燈籠と対峙して

2007年08月07日 | Weblog
朝から生粋の松阪弁(伊勢の、な言葉)を使うお坊様がいらっしゃって、
お経を読んで行かれた。オイはきちんと座ってなかなか立派である。


写真は昨日の水撒き風景。

「こっ、こいつ、でっ、できる
 このままじゃ、マジで、あの燈籠を倒しちまうぜ」
なんて台詞を吐く取り巻きはもちろんいません。


超早起きしたので、頭がグルグルしているが、
折角なので神宮のある街へ

生命エネルギーを補填しに行こうかな。
いや、まじで!!
こないだのスタジオの反省会を兼ねてね。

燈籠を辿って昔の人は参宮道を進んだんだよな。


以前NHKで外国で放送された日本の宗教観の番組やってたけど、そこで

日本人は
新年が始まると神教に参り
結婚式ではキリスト教を信じ
人が亡くなると仏教にたよる。

日本人の魂は迷走しています。

って放送を見て、爆笑した。


確かにそうだけど、さすが外国人。
分かってるような分かってないようなだよな。
別にそれが普通。でも奇異に映るんだろな。

今日はどっかのキリスト教会にも行って、
3教制覇を狙ってやろうかな。いやいや狙うなよ。

僕の魂は迷走しています。

朝青龍を殺す気か

2007年08月07日 | Weblog
俺はホントに腹立たしく思っている。
今の彼を取り巻く環境はひどすぎる。

そりゃ確かに、仕事サボって、国へ帰ってたんだろうけどさ。
それは悪い。確かに悪い。国の行事とはいえ遊んでんだし。

でも、なんですぐに謝罪する場を設けてあげなかったのか?
なぜ、そこまで心を追い込む必要がある?マスコミ含めて。

許されるか許されないかなど関係なく、
自分の申し訳ないという気持ちをアウトプットしないと、
罪悪感は沈殿する。
それは増殖して、本人自体を食い尽くしてしまう。

反省して、作法をわきまえた立派な横綱として
やり直して欲しいと言う気持ちがあるならば

相撲協会も親方もアウトプットさせるべきだったのに
すでに手遅れになってるかもよ。

確かに間違ったことをしたのは確かだろうけど、
今やってることは公開いじめだ。
いじめてどうすんだ。大の大人が寄ってたかって。
教育がどうあるべきか、どうのこうの言う前に、
大の大人が、正論を言っているフリをして、いじめを行うのはやめてくれ。

彼を殺す気か。

確かに僕は彼のガッツポーズが大嫌いだった。
他の力士も真似しだして、あたかも当然みたいになってる。
相撲が汚れたなぁ感はあったが、

今は、再起して欲しい。
そして、大鵬、千代の富士、北の湖も超える高みまで行けばいい。
行って欲しいとは思わないが。行けばいい。
感情を押し殺した、美しい戦う姿が見たい。

そして、王貞治みたいな言葉が出ればそれでいいんじゃん。
「自分が世界一だと思ったことなど一度も無い。」