スピリチュアルな出来事~★~霊峰・石鎚山にて役行者&弘法大師に出会う・・・その3
◎ 遭難・・・・台風・・・それでも一つの希望(望み)が有った・・・・しかし・・・。
■ 希望(望み)・・・敗れたし!
最悪の自体だ・・・でも、一つだけ希望(望み)が、有った。でも、それは呆気なく崩れてしまった。希望とは、こんなもんか!直ぐに崩れてしまう。
実は、道を間違え降りる際の途中に、小さな携帯用のテントが有ったのを思い出した。そうだ、仕方が無い。「あの一人用だろう携帯テントには人が居るはずだ・・。事情を話して狭いだろうが泊めてもらおう。鬼が出ようが蛇がが出様が、無理こ槍こにでも泊めてもらおう・・。」そう、登りながら決心をしていた。
間も無く、希望のテントが目に入ってきた。やれやれ・・これで救われた。「済みません・・。チョットいいですか?。」すると中から「チョット待てて下さい。」と若い女の人の声がした。鬼でも蛇でも無なそうだ。
暫くすると、若い女の子が希望のテントから出てきた。「済みません。あの~道に迷ったんですけと・・・。」と言いかけると、女性は「これから降りるんですか?。それは大変ですね。懐中電灯は持っていますか?。」当てが外れてしまったのを感じた。「いいえ。」と答えると、「チョット待って下さい。」と言うと再びテントの中に入り出てきた時には、登山用の懐中電灯を手にして居た。完全に、望みは絶たれてしまった。
そらそうだ・・。もう一人、テントの中には人が居る気配がした。彼氏なんだろう。邪魔をされたくは無かった事が分かった。取り付く暇も無かったが、あのテントに3人はどう見ても無理だ。私は、とんだお邪魔虫・・・だった様だ。希望のテントは絶望のテントに変わってしまった。貰った懐中電灯を手に、お礼を言って再び登りはじめた.
そう言えば、出かける前の準備の際、天から懐中電灯を用意する様に言われた事を思い出した。カッパはともかく、夕刻には充分帰れる予定だったのだから、懐中電灯は要らないはずだった。考えてみれば、初めから遭難する事は分かって居た事なんだ。それは一つの予言だった訳だ。
前に、こんな事が有ったのを思い出した。友達4人で、車に乗って宝くじを買いに行ったときの事、「18・・・当たる」と声が聞こえた。あ~18組買えば当たるんだ!と都合の良い解釈をしてしまった。所が、そうでは無かった。駐車場で車を友達が車庫入れ中に、接触事故をしてしまった。大した事は無かったが、その駐車番号が18番だった。「な~んだ。宝くじじゃ無かったんだ・・。」と思い、「それならそれで、ちゃんと車が当たる・・と言ってくれれば良かったのに・・。」と文句を言った。
すると「分からないので有れば、ちゃんと聞き返せば良い。勝手な解釈はならぬ。問えば、答える・・。」と言われた事を思い出した。今回、準備の際に、「何故、懐中電灯が必要なのか?。」と問い返せば、きっと答えてくれた事だった。ぼーっとしていた。真剣さが足りなかった。ぼーとしていて事故を起こし命を落とす事も有る。一時一時を真剣に意識を持って生きる事が大切なのだろう。杖の件もそうだ・・。「道に迷わない様に杖の頭を行く方向に向けよ。」そう言われた時も、「どうしてそうしなければならないのか?。」と、問うべきだった・・。
私は、何時もぼ~として生きている。何時も心に難儀を抱え込で居る事が、物事への集中力を損ねて居る。そう言った事では、悪しき事を引き寄せてしまう・・。心に隙を作ってしまう。結果、魔に入る隙を与えてしまう。益々宜しく無い事が起きてしまう。注意散漫は、心の弱さから起きている・・。真剣に、一時一時を生きて行かなければならない。あの地震予知の知らせの時も、そうだった・・。
なんだかんだと、思いを巡らせて居る内に、やっと分かれ道に辿り着く事が出来た。時計を見てみると、ジャスト7時だった。もう、すっかり暗く成ってしまった。風も益々、出てきた。雨も降ってきた様だ。
それにしても、「足元のみを見て降りなさい・・。」あの忌々しい声の主は誰だったのだろうか?遭難・・・に成っ原因の張本人っだ。神か仏かそれとも悪しき者なのだろうか・・・?。
もう直ぐ台風も来るだろうし、さて、これからどうしたものか・・。
この後、「足元のみを・・・」と言った者の正体と遭難の理由を私は、知る事と成った。
そう言う事だったんだ・・。不思議は、まだまだ続く・・。
つづく
←クイック宜しく、お願いを致します。 ←スピリチュアルアート・自作神話