スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・オリンピックに学ぶ
◎ 四年に一度のオリンピックが開催され・・齎される金・銀・銅メダル・・。しのぎを削って得た勝利を観て、誰もが感激を受ける。自国の選手の活躍には特に心が弾み・・勇気と大いなるパワーを貰う。
同じ人間とは思え無いほどの身体的能力を感じ、正に神の領域さえも感じてしまう・・。だから・・とても清々しく美しい。
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自分達には到底、出来ない無理な話で、彼らはそれだけの才能が有るのだろうと確信を覚える。
そんな才能豊かな彼らさえ・・毎日の地道な努力が欠かせない。そんな事は、あの華やかなオリンピックの舞台の上では全く感じ得ない。
彼らの日々の努力は、出来無い事を出来る様にする為の努力と挑戦で有り、日々、失敗の連続である。彼らは、地道に毎日、黙々と己と向き合い戦っている。
どうすれば出来る様に成るのだろうか・・?。知恵と工夫と苦悩とチャレンジ・・スランプ・・怪我によるトラウマ・・身体的能力の限界を感じる事も・・他人の恵まれたものへの嫉妬・・劣等感・・自分は駄目だ・・と自信を無くす事もあるだろう・・。苦悩と努力と諦めない事の、日々の繰り返しで得た晴れやかな舞台である。
自分達は、あの舞台には到底、立てそうも無いが、かれらの苦悩や努力は自分達も全くもってその通りで、そうなので有って、そんな似た様な日々、暮らしをしている。
人は誰でも楽がしたい・・楽をして目標を得たい・・欲しいものを得たいと思う。失敗をしたくも無いし、苦労も悩む事も嫌だ・・と思う。
苦労は敵で有り不幸な事で、楽こそが幸せな事で、そこにお金や資産や名誉(利権)なんかが加われば、一層に幸せな事だ・・と思っている。
が、、真実は神の意とする幸せや価値観は、それとは全く裏腹なところにある。
人が生まれ人生が始まる時、相当の苦痛が母親にそして赤ちゃんに有り、双方の努力が有って、尊い愛しい命が生まれ、そこに感激・喜びが有る。
人が生まれる時、何の苦痛も無く鶏の様に、卵でポッコリヒョイヒョイ生まれるのならば、命の重みも愛しさも感激・喜びも少ないのかもしれない・・。
人は、生まれた時から苦痛・・苦悩を背負い乗り越え、そして尊い愛しい命の存在と成り、感激と喜びの体感のスタートを切っている・・。そうなのだから、仕方が無い。楽がしたい・・と願ってもそれは、本意ではない。
出来ない事への挑戦・・。失敗と苦悩の日々、出来ない・・でも諦めない、地味な努力と己と向き合い戦う日々・・。それを乗り越え得る事の喜びと生きる価値。オリンピックはそんな人間の本質の象徴の様なものである。だから・・・応援もしたくなる・・感動をする・・勇気とパワーを貰う・・。
釈迦は、「この世は苦で有る・・」と言い、イエス・キリストの最後の理不尽な様・・を観てみても・・人は苦労・難儀・苦悩の向こう(乗り越える)・・に価値有るものを見出し、感激と喜びを覚え、尊い愛しいものを感じ得る・・そして、体感が学びがそこに有る。釈迦は、体感・・こそが最大の学びである・・と言っている・・。
楽・・をし、得るものに、学ぶものは無い・・。それならば、今、自分の抱えいる色んな苦悩や難儀な事・・・それは、価値有るものに違いない。
ならば、苦悩や難儀もポジティブに、失敗をしながらも恐れず、有り難く乗り越えて行く・・そんな覚悟をオリンピック観戦から得る・・のは、どうだろうか・・?
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楽がしたい・・それが幸せ・・そう願い思っていた・・、難儀や苦労にぶち当たる度に、自分を不幸・・・運が悪い・・なんでこんな目に・・と、嘆く・・そんな日々の中、何で神仏は、こうまでも知らん顔をするのだろうか・・?そう思った時期が相当に長かった・・。意味が分らなかった・・。そして、悩んだ。
不思議な体験・・導かれた事が何度も有った・・。これで、救われる・・と思った・・・。それなのに・・それどころか、相当の苦労が難儀が、底なし蟻地獄がその先に待っていた・・。あの不思議な導き・・・あれは一体何の為か・・何の役に立ち、意味が有るのだろうか・不思議な出来事を思出だしては考え込んでしまった日々が、長年続いた・・。
その意味は、当分、先に分る・・悟る事と成った。自分の願いとは裏腹な処に神の仏の本意があった・・。
導かれた不思議な出来事・・・そんな話を次回は、しよう・・。
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