東日本大震災で世界有数の事故を起こした東京電力福島第1原発(福島県双葉町、大熊町)。その設計などを担当した東芝の元社員2人が本紙の取材に応じ、「設計時は、これほどの大津波は想定しなかった」と証言した。東電が想定していた津波は最高5・5メートル。実際には14メートルを上回る大津波が押し寄せており、2人は設計に甘さがあったと口をそろえた。
元社員の男性(69)は大学で機械工学を学び1967年、東芝入社。商業用の沸騰水型軽水炉の建設が始まろうとしていた時期。71年から順次稼働した福島第1原発1~3号機と、5~6号機の設計に参加。原子炉周りの残留熱を除く熱交換器や海水ポンプなどを設計した。
今回、津波が非常用ディーゼル発電機などの故障を引き起こし、原子炉の冷却機能がマヒしたことに衝撃を受けた。「当時は『マグニチュード(M)8・0以上の地震は起きない』といわれ、(10メートルを超えるような)大津波は設計条件に与えられていなかった」
東電は土木学会の津波評価に基づいて、福島第1原発を襲う津波を最高5・5メートルと想定していた。国の耐震指針に基づく評価に合格している。
当時の設計の甘さについて、福島第1原発が日本で初期の施設だったことを挙げる。「当時の日本で原発は未経験分野。1、2号機を受注した東芝も担当したのは部品設計。プラント全体の設計は米ゼネラル・エレクトリック社(GE)が受注していた」と明かす。
GEの設計には、地震多発国特有の条件が十分に反映されていなかった。「日本のメーカーは原発設計の経験がなく、改善することもできなかった」
3号機からはGEに頼らない「原発の国産化」が目標に。東芝と日立が受注するが、実態はGEとライセンス契約を結び、規格を踏襲。「電力会社から『3号機以降も慎重に同じものをつくれ』と言われていた」と振り返る。
「女川や柏崎刈羽などの原発でも非常用発電などは同じ弱点がある」と指摘する。
事故後、男性は原子力発電所を抱える全事業所の社長に宛て「稼働中の原発を止めてほしい」とファクスを送った。「原発は人間が扱いきれるものではない。一人でも多くの人が気づいてほしい」
福島原発のタービンの安全性を検証する作業にかかわった元東芝社員の男性(63)も「今回のような大津波やM9は当時は想像もできなかった」と振り返った。
70~80年代に東芝に勤務。事故や地震で原発のタービンが壊れて飛び、原子炉を直撃する事故などによる安全性を検証した。M9の地震や、航空機が落ちて原子炉を直撃する可能性も想定した。すると上司から「原発が数10年しか稼働しないのに1000年に一度とか1万年に一度とか、そんな想定をしてどうする」と一笑に付された。
今回、原子炉は地震の揺れそのものには耐えたが、津波で非常用電源や冷却機能がダウンした。「もしM9でも原発が大丈夫だったとなれば日本の技術は称賛されていた。非難とは紙一重だった」と話す。
国も東電も「原発は安全」と強調してきたが、絶対に安全なんてことはないと感じていた。「どんなことが起こる可能性があるのか情報を徹底公開し、原発が本当にいるのかどうかを国民みんなで考えるべきだ」続く