源義朝 像
愛知県知多郡美浜町野間
平治の乱 平安京 一本御書所跡
山中油店 京都府 京都市上京区 下丸屋町 下立売通智恵光院西入508
源 義朝と藤原信頼は、保元の乱以降、朝廷内で絶大な権力を手に改革を進める信西に対し、互いの出世を阻む共通の敵であると手を結び、信西の排除を密かに狙い機会を伺います。
1159年 平治元年12月4日、
平清盛が一門を引き連れて紀伊の熊野詣でに出かけます。
1159年 平治元年12月9日、義朝は後白河上皇の御所、三条殿を襲撃して連行し、その足で二条天皇も連行して一本書御所に幽閉します。
朝廷の異変を察知した信西は寸前で内裏を脱出するも、京の山中で進退を窮まり、首を斬って自害します。
義朝らのクーデターは一応の成功をみますが、政治的な駆け引きに長けた平 清盛は、熊野から帰京すると信頼に恭順する振りをみせて油断させ、機会を伺います。
平 清盛は、信頼の反乱に加担しながらも、信頼自身を快く思わない二条天皇の親政派を抱き込み、彼らの手引きで一本御書所に幽閉されていた二条天皇と後白河上皇を脱出させ、平家の本拠地である六波羅に迎えます。
天皇、上皇を迎え入れ、官軍の立場を得た平 清盛は本拠地の六波羅に軍勢を集結させ、賊軍の身となった源 義朝と雌雄を決して戦います。
清盛の留守を狙ってクーデターを決行した義朝は合戦を行う軍勢を東国から集めておらず、源氏の一騎当千の武者も、多勢に無勢となり、縁者の源 頼政も
賊軍となった義朝を身限り撤収します。
大敗した義朝は義平、朝長、頼朝ら息子と僅かな従者のみで落ち延びました。
一本御書所~いっぽんごしょどころ~
この時代、朝廷が世間に流布している書籍を書き写した写本を所蔵した御所。