中條金之助景昭
【 茶畑の肥やしになる 】
旧幕臣の中條金之助景昭は、徳川慶喜の護衛係を務め、慶喜を謹慎の地 水戸へ送り届けた後、他の幕臣らと静岡、牧之原台地で茶畑の開墾に取り組み、金之助と彼らは苦難の末に茶畑が一面の葉を実らせました。
牧之原台地の茶栽培がようやく軌道に乗り出したことで、明治7年、金之助の行動力と統率力が買われ、明治政府から神奈川県の県令【現在の県知事の職】にと勧められましたが、金之助は、俺は【~茶畑の肥やしになる~】と言って固辞しました。
金之助が先頭に立って育てた牧之原台地の茶畑は、日本一の面積を誇る茶畑へと成長しました。
大井川に近い牧之原台地の一角には、金之助像が台地を見守るように建っています。