今日は、四月八日。
末広がりという印象。
みんなの元に、君の元に、良いことが舞い降りますように。
桜の花弁のように。
…と、朝から願ってみたところで、
今日も、花の写真ばかり投稿してしまおうと思う。m(_ _)m
(いつもと変わらない写真ばかりだけど)
普段そんなに自覚はないのだけど
『花ばっかりだなぁ』と思うと、自分は花が(植物が)
かなり好きなのだなぁ…相当だなぁと思う。
でも、知識に詳しくないところは、極小の脳ミソの問題かな?
今日も空は、春の色です。
…僕の頭の中も春みたいです。(←ウッカリなことばっかりでトホホな日々だ)






花の名前って面白い。
『何でこんな名前になったの?』と、よく思う。しょっちゅう思う。(極小の脳ミソで思う)
原種っていうのも、この間、鉢花の本をグダグダで読んでいたら(眠かったので…)
そのまま『原種』って書いてあったような気がする。
ムルチコーレとか、オステオスペルマムとか
『???』と思ったりもするし、
『椿』も、木遍に春と書くまでは分かるけど、なぜ、ツバキと読ませたのか?
何でだろう?
原種…『はらたねさん』、っておばあさんが居そうだな
なんて思ってしまう。
金さん銀さんみたいな可愛らしいおばあさんのイメージなのだけど
たねさん、可愛いから、これからそう呼びたいくらいだ。(我が家だけで)
『たねさん咲いたよ』なんて言って。


毎年のお花見は恒例だけど、桜並木の下に落ちている花を拾うのも、毎年の恒例です。
ひとつ、ふたつ、と花が道の上に咲いていたら
『ちょっといただきますよ』…と一応挨拶をして(心の中で)
拾って帰る。
そして、湯呑みだったり、小鉢だったり、珈琲カップや、ぐい呑みなどに水を張り
浮かべて数日間、楽しませて頂く。


落ちていた花をいただいたのは、この桜並木。
桜並木を撮った日は雨だったのだけど
落ちた花を拾ったのは、良く晴れた日だった。
拾うのは毎年恒例だけど、何となく、落ちている花を見ていたら
我が家に来るより、散歩などの人がこの落ちている花を見つけて
『綺麗な花が落ちてる』と思ってくれて
落ちてもなお、愛でられていた方が幸せなのじゃないかなと思ったけれど、
拾ってしまった。
他にも落ちているだろうからと…
自分の煩悩をふと、垣間見た瞬間でした。(年末、除夜の鐘きき損ねちゃったからな)
今は、拾ってから3日間、我が家の住人に愛でられている。

どこまで歩いても、花は道の上に咲く
どんな時でもふと見れば
『ドンマイドンマイ』
『ただその時を、生きよ』
『余計なことなど考えないで、私がいるじゃない』
太陽と月と雲と花と山と海と
光と、人と
計り知れないおおらかさでそこに在る春は
あらゆる手段で
小さな僕に語りかけ毒を洗い流す
いっそのこと、花になれたら
どこまで歩いても、花はそこに咲き
だから
どんな時も我ここにあり
なんだよね?