喜光寺
奈良県奈良市菅原町
喜光寺は、奈良時代初期に東大寺造立に貢献した行基が721年 養老5年に創建しました。
東大寺の大仏殿造立にあたって、行基は喜光寺の本堂を参考に造立を行ったことから、試みの大仏殿と呼ばれます。
架橋や灌漑土木による水田のための池の工事など、行基の布教に留まらない行動は民衆の絶大な支持を集めていましたが、警戒心を持つ朝廷からは、圧力の対象となっていました。
ただ、
724年 神亀元年に即位した聖武天皇は行基を高く評価していました。
朝廷は帝の意を汲み、東大寺の創建と大仏造立の詔(みことのり)を発譜した後に、行基を大勧進に抜擢します。
行基は大仏が鋳造が成った749年 天平元年に齢81にして老齢のために喜光寺で死去しました。
行基亡き後、東大寺造立には、行基の弟子達が引き継いて竣工させました。