ヒイラギの花の咲く夜約束してから、黒曜とは月に1、2回の頻度で会えるようになった。中庭の見える渡り廊下の長椅子が、私たちの定位置になった。家族が寝静まった23時頃。ヒーターを点けてお茶を淹れる。黒曜が来ない夜も、寝る前に夜の中庭を眺めるひと時は、いいリラックスの時間になった。
お茶を四杯用意して、先生や碧ちゃんを誘ったが、2人は遠慮してお茶会に加わらなかった。まだ黒曜のことが怖いらしい。黒曜の方も、注意深く私やホタルたちと距離を保とうとしている風が感じられた。碧のことがあったから、あまり“異相”に馴染み過ぎるのは良くないと考えてるのだろう、と先生は推測した。
見れば見るほど、整った綺麗な顔だった。そしていくらマジマジと見ても、男性か女性かわからない。聞いてみようかとも思ったが、失礼な気もしてまだ聞けないでいる。黒曜は私の話を聞きたがるので、私は思いつく限り、学校のことや家のこと、好きな本や食べ物、映画や図書館のことなど、何でも話した。あまりに熱心にいろいろ聞きたがるので、私個人に興味があるというより、“地球人の暮らし”を知りたがっているように思えた。
「もしかして黒曜って、どこか遠くから来たの? 外国とか、もしかして宇宙人なの?」
いつも物静かで冷静な黒曜が、初めてうろたえた様子を見せた。
「あ、ごめんなさい。秘密だった? 話したくなかったら、言わないでいいわ」
「いや、大丈夫。古い古い、長い長い話だ。いつか話そうと思ってた」
「古い話?」
「大昔にね、戦争ばかりやっている国でね、私は奴隷だったのだ。戦争で何もかも無くして、ここに逃げて来たのだよ。一緒に逃げてくれた仲間ともはぐれて、ひとりでここにたどり着いた」
「……ひとりで?」
「それからずっと探してる。待っているのだ。仲間に会える時を」
「ずっと……ひとりだったの?」
「いいや。そんなことはない。何もかも無くした私を、助けてくれたもの達がいた。それに葵みたいに私の声が聴ける人間もいた。だからひとりじゃない。ありがとう」
黒曜がぬぐってくれて、初めて気がついた。私は涙を流していた。
「葵の血筋のものは、時々私の姿が見えたり、声が聴こえたりするようなのだ。私は身体を失ってしまったから、私に身体を貸してくれるものも、現れた。桜もそうだ。そうすると私もこの世界で出来ることが増える。でもそうして“憑き代”になることは、負担が大きいようなのだ」
「……お母さん……」
「こうして葵と話せるのは、とても有り難いよ」
「……そうだ、紫ちゃん! あの、姉とは会ったこと、ありますか?」
「紫のことは、もちろん知っている。でも紫はまだ私と会う用意が出来ていないようだ」
「……」
「きさのことが気になるので、紫のいる寺には時々いっていたのだ」
「紫ちゃんのいるお寺には、赤い幽霊と黒い幽霊が出るって……」
私の言葉を聞いて、黒曜は面白そうに笑った。
「赤い幽霊にもそのうち紹介するよ」
私は黒曜と会っていることを、誰にも話さなかった。変な話だが、話したらもう会えなくなるような気がしていたからだ。黒曜は秘密の友達だ。黒曜のことを人に話すのは、黒曜の信頼を裏切ることのような気がしたのだ。
私がそういうと、先生は笑った。
「葵がそう感じるのなら、その気持ちを大事にしなさい。前にも言っただろう。お前たちの年の子供は、気持ちが重要なのだ。理屈なんか、後からついてくる。お前の信じるようにしなさい」
私と黒曜の秘密のお茶会を、先生と碧ちゃんが知っていてくれる、というのが安心だった。本当は2人にも参加して欲しいのだが、怖いなら仕方ない。
黒曜が私を赤い幽霊に引き合わせてくれたのは、まだ春浅い頃だった。私と先生と碧ちゃんが、何か黒曜の古い記述はないかな、と社務所の古い冊子の束を漁っている時のことだ。土曜日の午後3時。参拝客なども多い時間に、黒曜がひょっこり現れたのだ。
「こ!……!」
驚いて、つい声が出てしまった。黒曜は人差し指を自分の口に当てて、いたずらっぽい顔で笑った。
「何か手伝いかな?」
「ううん。調べ物。あなたのこと」
「なんだ。そんなこと、本人に聞けば良いのに」
確かにそうだ。
「この神社のこと、知りたいのだろう。一緒においで。きび団子はないが、サルとキジも来たらいい」
どうやら今日は、黒曜は愉快な気分らしい。サルとキジ? じゃあ、私は犬? 先生と碧ちゃんは、少し距離をとって後ろからついて来た。
黒曜が私たちを案内したのは、境内の北側、摂社が並ぶ一番奥の小さな拝殿だった。鳥居に『丹生神社』と書いてある。黒曜は“入るぞ”と声をかけて、友達の住んでるアパートにでも入るような気楽さで拝殿の木戸を開けた。
「葵、手伝って」
「どうすればいいの?」
キャンバスを張った小さな折り畳み椅子を5つ用意した。サンルームの大きな花瓶からちょろまかして来たピンクと白のストックを、白木の祭壇に飾った。そして汲んで来た桂清水を、2つの神酒徳利に入れ、そこから5つの盃にトクトク注いだ。
「一応神社だからな。拝礼するか」
私たちは黒曜と合わせて、祀ってある鏡に礼をすると、柏手を打った。すると、鏡の後ろに隠れていたのか、と思うぐらいあっさりと、ひょっこりと、金髪の美女が現れた。
「随分略式だな。笛ぐらい吹いてくれ」
「花と水は用意したぞ」
「なんだ、水か。酒くらい持って来いよ」
「贅沢言うな」
大学生同士のようなフランクなやり取りに、私も先生も碧ちゃんも口があんぐり開いてしまった。
丹生神社のお祭神は、朱い光に包まれた、腰まで届く真っ直ぐな金髪を垂らした、朱い目の美女だった。奈良時代か飛鳥時代かという古代のお姫様の衣装がよく似合っていた。
「その顔を見るに、私が視えているようだな、葵」
「あ、はい! 織居の次女の葵と申します!」
「お前のことは、生まれた時から知ってるよ。なかなか悩み多い青春を送っているようだな」
お姫様は、5つめの椅子にドッカリ座ると乱暴に足を組んで、フランクな口調で言った。
「あの、姉の紫のこともご存知ですか?」
「もちろん、ご存知さ。きさのことも気になるし、九州まで時々見に行ってる」
「そうなんですか! 姉はお2人を見たことないって!」
「紫もなかなか悩み多い青春だからな」
お姫様は、盃から桂清水を飲むと、徳利からお替りを注いでまた飲んだ。
「お前たちも飲め。その方が話しやすくなる」
お酒のように勧められたが、盃の中身はいつもの桂清水だった。でもこの盃で飲むと、なんだかいつもより美味しい気がする。先生と碧ちゃんも、オドオドしながら水を飲んだ。
「よし。飲んだな。これでお前らは私の眷属だからな」
「え」
「え」
先生と碧ちゃんは固まってしまった。
「鏡。からかうな。そもそも2人はこの山でここの水を飲んで生きてる時点で、私や鏡の眷属みたいなものだ」
「それでも、ただ暮らしてるのと、契約を交わすのでは、いろいろ変わってくるぞ」
「え」
「え」
お姫様はニヤニヤしているが、黒曜はやれやれと肩をすくめた。この2人の神様は、どうやらとても仲良しのようだ。2人の大学生みたいに戯れている。
「だいたい黒曜は葵とお茶飲んでるくせに、俺には水か。珈琲でも出してくれ」
「盃に茶渋がつくと、神事に使えなくなるだろう」
お姫様の軽口を、黒曜がたしなめる。
「こっ、今度っ、ティーセット、持って来ます! 紅茶と珈琲、どちらがお好きですか?」
お姫様はニッコリ笑った。
「お前の好きなものでいいよ」
美女なのにイケメンみたいだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます