白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

STOP! 桜さん! (その4)

2024年09月30日 11時58分28秒 | 星の杜観察日記
 黒曜のことは母から聞いたことがあった。住吉三神をお祀りするようになる前からの、この杜の本来の祭神。水と音楽の女神。琵琶を弾くので弁天さまとも呼ばれている。
 月明かりにぽうっと白く浮かぶクジャクソウの花に囲まれて、黒曜は琵琶を爪弾いていた。何かの曲を演奏してるというより、気持ちのままに、思いつくままに、音を出しながらハミングしている。真っ直ぐな黒い髪は地面につきそうな長さだ。中国風というより、奈良時代とか平安時代の貴族がこんな服を着ていたのかな、という衣装。
 音楽の邪魔をしたくないと思っていたはずなのに、その姿を見たら思わず口をついて名を呼んでしまった。
「黒曜」
 黒曜はすぐに気づいてこちらを見ると、うれしそうに顔を輝かせた。
「葵」
 私の名前を知ってる? 黒曜は続けて何か言いかけたが、その言葉は聴こえなかった。何か私に向かって呼びかけながら、こちらに手を伸ばした。私も思わずその手を取ろうとしたら、ぐいっと後ろに腕を引き寄せられた。
「先生!」
 小さな茶器程度を持ち上げたところしか見たことなかった先生に、こんな力があるなんて驚いた。
「なぜ止めるの? 黒曜が……」
 黒曜はなおも何か言おうとしていたが、その声は聴こえない。そしてふいにその姿がかき消えた。
「行ってしまった……! なぜ止めたの? 私、聞きたいことがあったのに!」
「翠のことか?」
 お見通しだ。私はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
「慌てるな。黒曜にはまた会える。ここは黒曜のホームグラウンドなんだから」
「でも! 初めて会ったのに! もう二度と会えないかも!」
「大丈夫。必ずまた会える。まあ、落ち着きなさい」
 先生は、さっきまで黒曜が座っていた白い錬鉄の椅子に私を座らせた。いつの間にか、碧が傍にいて、私の手をきゅっと握っていた。
「これまで会えなかったのは、葵の問題だ。葵は今夜初めて、黒曜の相に下りることが出来たのだ。何か異変はないか? 頭痛や疲労感は?」
「何もないわ。別に普通」
「そうか。葵は強いな。憑き代として黒曜を降ろしたわけではなく、自分の存在のまま、意識を異相に移すことが出来るのだな」
「異相」
「黒曜はいつもここにいるのだ。だが葵と違う相にいるから知覚できない。何かコツがあるはずだ。一度移れたのだから、必ずまた出来る。だが、さっきのように触れようとするのはやめなさい」
「何故?」
「葵ちゃん」
 碧がまた私の手を強く握った。私を引き止めようとするように。
「おまえが聞こうとしたこととも、関連がある。我々は、まだ何故、翠が消えたのかわかってないからだ」
「翠は……黒曜に……触れた?」
「そんな単純な話でもないだろう。だが、我々は何も知らな過ぎる。この集水域に住む私やホタルは、潜在的に黒曜の眷属と言ってもいい。しかし正式に契約を結んだわけではなく、圧倒的に力が違っていて逆らえない。一方的に、際限もなく従わざるを得ないのだ。だから畏敬はするが警戒もする。葵も用心しなさい」
「……でも……」
「葵ちゃん」
 碧に手を引っ張られて、折れた。
「わかった。用心する。でも、先生も、碧も、気を付けてね。そして黒曜について知ってることがあったら、私に教えて!」

 その夜から、私たちは黒曜探偵団みたいになった。蔵の古書を調べたり、ピアノ図書館で住吉の丘の言い伝えを調べたり。それとなく母に聞いてみたりもしたが、残念ながら母は黒曜と話したことはないようだ。先生の説によると、母や姉は巫女気が強いので、黒曜を自分の身体に降ろしてコミュニケーションを取っているらしい。
「自分で自分の顔は見られない。だから桜は黒曜に会ったことがない」
「私はその巫女気が無いのね。でもなぜ急に黒曜が見えるようになったんだろう」
「おまえの器が、それに相応しく育ったということだろう。おまえには資質がある。慌てなくていい」
 あの夜から毎晩、黒曜を見た東側の庭に通ってみた。あれ以来、二度と黒曜は見られなかった。先生は月齢や惑星の配置など、何か条件があるのかもしれない、と言った。あるいは黒曜の好きな花でもあるのかも、と。
 姉とも頻繁にメールでやり取りして、それとなく赤と黒の幽霊のことを聞いてみた。まだ姉はどちらも見たことがないらしい。眠り姫に関しても変化無し。相変わらず文面はブランカのことばかりだ。
 姉を見ていると、人並み外れて美しく生まれつくと言うのは、苦痛なのかも、と思う。自分自身でそれを望んで、芸能人になるなどその容姿を有効活用する場合は良いだろうけど、姉にとっては容姿は邪魔でしかないようだ。生まれつき妖魔が視えて、異能を持つ姉にとって、むしろ人目に立ちたくない気持ちの方が強いらしい。容姿のせいで、勝手に憧れられ、一方的に妬まれたり、つきまとわれたり、噂を立てられたりする。姉は4歳からピアノを習っていたが、発表会がどうしてもイヤで、私の年に教室を止めてしまった。ピアノそのものは大好きで、一生懸命練習してとても上手だったのに、その評価さえも容姿でズルをして得たように中傷され、辛くなってしまったのだそうだ。私も姉と同じ教室に通ったが、そこで私と姉を見比べた人が、「わあ。お姉ちゃんは美人さんだねえ。お人形みたい。アイドルになれるよ」などと散々その外見を褒めそやした挙げ句、私に眼を移して、「妹さんも可愛いねえ。それにすごくお勉強が出来るんだって? 将来楽しみだねえ」と頭を褒める。姉も私と同じくらい良い成績を取っているのに、正当に評価されない。そして姉だけを美人と言って、姉妹の容姿を比較されることに、姉の方が傷ついていた。それで私も教室を止めてしまった。2人とも、自分で楽しんで弾く程度の技術は身につけたからだ。
 姉はそれこそ年中さんの年から、男の子にラブレターやプレゼントをもらっていたが、ちっともうれしそうじゃなかった。小学校でも中学校でも、告白されてもボーイフレンドを作ったことがなかった。異能を持つ鋭敏な神経の姉にとっては、押し付けられる欲望は不快で、むしろ恐怖だったようだ。同級生ならまだいい。通学路で待ち構えている大人に、声をかけられたり、拐われたそうになることも度々で、私がボディガードになって蹴散らしていたが、守り切れない。うちで修行している神職さんに、朝夕送り迎えしてもらっていた。そんな姉が、今、ブランカに守られて、初めて通学路を楽しんでいるらしい。ブランカが食べたがるから、初めてクレープを買って、道端で半分こして食べた!というメールが写真付きで来た。姉にとっても、九州に行ったのは、良い経験だったようだ。
 
 次に黒曜を見たのは金木犀の傍だった。水辺へ続く遊歩道の入口がちょっとしたテラスになっていて、父はそこに敷石をしてレンガを積み上げ座れるコーナーを作っていた。その日当たりの良いテラスを囲うように、金木犀が植えられていた。何となく予感があって、金木犀の咲いた月夜に先生と碧の3人でコーナーの陰で待っていたのだ。果たして23時をちょっと過ぎた頃、黒曜が現れた。花の香りを楽しむように、テラスで佇んで月を見上げていた。
 私が陰からそっと現れると、黒曜はすぐ私を見つけて、またうれしそうな顔をした。
「葵」
「黒曜」
 今度は不用意に距離を詰めなかった。テラスの端と端に立ったまま、私たちは見つめあった。月明かりに透けるようだった。細面の白い顔。真っ直ぐな黒い長い髪に縁取られた顔は、とても綺麗だった。でもマジマジと見ても、男か女かわからない。声を聴いてどちらかわからない。神様だから性別は無いのかもしれない。
「私を知ってるの……?」
「小さい時から」
「じゃあ、弟を知ってる? 翠と言うの」
「知ってる」
 黒曜は細い眉を潜めて、悲しい顔をした。
「何故、翠を連れて行ったの……?」
 黒曜は答えず、悲しい顔のまま、消えてしまった。

 次に黒曜に会えたのは、ヒイラギの花の季節だった。もうかなり寒くなっていて、私はダウンのパーカーをもこもこ着込んで、北向きの石段の中腹にある、白い石を敷き詰めた広場で待っていた。広場の周囲が、背の低いヒイラギの茂みになっていて、涼しい匂いの小さな白い花がびっしりと咲いていた。東の空に冴え冴えと月。きっと来る、と予感がして待っていた夜の23時。やはり黒曜は現れた。
「黒曜」
「葵」
「ごめんなさい。あなたに謝りたかったの」
「謝る? 何を?」
「翠のことで、あなたを責めてしまった。あなたのせいじゃないのに。私、何故翠が消えたのか納得出来なくて、悲しくて、誰かのせいにしたかっただけなの。あなたとか、母のせいに」
 黒曜は、また眉根を寄せて悲しそうな顔をした。月明かりに照らされて、その白い顔がとても綺麗だった。
「私や、桜のせいかもしれないよ?」
「どうして?」
「翠が消えるのを、止められなかった」
「それは私たちも同じよ。私も、紫ちゃんも、お父さんも、誰も、翠を守れなかった。あんなに……可愛い、優しい、いい子だったのに……!」
 言いながら、涙がぼたぼた出て来た。そう、私は誰かを責めたかったんじゃない。こうして誰かに聞いて欲しかったんだ。
「ずっと……辛かったんだね。葵。おまえは、優しい子だ」
「でも……私……!」
「翠の身体をおまえが見つけた。ショックを受けて当然だ。でも自分を責めてはいけないよ」
「私……!」
「おまえがどんなに早く駆け付けても、間に合わなかった」
「……!」
「誰も、間に合わなかった。翠は水に入る前に、もう空っぽになっていた。だから……もう、自分を責めなくていいんだよ、葵」
 私は声を上げて泣いてしまった。小さな子供みたいに泣きじゃくった。そんな私の身体を、背の高い黒曜はふんわり包んで、頭を優しくなでてくれた。
「よしよし。泣いておしまい。泣いていいんだよ。ずっと我慢してたんだね」
 泣き過ぎて、涙がもう出なくなっていたが、ひくっひくっというしゃっくりが止まらなかった。そんな私の頭をポンポンとなでながら、黒曜が言った。
「もうかなり寒い。私を外で待つのは止めなさい。会いたければ会いに行くから」
「会いに来てくれる……?」
「行くよ。どこでも。それにもう、夜である必要もない」
「昼でも会える?」
「もう、葵は昼でも私を見つけられるだろう」
「どうしたら会える?」
「人のいないところで、2人分、お茶を淹れてくれればいい。お茶を飲みに行くよ」
 そう言うと、黒曜はふうっと消えてしまった。お茶を2人分。素敵だ。どこでお茶会にしようか。


  

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