エクレアのあのねのね

大と為せば、以って大と為すに足らず

















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誰も口には出さないのは何故だ?2

2006年09月18日 11時49分54秒 | 社会経済の20
昨日の話を違うほうから見てみると。
つまり酒を悪とするのではなく、車の存在を悪としてみていこう。

車の歴史は高々100年もない。全く成熟されていない道具で今後淘汰されても全くおかしくない道具だということ。

人間はなぜかスピードに見せられる生き物で、その欲望を具現化したものが車ともいえる。夢は叶う。そういう思いが車を作りだしたと考えれば夢があってそれはそれで悪くない。

ただ始まりからして良くなかった。
つまり重力や慣性の法則まで考慮して開発されたものではないのでまず始まりからして止まることを前提にして作られていない。これが最大の間違い。
人間はたかだか時速8kmを超えて自分の体を支えられないほどひ弱な存在なのにもかかわらず時速300kmもでる装置を開発してしまったこと。

今でもこのスピード競争はとどまる事はなく各メーカーはこぞって高性能なものを開発することに躍起になっている(ここで言う高性能とはスピードが出るという1点においてである)
慣性の法則の関係でスピードが出てもそれを止める能力は数式的に出ていて何キロ出ていれば静止に何メータかかるという数値は絶対的に変えることが出来ない。つまり欠陥を容認した上で使用者に使い道を促すという恐ろしく欠陥のある商品でいやはや何とも恐ろしいものである。

そういうものを平気で高額で販売する自動車メーカーは言い換えれば殺人を容認するための装置を開発している恐ろしい集団だともいえるわけだ。
販売する前に
「この車は時速何キロの時、最低これだけの制動距離がいります。それでも買いますか?」
のような販売促進はしていないだろう。これは由々しき問題だよ。

その危険さを隠してしまうほど利便性があるので現在の社会形態では許されているわけで、将来事故をせずに移動する装置が開発された暁には今の自動車メーカーはどこも裁判で敗訴することになる。

最近のCMでもっとも酷いのは本田のCMとBMWの3シリーズのCMだ。

BMWの3シリーズのCMではカラスがクルミを車に引かせて割ろうと道路にクルミを置く。それを見事に寸前で回避するというコマーシャル。
本田の場合も飛び出してきた鹿を感知し、それを回避する装置を搭載しているとのデモを兼ねているCMがある。

このCMの共通点をもう気づいたと思うけど、どちらも”回避”がテーマになっている。危険を予測して回避、突然のハプニングに対応する性能を有していると言いたいのだろうが、違う。大間違いである。

鹿が飛び出した。予測して避ける。対向車が来たら?車同士の衝突。何故避けた?鹿をはねても車同士の事故にはならなかっただろう。
そのどちらもを防ぐには?止まること。止めること。いかに安全に止まれるか?そのための制動装置装置を積んでいるとアピールするのならわかるが何ともお粗末。
BMWもCMも基本的には同じだ。

何故止まることを考えないのか?黄色の信号は危険を促している。止まりなさいと促している。決して危険だけれどいけますよではない。

”たられば”は絶対いけない。

危険を回避する最も安全な方法は回避ではなく止まること。

なぜそんな単純なことを誰も口に出して言わないのは何故だ?

マツダはミネサーキットを、トヨタは富士を、日産は北海道に高速テストコースをと更なる高速走行に磨きをかける方向にある。これからもどんどん殺人を出来る機械の性能競争に躍起になっている。

本当にこのままでいいのか?

正しい方向は
「時速200km出ます。」
ではなく
「時速60kmからこんなに短い距離で安全に止まれます」
ではないのか?これを売り物にしないメーカーが何故日本にないのか不思議でならない。

飲酒を感知してエンジンをかからない装置を搭載するよりもブレンボやロッキードのダブルピストンキャリパーを搭載すべきだろう。本当に必要な部分のコストを抑えて何が安全だ!?まるで阿呆の集団だ。

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