スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

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スピリチュアルなお話~☆~死神がやって来た・・・あなたは死神と話した事は有りますか・・?

2012-05-11 22:12:10 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事★~死神がやって来た。

あなたは死神を見た事は有りますか?・・そして、話した事は有りますか?

わたし・・・有るんです・・・。

■ 死神がやって来た。

色々な鑑定士に接触をする機会が有った中、「あなたは、神様と何時も会話をされていますね。」と言い当てた鑑定士が居いました。見破ったか!凄い・・と思う鑑定士の中の一人です。

確かに私は、色々な神様や御仏様とお合し話をしています。中には珍な神様もいらっしゃいます。その中でダントツは、やっぱり死神様でしょ。あまり会いたく無い神様かもしれません。しかし、人生の終わりには、あなたも会えますよ。必ずね。

或る日の事、可愛がっていた猫が死んでしまい、私は大泣きをしていました。そこに、この神様は現われました。「どなたですか?。」との問いに、「死神である。」との返答だった。思わず大泣きを止め、息を呑んだ。

次に「どうして来られたのですか?。」の問いに、「余りの悲しみを察知し(導かれ)来た次第だ。」とおっしゃっいました。

そして、次の様なことをおっしゃっいました以下は、おっしゃった事を、私なりに解説をしたものです。

この神様、本来は人間の死に際し、お迎えに来られる神様ですが、私の悲しみは人に対してと同等の悲しみで有るが故に導かれたとの事でしたが、動物に対して、それほどまでの悲しみを抱いてはならない・・と、注意をされました。

そして、人は私の事を嫌い怖がるが、人が黄泉の国に行くには大切な存在である。人の影を天に連れて行くは、大切な私の役目で有るとの事でした。

人は、肉体と心魂の存在で、死ねば肉体が無くなる。肉体が無くなる事は、影が無くなる事を意味する。その影を悪しき者に邪魔されず、無事に天に送り届ける役目であるとの事でした。影・・・とは、心魂の事を意味しているのでしょう。

どんなに理不尽な死に方をしようが、愛する人もやるべき事も全て捨てて、未練も捨て諦め一切の思いを断ち切り、天に召される事が大切で有るとおっしゃっていました。

いわゆる成仏・・・です。これは、仏教の世界でも同じ事を意味し、般若心経もその事を意味しています。

人は死後、先ずは天に召され、その後、色んな手順を経て、子孫を見守る事と成ります。一般的には。どんな事情が有っても、未練を残さず天に登らなければならなりません。心魂をこの世に残す事は、心魂が、さ迷う事と成り、何れ悪しき者へと取り込まれてしまいます。その大切さを、死神様は説かれたのでした。

死神様の容姿は、影その者で黒い姿ですが、目は、神の輝き光を放しています。嘘では有りません。人生の終わりに、「あ~言ってた通りだ・・。」とご確認下されば幸いです。

この世は無常である。(釈迦の言葉)明日は、何が有るか分かりません。また、人の欲は限りが無く、思いを残す事も多々有りますが、死後は、あっさりと天に召される事が肝要です。故に、日々を悔いのない様に、大切に生きる必要が有ります

死神様は、「では、また会おう・・。」と言って立ち去ったのでした。

見送った後、「そうか次?・・・会うのは私が死んだ時なんだろうな・・・。」と、思ったのでした。当分、会いたくは無いものだ・・。

しかし、その後、また、会う機会は早い時期にやって来ました。

まだ、私は生きていますけどね・・。

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スピリチュアルな出来事~☆~☆~烏(カラス)の恩返し?

2012-05-11 17:54:30 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~★~烏(からす)の恩返し?

 ■ 烏(カラス)に助けられた・・・・!

 あんな、何とも不思議な光景は見た事が無かった!。どう考えてもカラスの恩返し・・・としか思えない出来事だった。

それにしてもカラスは黒い!真っ黒だ!。頭のてっぺんからつま先まで、嘴も目も真っ黒で有る。ここまでいと、お見事!と言いたく成る。可愛くも見えて来る。

カラスは嫌われ者だけれども、私には憎めない理由がある。昔、近所の年寄りから聞いた話だけれども、カラスは、傷ついた仲間の面倒を見たり年老いた親の面倒を見るらしい・・。

そう言えば、知り合いから聞いた話だけれど、勤め先のビルの窓の外に、手の届く所にカラスの巣が有り、巣の中に光物が沢山入っていて、その中に腕時計が入っている。取ろうとしたがカラスに見つかったらしい。それからと言うもの、その人は、ビルの出入りに,仲間を集めたカラスから再三待ち伏せをされ、攻撃を受けたとの話や、カラスが滑り台で滑って遊ぶ姿をテレビで見た事も有った。

そうすると強ち、親の面倒を見るのも本当かもしれない・・そう思ってしまう。人間だって最近は、親の老後なんて見る人が少なくなってしまった時代だから、、、。つい、「カラスは偉いな・・」。と、思ってしまう。なので、カラスに対する私の目も変わってしまった訳である。

お昼休み時間は、外で持参のお弁当を、風景を見ながら頂く事にしている。風景と言っても街の中はビルばかりで、見る風景などは無い。そんなビルの谷間にも小さな癒しの場が有る。公園とまでは行かないが、花見月やツツジや椿などの木と一緒に、季節の草花が植えられて居る。そこで、私は、持参の弁当を何時も頂いていた。

その場所は、私ばかりで無く街の住民達もやってくる。「チュンチュン・テュウルル・テュウルル・ホッホーバカ~バカ~ン・・・。」住民である雀と鳩とカラス達がやって来る。こんな住み難い街中でも、彼達はちゃんと生活をしていて・・・ドラマも有る。

何時の頃からか、私は、鳥達にお弁当のお裾分けをする様に成っていた。鳩と雀は仲良く食べているが、そこへカラスがやって来て鳩と雀に与えたお弁当のおかずを横取りしてしまう。散らばったおかずを、隈なく嘴いっぱいにほおばり飛んで行く。

残された雀と鳩は食べる物が無い・・。可愛そう・・・と思い、お弁当の大きさも日毎に大きく成り、お弁当の半分は鳥達の胃袋に収まる事と成った。

カラスは番(つがい)いで、ビルの屋上の看板の下に巣作りをし子育てをしていたが、子供が巣立ちした姿を見る事は無かった。鳩も番いで仲が良かったけれども、オスの方は交通事故で死んでしまった。カラスの巣作りは、花見月の枝を折ってそれを材料としている様だった。その為、花見月の花が咲くの季節には、花が余り咲かない。一度は、鳩の足に糸がきつく絡まり如何にも痛そうだったので、捕まえて外してやった事も有った。そんな日々は、仕事を退する時まで続いていた私の日課だった。

それから暫くして私は、引越しをする事と成った。2階に荷物を上げるのは大変だと思い、一階に住む事とした。そこには小さいながらも庭が有った。4軒横並びに柵で区切られた庭である。引越しは猫達も一緒だったのだけれども1階に住むので有れば、猫が外に出ない様に注意をしないとならない。室内飼いの場合、一端外に出てしまうと迷って家に帰れ無くなってしまう。まして引越ししたばかりで有るから、なお更注意が必要だ。

引越しをして間もない頃、恐れていた事が起きてしまった。閉めていはずの庭向かいのサッシが、強く閉めた反動で少し開いてしまっていた。そんな事は全く気が付かなかった。

のんびりと室内で用事をして居ると、けたたましい泣き声が聞こえて来た。その声は、締め切った室内に居てもかなり大きく響きうるさい。異様な泣き声てある。ただ事では無い・・と思い、サッシを開けて見てみると、塀の上でカラスがけたたましく「ガーガー」と鳴き続けて居る。

鳴いている方向の先を見て「何てこった・・!!。」家の猫が、柵をしたから潜り抜け、端の家の庭から今にも外に出て行きそうな場所で、うずくまっている。カラスのけたたましい鳴き声の直ぐ側で、おびえて固まっている。

カラスの様子は、何とあまりにも異様だった。まるで、羊追いの犬が群れから外れて羊にめがけ「早く群れに戻れ、帰れ・・・。」と羊に吠え続ける様とそっくりだった。「ここに猫が居るぞ・・。外に出るな!家に帰れ・・。」そんな叫びに思えた。どうしてカラスが猫に、ここまで執着をして鳴くのだろうか?

すると天より瞬時に声えが入った。「鳥類預かりの神よりのお礼だ。」一瞬にして意味が分かった。何時も昼に、餌を与えていたからだ・・。足の絡んだ紐を外したりもしたし、お弁当を鳥達に与え過ぎ、自分はお腹が空いたままの時も良くあった。自分で、「何とも馬鹿だな~。何の役にも立たないのに・・・。」と思っても、同じ事を繰り返していた。

慌てて玄関から周り込み、私は猫の居る場所まで走って行った。私が到着するとカラスは、安心をしたかの様に飛び去って行った。私は、大事な家族(猫)を確保し抱きしめ、家に戻った。あのままだったら猫は迷い、餌を誰からも貰う事も出来ず、自分で餌の確保も出来ず、死んでしまう事に成っていただろう。

日本には、八萬百の神様がいらっしゃいます。動物を司る神も勿論いらっしゃいます。神は、人を介して人を助ける・・。と言うけれど、神は、カラス動物)までも使って、助けの手を差し伸べて下さったのです。

神の助けを頂いた時に何時も感じる事は、生きる励みと心の安らぎです。

あれから、益々、カラスへ向ける私の目は変わる事と成りました。

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