スピリチュアルな出来事~★~霊峰石鎚山・役の行者と弘法大師に会う!・・最終版
◎ 遭難・・・台風・・・別れ道・・・どうしたものか?
■ 瞑想(めいそう)
やっと別れ道に辿り着いた。遭難をする事と成った基(場所)である。どうしたものか・・・?。時間は既に7時を廻っている。本当なら、順調に行っていれば、もうそろそろ登山口に着く頃の時間だ。真っ暗な中、今からだと9時いや、10時頃に成るだろう。順調に帰れたらの話だ。いよいよもって風も強まって来た。
あ~どうしよ・・・。と暗闇を見渡した・・。、その瞬間、何かが見えた!。右手に建物が・・・?目に留まった。直ぐ側2mほどの処に良く見ると小さなプレハブだった。
そうだった・・・。思い出した・・。今日の事では無い。前に、友達と一緒に登った時に、ここにはプレハブが確かに建って居た。今日は、全く記憶に無かった・・。有ったんだ・・こんな所に・・。扉が開けば良いんだけれど・・。不安な気持ちで、そーっと扉に手を掛けた。開いた!開いた!・・・やった・・・良かった!。そんな言葉を、連呼していた。入っても良いものだろうか・・。懐中電灯で照らしてみた。毛布が隅っこに綺麗に重ねてあった。あ~取り合えず、休める・・。しかし、入って良いのだろうか?。仕方だ無い。こんな時だから・・。暗い・・風が唸る・・。雨もぽちぽち降っている、、。なので、仕方が無い。
取り合えず、座って考えよう・・。
このままここに泊まると、やがて台風がやって来る・・。かと言って、無理こ槍こ帰ったとして無事に帰れるかどうか・・。懐中電灯が切れれば御仕舞いだ。雨が振り出せば道も崩れ道は川の道に変わってしまう・・・。滑落すれば、死ぬかもしれない・・。負傷し生きていたとしても雨風に打たれ体は冷えてしまう。台風だと捜索も無いだろうし、考えて見れば、誰もここに来ている事を知らない。時間の問題で死んでしまうだろう。でも、上手く行けば無事帰れるかもしれない、、。
色んな事が、風が唸る様に頭の中でも考えが唸っている・・。どうしたものか?。別れ道で、自分がどうするべきかの・・・別れ道にも成ってしまった。進む(帰る)のも、留まる(泊まる)のも、勇気が要る・・。どちらかの選択をしなくては成らない。
今までの自分で有れば、間違い無く帰る道を選んて居ただろう・・。懐中電灯が切れれば這いつくばってでも闇の中を進んで居ただろう。そう言う性格だから・・・そうやって、何時も失敗をして来たのだ。膝はもう限界が来ている・・。遭えて、今回は留まる道を選ぶ事とした。台風が通り過ぎるまで帰れそうも無い。2日くらいは掛かるかもしれない・・。そう決めたら、少し心の余裕が生まれた。
部屋の中を改ためて見てみると、部屋の入り口付近に、栄養ドリンクとお弁当が置いてある。何故・・・?。お弁当は、1日くらい経過している様で、食べれそうも無い。栄養ドリンクは5本ほど有った。何故だろう・・。触ってみて直ぐに、分かった。置いた人の思いが伝わって来た。遭難の経験が有るのかもしれない。遭難をした人の為に、登山者が置いて行った物で、優しさが伝わって来た。
リュックを置き、導かれる様に外へ出た。そして、このプレハブの後ろにもう一つ小さなプレハブが有る事に気が付いた。扉が開いた。懐中電灯を照らして見てびっくり!。
そこは、山の中の小さなコンビにだった。カップうどんにカップラーメン・玄米クッキー・チョコレート・飴・スナック菓子・ジュースにコーヒー・栄養ゼリー・お煎餅におかき・インスタントコーヒー・ポリ容器に入ったお水・ガスコンロにガスボンベにお湯を沸かす小さなお鍋・・。そして、酒と肴・・。殺虫剤に蚊取り線香・・・団扇・その他もろもろ。電気は点かなかったけれど、コンビにそのものだった。びっくりした!。
考えてみれば、朝はコーヒー1杯だけで、土小屋の駐車場では、おにぎり2個とバナナ1本とドリンク・頂上でおにぎり1個とドリンク・。それと途中、行きずりに頂いた飴1個のみである。急に、お腹が空いている事に気が付いた。
これを天の助けと言わずして何をもって言うべきか・・。そのくらい感謝をした。もう、お腹はペコペコで、鍋でお湯を沸かしカップラーメンとカップうどんと、クッキーとジュースと栄養ゼリーと栄養ドリンクと食後のインスタントコーヒーまで頂いてしまった。やっと生き返った思いだった。
道の途中で頂いた海中電灯も大いに助かった。真っ暗な部屋を明るく照らしてくれた。朝までに時間には、たっぷり有る。今日の一連を考える事とした。それと、考え思った事も多々、有った。
先ず、お湯を沸かしながら思った事は、あの東日本の震災で、悲惨な経験をされた人達の事だった。今日、私は、本当にしんどくって怖い思いをしたけれど、こんなものでは無い、相当に怖かっただろう。お腹も空いて暗くて寒くて・・・心細くって辛くて悲しい思いをしただろう。胸が苦しくなった。
そして、今日の一連を考えてみた。準備の時に用意する物のアドバイス・駐車場の休憩場所で、役行者様と弘法大師様の薀蓄(うんちく)を聞き、教えられた事。祈祷の後に杖が目に入り借りれた事。道の途中で、歩き方や杖を道に迷わぬ様にする為の使い方を教わった事。飴を貰い虫に刺されぬ様に言われた事。もう登る事を諦め様とした時に、南無大師遍照金剛と書いた白衣を着た叔母さんと一緒に登る事と成った事。頂上で祈祷が出来た事。道に迷い暗闇でパニックに成った時に出会った不思議な若い青年の事。必要な懐中電灯を頂いた事。こうして避難が出来る場所と食糧を頂いた事。
「足元のみを見よ・・。」そして、それにより遭難した事にも意味が有った。私の登山での願いは、山中で瞑想し深く考え、神仏と対話をする事で有った。けれども、それは叶わぬ願いと諦めていた事だった。しかし、遭難をする事で、その願いは叶えられた。遭難しなければ、私は瞑想をする事無く帰っていただろう。
雨風に当たる事の無い場所で、ひもじい思いをする事無く、静かに一人山中で、瞑想をする事が出来た。道に迷い引き返し登る道は、膝の悪い私にはかなりきつく苦しく迷う不安は、正に今の己の心の状態そのものだった。
神事には意味が有り、日合わせ時間合わせが有る。出合った見知らぬ人達の助けと、懸命に苦労して運ばれた有り難い食糧にも、人の優しさが存在している。そして、神仏の一分違わない思惑と仕業がある。
翌朝、まだまだ風は強かったけれども雨はさほどでも無かった。帰り道、誰もおらず一人帰る道すがら、5回ほど大きな蛙が現われ、道のど真中に居座った。これは、無事に帰れる・・・と言う神仏からの知らせである。
石鎚山の美しい風景も又、荒々しいこの風景も、創造主(神)の成せる技である。大きな石鎚山の愛に包まれ、そして登りには、二人同行で弘法大師に導かれ、帰りには役行者に導かれ、色んな不思議と見知らぬ人達の優しさに触れ、神仏の大きな慈悲と慈愛を肌で感じた意味深い登山だった。
最後には、大方足を引きずりながら一歩一歩、歩いて登山口に辿り着いた。登山口の石鎚神社にお礼を言い、大いに助かった杖をお返し、帰った。
次に来る時は、もっと元気な姿を石鎚山には見てもらいたい。そして足腰を鍛え、リュックにいっぱいの食糧を持って、あの避難所に届けよう・・そう思った。
あ!そうだ、私は瞼の上を、なにやら分からない虫にやっぱり刺されて居た。大した事は無かったけれど・・。