スピリチュアルな出来事~★~魔神との戦い・・霊能者Aとの事・・・その6・・・・オウム教の場合・・・
◎ 最近、やたらとオウムの事が話題に出てくる・・。NHKでも数回に渡りオウムが放送され、再放送も深夜に連続で有った。再放送最終の、確か翌日に菊池が逮捕された。 NHKの放送は、予言めいたものだったのかもしれない・・。また、NHKの放送で、再度、オウムが再認識された影響も有るのだろうが、NHKの放送は、作成関係者の努力は、大いに役に立った事と成った。
遠い昔に、まだオウムが全くしられていない時代に、何処かの民間放送局で、宗教団体の代表者を何人も集めた企画番組が有った。
その内容は、全く覚えて無いが、オウムの浅原と、先に話した宗教団体の代表者がその中に居た。両者とも異様・・な印象だった事と、ふざけた番組だと思った事と、そして、覚えて居るのは、お金は幾らでも有る・・と札束を見せビラかして居た・・・その宗教団体がやがて大きく成って、私の近くに鎮座している。
この代表者二人は、今も目に焼きついている。もう数十年も前の話した。
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■ 悪しき宗教団体の正体
先のブログで、釈迦が「教団・・・とか組織・・とかはあまり好きでは無い・・。己と直接に神仏と向き合う事の方が大切である。」と言っていた・・・と書いてあります。
また、その理由として、下記の様に書きました。
団体を成す・・・事は、善・愛の心魂が及ぶならば、それは「愛は地球を救う・・」と言った所で、世界に幸せと平和を齎すが、悪しき心魂が怒涛を組めば戦争・虐待・・殺戮・・が起きてしまい地獄の場となってしまう・・そんな危うさを釈迦は述べたのである。
相対性の原理がここにも有る。神仏に相対し魔神も存在している。神仏に関わりを持つほどに魔神とも関わる事も有りうる。心は何時も清く正しくなければ・・・尽くさなければ成らない。
自分と神仏とを直結し向き合う事が何より大切である。そこに、欲や野心を持てば、悪が生まれ神仏と思いきや魔神と向き合っている事と成る。魔神は自由自在に姿・形を変える・・。神にさえも化けてしまう。
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以上の事柄を、オウムの浅原に当てはめてみましょう。
浅原は、最初から日本征服の野心を持っていた。針灸の仕事をして居た頃に、誰かが、宗教団体を作る事を勧めアドバイスした。そして、「そう言った所に集まる者は、心の弱い者だから意のままに成る・・。」と言ったそうです。(NHK放送番組より)
普通、神仏に帰依する者は、欲を待たぬ様にと慎ましく有ろうとし、まして野望を抱く事は有りません。
ただし、特殊な能力を頂いた際に、団体或いは、先生、長と呼ばれ、金銭にも潤う立場に成った時に、己がしっかりとしていなければ、欲が起き悪しき者(魔神)を呼び寄せ、神に化けた魔神を崇める事に成ってしまいます。
以前、考えられないほどの災いが重なり、人に裏切られる事が重なり、心痛の思いをした時に魔神から「お前は、それでも人を信じるのか?人を見限り心魂を任せれば、思うように財を成し権威も手に入れさせてやる・・」と、誘いが有った際、きっぱりと断り、釈迦に助けられた話をしました。
人を見限り憎み落とし込める行為は、悪魔の意図する処で有り、そこには魔神の存在と大いなる力が働く。
浅原は、身障者故に歪んだ心魂を宿し、卑屈を宿し、或いは権威を持つ野望を抱き、最初から魔神を崇めていたのだろう。世の中には、身障者でも心清く懸命に頑張って居る人も居ると言うのに・・。
神仏は、人を試す時に理不尽の限り・・・を与える場合が有る。理不尽の限りの処に神仏は大いなる愛・慈悲・慈愛を施す。それでも懸命に生きる・・・人を嫌いに成ったり恨んだり・憎んだりしない事を望まれる。
その逆に人を見限り憎み恨み落とし込めようとする者・野望を持つ者に魔神が宿る。あっと言う間に・・容易く財(金)と権威を与える・・。死後、その魂(心魂)は、魔神に取り込まれる事と成る。魔神・・の居場所・地獄・・・である。魔神は、人の悪しき心魂・渇欲が産み出した悪しき神(悪魔・おろち)で有り、地獄の場である。取り込まれれば、死後。天には決して昇れない。
だから、心魂を任せれば・・・と、私を誘惑(誘った)意味がそこに有る。
全ては、相対性で成り立つ・・。それは、電磁にプラスとマイナスが有り、同じ性質を持つ物質が引き寄せられ集まり、プラスとマイナスに別れ互いに反発し成り立っている様なもので、悪しき心魂が同様の性質を持つ魔神(地獄)に引き寄せられる理屈で・・・それは、物理的・科学的見地から見ても、当然の事で有る。
この世にも地獄が有る・・・。この世の地獄は、人の悪しき心魂が集まり大きな集団と成る処で有り魔神の大いなる力が働く。そしてこの世の地獄は、全うに生きて居る人も巻き込まれる場合が有る。
あれよあれよと言う間に巨大化し、一人歩きをしてしまう。その場に身を置く立場に成っても、己の心魂の善・愛の部分を決して見失ってはならない。
あれよあれよと大きく成り、思った以上に容易く浅原は、悪しき財と権威を手に入れた・・。そこに取り込まれた心魂・魔に取り込まれた者達(信者)・・・全うに生きて居て巻き込まれた人達(被害者)・・・この世の地獄とはそう言った場所である。
神仏は、全うに生きて居て巻き込まれた人達の所に鎮座する。
故に、釈迦の言う意味がそこに有る。
多くのお金を必要とする・・。命令をする・・。自分は、神で有るなどと言う・・そう言った類の宗教団体には、近寄らない事が肝要で有る。
座禅し、飛んだり跳ねたり・・・そんなものを奇跡とは言わない。
奇跡・・とは、神仏の多大な愛・慈悲・慈愛によって齎される現象を指すものである。
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