スピリチュアル~★~不思議な出来事・・神の船着場へ行く・・導かれる4
◎ 神の船着場に出向き、2隻の神の船が出港をした・・あの不思議な出来事・・。あれから・・かなりの年数が経過をてしまった。胸を弾ませ降って行った山道・・・。あれって、一体何の意味が有ったのだろうか・・?。
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あの時、これで自分は救われる・・多くの困難の渦中に居た自分は、これからは全てが順風満杯で思う様に事が運び全てが良くなる・・・そう思い込んでいた。
が、現実は、全くもって反対で、益々、状況は悪化し弱り目に祟り目・・・これでもかと言った具合に、悪い事が弾みを付けて押し寄せて来る・・。何のこれしき・・・と頑張ってみても、いや頑張るほどに裏目に出てしまう・・。
それは、頑張れば報われる・・とまでは行かなくても、ある程度の良い結果が齎されるのは当然・・常識・・・そんな粋を遥かに超越した事ばかりが起きる・・。首の皮一枚・・と言った状態がかなりの年数続いた・・。死なない程度の救いの手が差し伸べられる・・・。そう言った状況だった。何故なのだろうか・・?如何すれば良いのだろうか・・?思考の粋を超えてしまった・・。
四方八方塞がり・・・と言う言葉が有るが、私の場合は10方塞がりである。
四方八方は東西南北・・・自分の周辺を表すが、後の2方・・とは、天と地獄を表すものである。
目覚めた当初、色々な神仏や守護霊などが次々と現れ教えてくれた沢山の事柄・・。天の事・・神々の事や死後の事・・そして地獄の意味・・・など、それは懸命に働く中で、「忙しいだろうから・・働きながら聞くが良い・・・分らぬ事は質問せよ・・」そんな感じで次々と教えられ見せられ体感させられて来た。なまじっかそんな事を知ってしまえば、安易に死ぬ事も出来ない・・。
全く持ってえらい世界に首を突っ込んだものだ・・と思い知らされた。生きるに生きれない・・・死ぬに死ねない・・・身の置き場も無い・・心魂の置き場も無い・・。絶望の中をただただ生きて行く・・。人は絶望の中では生きられない・・。それでも生きて行けた理由は・・?その事は何れ話すとしよう。
そんなある日の事、とうとう、質問に答えてくれる日がやって来た・・。なかなかと言うか自分の至らなさ・・欲深さ・・故に教えて貰えなかったのだろう。が、やっと答えてくれた事・・・。
それは、あの2隻の神の船の事である。「あの2隻の神の船・・・私は、乗ったはずなのに、どうしてこうも物事が上手く行かないのか?それ所か、こうまでも悲惨な目に合うのか・・?あれは一体、何たっだのだろうか?如何なっているのか・・?」と言う質問だった・・。難儀の渦中にて、日々、問いかけた質問だった・・。
とうとう答えてくれた言葉・・・「皿を良く見よ・・・」の言葉だった。皿・・・それは、あの神社でお祓いを受けた際に御札と一緒に頂いた、お供え様のお皿の事である・・。その皿を良く見てみて・・びっくり驚いた・・。「そうだったのか・・」そして、・・悟った。
そのお皿には、そこの神社のしるしが記して有った。そう、あの2隻の船にも有る、しるしで有る。大いなる勘違いをしていたのだ・・。そのしるしは、自分が思い込んでいたものでは無く、祠のしるし・・・神のしるしだった。
「そうだったんだ・・。あの船は、神のお助け船なんだ・・。自分を救うものでは無く、世と人々を救う為のお助け舟なんだ・・」と、はじめて悟った。
欲を捨て切れない・・・欲深い自分は、大いなる勘違いをしてしまった。自分が救われる・・ものとばかり思い込んでいた。確かに、お人よしで、自分の事を放り出し犠牲にしても、人の事に目が行き手を差し伸べてしまう・・。その為に、酷い目に沢山合って来た事が多々有った・・。
「ここらで少しは救われても良いだろう・・」と・・心の何処かで思っていた。しかし、ほんのチョットでも微塵にも己の欲を持つ事は、この船に乗る以上は許されない・・事で有り、神仏と共に居る・・と言う事は、そう言う事で有るのだ・・と悟った・・。常に、自分以外の人の為を思い自分の事を考える事は許されない・・。己の欲は一切捨て切らないと成らない・・。そう言った場が船上に居られる条件と成る・・。が、人がそれに至るには相当の修行が必要だろう・・。
故に、どんどん落とされて言った・・。悟れ・・とばかりに苦難を背負わされた。働いて働いて・・体を酷使し・・夜には、体の関節の一つ一つが全部痛い・・風邪で高熱が出た時の関節の痛みの様なもので、痛くてい眠れない・・痛みで心も病んでしまう・・・。お箸と茶碗を持ったまま、座ったままに眠る・・食せない・・ままに眠る・・。もう、明日の朝には死んでしまっているかも知れない・・明日なんて来なければいい・・と思った。
が、容赦なく朝は来る・・。酷使して働く・・・。貧乏は底知れない・・。とうとう立ち上がれ無くなった・・。物にすがって立ち上がり・・気力だけで働きはじめる・・・。そんな日々が当分続いた・・。それでも人は死ねないものなんだな~とつくづく思った・・。
そんな有る日の事、孟子の言葉に出くわした・・。神仏は、時として人を介したり書物を持って教えたりもする・・。
孟子の言葉は、全く持ってその通りだった。偉い難儀な目に合った事は同様で有る。ただ、大任を荷うほどの人間では無い・・。蟻の様に小さな働きしか出来ないだろう・・し、そんな野望も持ち合わせない。
その言葉は、下記の様なものである。