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スピリチュアルな出来事☆釈迦との対話体験

2012-03-26 09:03:00 | スピリチュアルな出来事

   スピリチュアルな出来事不思議な実話

 

●人を愛で救えるか?・・・ 先日の続きのお話

 やっぱり・・・そうだったのか・・。

 天より聞かされていた通りに、半年過ぎて「助けて欲しい・・」

 そう言って私に抱きついた友達が次に言った言葉は、「病院では治さな

 い。手術は受けない。自分で食事療法で治したい。でも、食事を作る

 元気がもう無いので、こーちゃん(私)に、食事を作ってもらいたい。娘は仕事

  しているし、仕事、首になったら困るし・・。」

  一瞬の間に、色んな思いが私の頭の中をかすめた。

  しかし、正確に言うと考える前に、もう、私は返事をして

  しまっていた。「いいよ。私に出来る事なら・・。」と。

  考えたのは、後からの事だった。

  娘が仕事を首になる?・・・私は、それ所では無い。全てを失い

  かねない。彼女を助ける事は、全てを無くし自分の死を意味する事で有り、

 今の自分の状況を考えると、恐らくそうなるだろう。

 様は、自分の命を掛けて友達を救う事を覚悟しなければ成らない訳だ。

 彼女の娘はパートで有る。確かに離婚をし、子供を育てる為に働か

 なくてはならない・・。しかし、仕事はまた見つけられる。

 友達は資産家で預金もかなり有る。娘の経済的な事は、どうにでも

 成るはずだ。

 半年前に、自分勝手に怒りだし「もう、あんた所には行かん。」

 そう言って、いきなり電話を切った彼女は、半年後こうやって

 私の前に現れた。

 可愛い娘の負担にならない様に、お人好しの私なら断らない

 だろうと見込み、このくらいはしてもらっても良いはずだと言う彼女の思いも

 そして病院でも食事療法だけでも彼女の癌は治らない、私の協力がなければ

 治らない事が、癌の組織や病状が・・。

 彼女に抱きつかれた時に、一瞬にして私はそれらの事が

  解ってしまった。

 そして、私の返事を聞き、彼女の、しめしめ・・・と言う心の声も、

 不安でたまらない思いも聞こえた。

 そして、この事が自分の命取りに成りかねない大変な事で有る事も解った。

 解っていて、私は、彼女を受け入れた。

 ただただ、彼女を救いたかったから。生きていて欲しかったから。

 しかし、後に、私は悩み苦しむ事となった。

 の時(悩み苦しんだ時)の事だけれども、私は釈迦に問いかけた。

 「あなたは前世で、トラ達が餓死寸前の時に、自分の身を投じて

 崖から飛び降り自らトラの餌と成ったと聞いていますが、後悔は

 無かったのですか?怖くは無かったのですか?人ならともかく、たかがトラ

 では無いですか?自分は、バカをしてしまったとは思わなかったのですか?」

 すると、釈迦は申された。

 「人間が価値が有り、トラは価値が無い・・。人間が偉いと誰が決めた。

 誰か(何か)を救おうとする時、そこには、慈悲と慈愛のみが存在する。

 例えば、駅でホームから落ちた人が居て、そこへ電車が通過をする。危ない!

 と誰しもが思う。その時、助けたいけれど、自分も死ぬかもしれない、、。

 痛いかもしれない。残された家族が悲しむかもしれない・・。したい事が

 もう出来ないかもしれない・・。そう考えれば、もう救う事は、出来ない。

 ただただ、救いたい・・それのみの思いで有る。そこには神で言う所の愛で有り、

 仏で言うと事の慈悲・慈愛のみが存在する。後悔などは無い。」

 そう言われた。

 考えてみれば、昨年起きた東日本大震災で、多くの方が亡くなられたけれど、

 津波で流され助けを求める人達を自分の危険も省みず、知らない人であろうが

 家族であろうが、助けようと頑張った人達が居る。

 その時の思いは、 ただただ助けたい。それだけの思いで、他には何も無かった

 のだろう。そこには、我が身の危険も救えないかもし知れない不安も無かった

 のだろう。

 そこには、神の愛で有り御仏の慈悲・慈愛のみが存在したのだろう。

 人と神仏が一体と成った瞬間かもしれない。

 了見の狭い愚かな自分を反省するばかりで有る。

 つづく

  

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