稽古の最後に先生から「気持をおとしましょう」と言われます。
稽古があるたびに言われるわけではありません。
どのような時に言われることがが多いかと言いますとグイグイやり合うような激しい稽古があった日です。
気持ちをおとすために手を上に上げてぶらぶらと、手首の関節の力を抜いて手を振りそのまま脱力しストンと腕をおとします。
それを何度か繰り返しているうちに気持ちがおさまって、最後に礼をしてその日の稽古は終了です。
入門したばかりのころは筋肉や関節をほぐすための整理体操ぐらいにしか思っていませんでしたが、どうやら違うらしいことに気が付いてきました。
その動作はグイグイやり合う稽古の中で「はやった気持」「高ぶった気持」を体から落としているようです。
先生のおっしゃっていた言葉の通りだったのを最近ようやくわかることができました。
「気持ちをおとす」感覚がわかるととっても便利です。
同じように気が高ぶっているような状況で動作を付けずにイメージで気をおとします。
仕事が行き詰った時、家庭で何か起こった時、頭の上の方にもやもやした何かがたまって行きます。
人間悪いことが起こる時は立て続けに起こるものでもやもやがたまりすぎて体調を壊してしまうこともしばしば。
そんな時は私の場合、神社を利用して気持ちをおとしております。
お賽銭を投げて、二礼二拍手。
一礼の前に手を合わせて自分が一本の木になったようにイメージし、何でもよいのでその時に思いついた感謝の言葉を思い浮かべます。
そうして最後の一礼。
最近巨木を見に行くようになって、木を目の前にすると、稽古の後の気持ちをおとした時のような状態になることに気づいてやるようにしています。
不思議ともやもやがストンと落ちたようになります。
今日もたまたま思い出したのでこっそり仕事を抜けて近くの神社に行ってきました。
まだ習慣になっていないので思い出さないと行動できませんけどね。
稽古があるたびに言われるわけではありません。
どのような時に言われることがが多いかと言いますとグイグイやり合うような激しい稽古があった日です。
気持ちをおとすために手を上に上げてぶらぶらと、手首の関節の力を抜いて手を振りそのまま脱力しストンと腕をおとします。
それを何度か繰り返しているうちに気持ちがおさまって、最後に礼をしてその日の稽古は終了です。
入門したばかりのころは筋肉や関節をほぐすための整理体操ぐらいにしか思っていませんでしたが、どうやら違うらしいことに気が付いてきました。
その動作はグイグイやり合う稽古の中で「はやった気持」「高ぶった気持」を体から落としているようです。
先生のおっしゃっていた言葉の通りだったのを最近ようやくわかることができました。
「気持ちをおとす」感覚がわかるととっても便利です。
同じように気が高ぶっているような状況で動作を付けずにイメージで気をおとします。
仕事が行き詰った時、家庭で何か起こった時、頭の上の方にもやもやした何かがたまって行きます。
人間悪いことが起こる時は立て続けに起こるものでもやもやがたまりすぎて体調を壊してしまうこともしばしば。
そんな時は私の場合、神社を利用して気持ちをおとしております。
お賽銭を投げて、二礼二拍手。
一礼の前に手を合わせて自分が一本の木になったようにイメージし、何でもよいのでその時に思いついた感謝の言葉を思い浮かべます。
そうして最後の一礼。
最近巨木を見に行くようになって、木を目の前にすると、稽古の後の気持ちをおとした時のような状態になることに気づいてやるようにしています。
不思議ともやもやがストンと落ちたようになります。
今日もたまたま思い出したのでこっそり仕事を抜けて近くの神社に行ってきました。
まだ習慣になっていないので思い出さないと行動できませんけどね。