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日本歴史紀行

偉人の言葉 19 徳川家康 人はただ身の程を知れ



人はただ身の程を知れ 草の葉の

露の重きは落つるものかな


慶長八年 正月十五日 家康



この翌月の2月12日、家康は征夷大将軍に任じられ、名実ともに武家の頂点に立ちます。


家康の句を現代釈にすると


人間は自分の能力、程度を理解せよ。
草の葉の露も重過ぎると落ちる様に。




豊臣秀吉

「~露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢~」

この言葉は、豊臣秀吉が残したとされる時世の句

露のようにこの世に生まれ、そして露のように消えていく自分の身であったが、 大坂で過ごした日々は、夢の中で、夢を見ているようなことであった。

こう言い残して世を去った秀吉。

関ヶ原後、一大名扱いになった豊臣家。
幼君 秀頼を擁し、秀吉の威光を傘に時勢を見誤り続ける豊臣家中への皮肉にも聞こえます。




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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@kikokikonoriko19888888 こんにちは。
天下を取るまでの秀吉は、彼なりに泰平の世を模索していたとは思いますが、いざ天下を取ってみると、大陸進出という暴挙に出て、それまでの業績を台無しにしてしまいました。
家康は信長、秀吉を反面教師にして、泰平の世を築いたと考えます。
kikokikonoriko19888888
氏より育ち、、、といいますが、、、
貧乏育ちの「秀吉」は、知性が落ちてくる晩年に
「北の政所」との人生の坂くだりを、
ともに感謝でしていたら
一族を失うようなことはしなかったでしょうね、
高野山の「ふすまに描かれた松の前」で、、、
心底、、教養のない人間の強欲の罪を思いました。
「秀吉の強欲の怖さ」を思うと,、お市様、茶々様、信長、
「教養の方向」の大事さを考えさせられましたね。
家康の「葉の上の露」は、大きな蓮の葉の上に光る
真珠のような,、、「厭離蝦夷欣求浄土」、、、と
光る宗教心であり、300年の鎖国で
「太平の世を統治」して、、
「日本だけを中心に考えていた」ようですね、
眠っていた状態の太平の世は終わりだったのでしょうね。
目が覚めた時には、、、イギリスも、アメリカも、科学に先んじていて、、、日本だけを考えても、、地球は
たくさんの国があって、、自国だけ太平というわけにゆかないことが、示されて、、15代将軍も、時代の速さには
世界から遅れてしまったのかもしれませんね。
欲のための戦争をなくそうという、徳川の志も空しくて。
宇宙規模に根ざした「世界の科学の動き」には、韮山の科学者の考えが、胸にしみいるものがありますね。
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