維持する収入を得られない時代なんだから。
ちょっと考えればわかること。
それなのに、きょうだい6人、7人だった世代がそうして来たからと、算数の問題として無理なことを要求するのは…
バカのすることですよ。
それにしても……
少子高齢化が大きな問題だとされている昨今ですが…
真剣に考えている人は、国民の中にどれだけいるのでしょう。
少子化も高齢化も、どこかで、他人ごとだと思っている人の方がむしろ多いのではないですかね。
自分で直接育児をしたり、介護をしたりしている人を除いては。
とくに、男性。
育児がどんなものか。
さらにもっときつい、老人介護がどんなものか。
体験しないと、その実態は分からないと思います。
とくに「仕事ができる」男性。
テキパキと効率よく仕事をこなし、筋道の立った考え方をするのが得意な人にとって…
育児と介護は、気が狂いそうになるようなものですよ。
いや「仕事ができる」人がまともにやったら、本当に精神を病んでしまうかも。
効率とかスピードとかを追求したら、必ず失敗する。道理や論理や筋道では、割り切れないことが多すぎる。
不条理をスルーし、非効率に忍耐する。
ビジネスとは、真反対のスキルが要求される仕事。それが、育児と介護なんですから。
想像もつかないでしょうね。
男なのに、両方自分の手でやっている私が言うんだから、本当ですよ。
ちなみに、30代半ばぐらいまでに初産をしないとダメだという35歳神話も…
子どもは3歳までは、お母さんのもとで育てないとダメだという3歳児神話も…
公立の学校に通わせたらデキない子になる、という私立お受験神話も…
我が家はすべて無視しました。でも…
妻は38歳で初めて妊娠し、39歳で初産を経験しましたが、健康な子が超安産で生まれました。
息子は0歳から保育園に預け、家にいる間も、主に父親の手で育てました。
進学教室や塾の類にもほとんど行かず、小学生時代は広場(幸運にもあった)で友達と暗くなるまで遊び…
ずっと公立学校に通いました。
それでも…
どこに出しても恥ずかしくない青年に成長したし、知育に関しては、これ以上ないぐらいにうまく行ったと思います。
すみません。話が脱線しました。
まあ、育児と介護とを比べたら、介護の方がずっときついです。
子どもは時間の経過とともに成長し、自分で出来る事がどんどん増えて、手がかからなくなる。
ゴールは、子どもの立派な独り立ちという、喜びです。
逆に、高齢者は時間の経過とともに衰え、自分で出来ることがどんどん減って、手がかかるようになる。
ゴールは、親との死別という、悲しみになります。
それでも、大事に育ててもらったお礼、という気持ちが持てればまだいいのですが…
世の中の親がみんな、立派な親、いやせめて、まともな親であるとは限りませんから。
うちの母みたいな、典型的な毒親、親に殺されないで生き延びるのがやっとだったケースだって、ゴロゴロあって。
そういう親に対しても、年老いたというだけで、すべて赦して、全力で尽くさないといけない。
往々にして、そういうネガティブな気持ちにもなりがちなのが、高齢者介護というものなんです。
だから私は、これからの時代、高齢者介護は「絶対プロに任せるべき」と思っている。
お年寄りは、幼児に帰って行ってしまうもの。介護者が身内だとつい子どもじみた「甘え」が出てしまって…
言わなくてもいいようなことを口にし、してはいけないことをしたくなってしまうものです。
介護者だって、仕事と割り切れば我慢できるけれど、周囲の無理解の中「当然のこと」として見返りなくやっていると…
老人につい、つらく当たったり、投げやりな態度になったりしがちになります。
だんだんと負担が重くなり、やりがいも感じにくく、最後は悲しみで終わる、ネガティブになりがちな行為。
それを、まして家族の「誰か」に押し付けるというのは、その人の人生を決定的に損なうことです。
家族の「人柱」を立てる行為。
という本質を分からないやつらが、この国を動かしている、政治家や高級官僚たち…
そして、彼らに口出しをする「財界人」なんです。
彼らは、育児をしたことがなければ、介護もしたことがない。
そんな連中が、もし仮に、真面目に少子化対策や高齢化対策について考えたとしても…
本質を知らないんだから、的外れになって、失敗することは100%保証されていますよ。
しまいには、憲法なんていうものにまで「家族は互いに助け合うべき」みたいな道徳じみたことを入れて…
育児や、老人介護、障害者介護を、公が負担することを否定し、家族だけに押し付けようとする。
そんな邪悪な改憲は、絶対に、絶対に、絶対に、させてはいけない。本当は。
強い人間は、自分で勝手に自分を救えるんだから、公の介入なんか必要ないんです。
強者は、自由競争の中で十分生きていけるんだから、公的なものが関わらなくてもいい。
公的なもの、即ち政治の役割というのは、自分で自分を救えない、弱い者に手を差し伸べることなんです。本来は。
強者のために便宜を計ることに終始して、弱いものをないがしろに、いやむしろどんどん虐待するようなのは…
政治の顔をした、害悪でしかない。
そんなもの、むしろないほうが良い。
と言っても……結局は、近々、改憲されるんでしょうね。私たちは、物言わぬニッポン人ですから。
そして、政治はもっと悪くなる。止めようとしても止められない。なぜなら…
奴隷同然になっても、どんな不幸な目に遇っても、大げさではなく、死んでもお上に逆らってはいけない。
「世間」の風向き、流れを読んで、それに逆らってはいけない。
多数派の人たちが、そういう風に、教育、もとい洗脳されているんだから。
国家は、そこに生きる人が幸せになるための「機関」ではなくて…
人は、国が栄えるために奉仕する存在だ、という思想が、我が国の人々の精神の根底にこびりついている。
そう簡単には、取れない。
この場合の「国」ってなんだ?
国体?天皇?政府?歴史?
それとも、目に見えない何か?
ヒゲの隊長、佐藤正久は、日本の教育について言及して…
「人権人権って、そんなことばっかり。もっと大いなるもののために身を捧げる、そういう精神を養わないと」
と言っていました。
大いなるもの?何の宗教ですか?笑
日本人に生まれたら、それのために、身を捨て身を捧げろと?
ここに生まれたというだけで、その宗教だか信仰だかに、自動的に入らなきゃいけないと?
中世のヨーロッパじゃないんだから。
もし、こういうことを言うだけで「サヨク」と呼ばれるのなら…
サヨクの対義語は「狂信者」です。
だから、我が子に対しては…
親なんか捨てても良いから、いやぜひとも捨て去って、せっかくこの世に生まれてきた命を大切にして…
自分自身の人生を生き切ってほしい。
幸せになってほしい。
人を幸せにしてほしい。
そのために一刻も早くここから逃れて…
どこでもいいから、自分自身を大切にする、それが許される場所…
自分の人生を生きても「世間」から嫉妬されたり、冷たい目で見られない場所に身を置いてほしいのです。