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私はニュートンの小惑星探査機の記事を開いた。何ごとも視覚イメージがあった方が理解しやすい。
「瑠那、小惑星帯って知ってる?」
「へ? 火星と木星の間にあるとかいう?」
「そう。小惑星は互いに衝突してはより大きな天体になったり、消失したりを繰り返していて、鷹史が来たのは今では無くなってしまった準惑星のひとつからでした」
「でも空気とか無いんでしょ」
「そう。だから地下やドームに都市を作って暮らしていた。大気が無いから、青い空なんか見たことなかったそうです」
「鷹史は……星にいた頃の名はオリと言ったそうですが……オリ達自身も5代前に他の小惑星から来た移民でした。一族のほとんどが空を飛んだりする異能力者で、畏怖と蔑視から差別を受けていたそうです」
「うわー。そういうの、いやー」
「複数の民族が、小惑星間を移動しながら小規模のコロニーやドーム都市、地下都市などを作って、互いに戦争したり協定結んだりしながら共存していて、かなり複雑な国際情勢があったようです」
互いに衝突しては、生成と消失を繰り返す小惑星群。死と再生、運命への諦観が宗教を生み、天体の衝突や落下の予測が科学を生んだ。
「小惑星帯の外へ脱出しよう、というのがすべての人の希望でした。最初の移民船が向かった先は、地球でした。でも無事着いたという報告は無く、当時は日本でいうと縄文後期で、各地に人の集落地が出来ていましたから、原住民族とのトラブルが生じたか、あるいは免疫のないウイルスに感染したか、原因もわからなくて……」
私はまたひとくち、蕎麦茶を飲んだ。外ではキビタキが能天気な囀りで鳴いている。もうない星の話など、まさに夢幻、現実感のない世界だ。
「彼らは慎重になりました。地球に調査船を送り、同時に別の目的地も探した。太陽系外、銀河系外も視野に入れて、惑星、衛星の大きさと恒星からの距離、大気のスペクトル解析などから、居住可能性のある候補地を複数見つけ、大規模な移民船でコールドスリープを繰り返して航行する……広大な計画です。そのためには、民族間での協力が不可欠だったのに、実際にはまだ見てもいない新天地の資源の分前をどうするかとか、開拓地の指揮をどの民族が取るかとか、諍いは絶えず、とうとう戦争が始まりました」
「チッ」
村主さんが舌打ちしたので、私は意外に思った。私が思ったより、彼は正義漢なのだろうか。いや、単に彼は非効率なことが嫌いなのかもしれない。
「戦闘と休戦協定、また爆撃、国際協定などを繰り返しながらも、地球へ調査船を3回、太陽系外への大規模移民船を3隻送った頃、オリが黒谷の塔に雇われます」
ここからは、鷹ちゃん自身の体験として聞いた。オリは塔の地下でサーリャに出会った。
「オリが地球に来た時、一人ではありませんでした。もう一人、サーリャという少女と一緒に送られたんです」
「ふえ? そうなの? そのサーリャって子はどうなったの? どこにいるの?」
私が瑠那の質問に答える前に、村主さんが右手を開いて、少し上げた。
「待て。“送られた”と言ったな。それは“宇宙船で航行”とは別の手段なのか? そんな技術があるのか? まさか」
「ええ。彼らは今の私たちにない科学力を持っていました。ひとつは反重力装置。これで小惑星同士の衝突や巨大隕石の落下を防いでいました。もうひとつは、SF的な言い方をするとワープ航法とワームホールを利用した航法を実現化していました」
「待て。じゃあ、連中は高密度の負のエネルギーを」
「ええ。それもクリアしていました。ただその運用に高速度の演算装置が必要で、そのコンピューターの回路に‥‥子供を使っていました」
「げ」
瑠那が顔をしかめた。この年の離れた妹の素直な反応には、本当に救われる。住吉の抱える事情も、もうない星の事情も、理不尽で残酷なことが多過ぎる。
「オリの民族は移民で下級市民扱いされていましたが、もうひとつ別に、搾取されている一族がいました。この星に元々いた民族で、その後の移民に、いわば征服され、奴隷とまでは言いませんが、不利益な立場に甘んじていました。サーリャはその一族だったのです。オリの民族は“風読み”、サーリャたちは“星読み”と呼ばれ、共に異能者を多く生み出す一族でした。権力を持つ征服者は、異能者を制御し、搾取し、利用して星を支配しました」
「サクヤ、顔色悪いわよ。休憩したら?」
「ごめんなさい。イヤな話よね。胎教に悪いかも」
「場所を変えたらどうだ?」
村主さんが提案した。確かに名案だ。こんな酷い話、綺麗な景色でも見ないとやってられない。私たちはポットに蕎麦茶を詰めて、カップ3つと菓子盆の松の実の飴がけを持って、神社の裏手の東屋に移動した。今は残念ながらカキツバタやハナショウブには遅過ぎるし、睡蓮は寝ている時間だった。でも水辺の東屋を囲むようにパーゴラが設置されていて、テイカカズラとスイカズラが降るように白い花をつけて、辺り一帯を甘い香りで満たしていた。花に集まる虫の羽音が眠気を誘うほど牧歌的だった。
東屋のベンチに腰を落ち着けて、私は話を再開した。
「前に言ったように、オリの一族は異能者が多く、鷹史もテレパシー、テレポーテーション、サイコメトリ、その他シールドを張ったり、個人間でエネルギーのやり取りをしたり、様々な力を息をするように易易と使いこなしていました。サーリャの一族は、いわゆる予知能力です。これはなぜか女性に発現することが多く、星読みに子供が生まれると男女問わず、5歳まで親と離して隔離され、能力が出現するかどうか、監視、教育されました。出現すると寺院と呼ばれる、権力者が予知情報の託宣を受ける機関に幽閉され、能力が出現しなければ奴隷扱いでした」
「うわー。ひどー」
「一番残酷なのは、星読みの子孫を作る方法で……家族が出来ると私情を交えて予知に偏りが生じると考えた為政者は……星読みの少女が14歳になると、排卵周期を制御して、然るべき日に、夜、寺院の地下の塔に少女を繋ぎました。こう……両手と両足を……鎖で……」
この話は本当に苦手だ。鷹ちゃんから聞いた時も、具合が悪くなって、その後、一週間吐き気が止まらず寝込んでしまった。
「その塔に“男”が送り込まれます。少女は目隠しされ、口も布で塞がれて、相手を見ることも話をすることも許されません。“男”は寺院で儀式を受けて、一晩限りの“神”となり少女と……」
「ちょっと待って。それ、レイプじゃないの!?」
「少女と三夜過ごして、その後、“男”は少女の受胎が確認されるまで、“神”として饗応を受けます。受胎していなければ、次の周期にまた三夜……ぐ……」
「サクヤ!」
「もうわかった。それ以上、話さなくていい。要するに、その男は受胎が確認されれば、お役御免で処刑されるんだろう? 預言者の親として、特権与えるわけにゃいかないからな」
村主さんの理解が早くて助かった。一番イヤな部分を、自分の口から話さなくて済んだ。
「そうです。元々、相手は死刑囚から選ばれます……予知能力が発現せず、2級市民扱いの風読みの男。荒れた生活をしたならず者も多かったけれど、思想犯や、“主人”に逆らって冤罪で収容された人も……」
「わかった。それ以上言わなくていい。何にせよ、胸糞悪い話だ。お姉さん、もうやめとけ。それこそ胎教に悪いぜ」
「サクヤ。口濯いだ方がいいわ。行こ」
瑠那が付き添ってくれて、パーゴラの奥の小さな滝まで来た。桂清水からの湧水が石壁を流れ落ちていて、ここも保健所に飲料可のお墨付きをもらっている。竹を組んだ水汲み場と、竹の柄杓が置いてある。桂清水を口に含んで、気持ちがおちついた。黒曜、ありがとう。あと少し、私、がんばるからね。
東屋に戻って来て、私は蕎麦茶をゴクンと飲んだ。
「もうひとつ、胸糞悪い話をしましょう。最初の移民船から連絡が無かった原因として、原住民族からウイルス感染した可能性を疑った為政者は、次の船で完全な防疫態勢の医療スタッフと、数千人の“風読み”の子供たちを地球に送りました」
「待てよ、まさか」
「その、まさかです。スタッフは子供たちを、地球各地の原住民族の集落地の傍に“蒔いた”んです」
「その子達が、病気になるんじゃないの?」
瑠那が息巻いた。
「それと同時に原住民族も病気になる。でも生き残ったものは、免疫を持つわけです」
「ぐえ」
「その子供たちはだいたい7歳以下の、本当に小さな子ばかりだったから、原住民族の多くは、捨て子を殺したりせず、コミュニティで保護して、自分たちの子として育てました。死んだ子供は多かった。集落ごと感染で全滅したケースも。数ヶ月後、医療スタッフが生存者を検査して……」
また吐き気が戻って来た。本当に酷い。人間をモルモットにした人体実験だ。同じ人間だと思っていたら、こんなこと出来るはずがない。
「わかった。それ以上、言わなくていい。だいたいわかった。それで今度はその調査船は、帰還したのか?」
「いいえ。報告は何度か送られて来て、それきり。医療スタッフも、結局、感染したということでしょう。それで、星の為政者は、次の移民船は“風読み”の子供たちを蒔いた数百年後に送ることにしました」
「待て。数百年後。やつらは目的地だけでなく、目的“時間”も設定出来るのか?」
「ふえ、どういうこと?」
「はい。平たい言葉で言えば、彼らは“タイムトラベル”が可能だったんです」
「もうひとつ教えてくれ。そのオリとサーリャとやらは、同じ“時間”に到着したのか?」
本当にわかりが早い。私は大きく深呼吸して、村主さんの質問に答えた。彼は大丈夫だ。何もかも話しても。彼には話せる。ミギワのことも。多分、彼だけだろう。ミギワのことを理解できるのは。そして、もしかしたら解決出来るかもしれない。竜宮の扉を閉じる方法を、彼ならわかるかもしれない。
「2人を地球に送る時、装置のある部屋が爆撃されました。設定は何もかもめちゃくちゃに。目標時間も、送る人間を再物質化する時間座標もズレてしまって、それで……オリは2歳の子供の姿で地球に下り立ち、咲さんに保護されて南部鷹史として成長しました。サーリャは再物質化が不完全で、身体を失った状態でここに……桂清水の桂の樹の中に……飛鳥時代くらいのことだったそうです」
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