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日本歴史紀行

大河ドラマ どうする家康 紀行 17 榊原康政 像


榊原康政像
愛知県岡崎市唐沢町 天下の道

前回の放送で2度目の登場を果たした榊原康政ですが、彼の初陣は三河一向一揆とされているので、上ノ郷城攻めでの初陣は若干早め?と感じましたが、藁を甲冑に着けるなど、中々の貧乏家臣を表現していました。(笑)

その康政。
幼名は小平太と称し、三河上野城(現在の愛知県豊田市)付近の榊原家に生まれ、家は榊原氏の庶流でもあったことから、さらにその次男のため、小平太は大樹寺に預けられ、手習いを受けながら幼少を過ごしました。

家康との出会いはその大樹寺で、家康が桶狭間の戦いで大高城を退去し、三河に帰還した際のことでした。

家康が武家としての生き恥と将来を悲観して自害しようとした矢先の出会いでした。
家康は登誉上人の説得で思いとどまり、再起を誓います。


この頃の学問が後の康政に武士としての教養、知識を兼ねた知勇兼備の将として成長させ、武辺者の多い三河武士の中で、家康に重宝されます。


2に続きます。





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