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安藤直次墓所
愛知県岡崎市大和町 妙源寺
【~犬に食わせよ~】
大坂夏の陣で嫡子が討たれたと聞いた安藤直次は、こう吐き捨て、戦況を優先させました。
直次は徳川家康の側近 幼少より仕え、姉川、長篠、小牧 長久手の戦いなどで武勇を上げました。
小牧 長久手の戦いでは、副将格の池田恒興(池田輝政 父)、森 長可(森 蘭丸 弟)らを討ち取る功績をあげながら、次の戦場へ向かってしまい、手柄は永井直勝が挙げます。
大坂夏の陣で、豊臣軍の猛攻により陣形が崩され、直次の嫡子 安藤重能も戦死。
家康の身にも危機が迫るとみた直次。
家来が重能の遺体を回収に動こうとしたのを制止し、【遺体は ~犬に食わせよ~】と言い放ち、自軍の陣形の建て直しを優先させます。
読み通り家康に危機が迫るも、味方の軍勢が建て直し、危機を脱することになります。
戦の後で目を真っ赤にした直次の姿が悲しみを誘ったといいます。
家康の信頼が厚く、家康十男 頼宣の付家老に命じられます。
家臣、領民に粗暴な振舞いを見せる頼宣に対し直次は、頼宣の足を力一杯痛め付け、この様では太守の器にありませんと言って諌めました。
後年
頼宣は足の傷を見せ、この傷が無かったら、わしの50万石は無かったと、直次との思い出を語りました。