アトリエバラ・スタッフのブログ

アトリエバラHPは、ブックマークからお入りください。 Trackbackは、現在受け付けていません。

和光大学創立40周年記念展-Ⅱ

2007年02月25日 22時57分52秒 | 日記
このgooブログは一泊2日を振り返って美術展以外で
田舎から都会に久々にでて感じたことを書いてみます。

15年前に一度大学まで長女の入試で相談に行ったきり、
マタマタ小田急線鶴川駅から大学までの道並みはほとんど昔の面影なし。(悲)

新国立美術館、館内に入った瞬間この建設費どこから出てるのじゃー。
建物の維持費はどこで負担するのかー?

吹き抜けのエスカレーター  書いててため息 ふぅー
年寄りに乗れない。二回までは何とか、その上まで上がるとくだりのエレベーター怖いですよ年寄りには。
上野の新幹線乗り場までの下りのエスカレーター。(地獄に下る・・・チョットオーバーか?)

まぁー  年寄りはエレベーター使えってか?。
バリアフリー考えるとデザインて出来なくなるよね?(皮肉)

黒川 紀章さん・昭和9年、愛知県生・安藤 忠雄さん・昭和16年、大阪生

二名の方は日本を代表する建築家だそうです。

お二人を私は好きになれない。
黒川さんはもう私が学生の頃から評判がよくなかったし、安藤さんもコンクリートの打ちっぱなしRCの奇抜なデザイン。

私が大学時代。
新制作協会・建築部創立会員、池辺陽、岡田哲郎、丹下健三、吉村順三、山口文象、谷口吉郎、前川国男の7名(現:スペースデザイン部)敬称略
の岡田哲郎先生に三年間可愛がっていただきました。
いったんは仲人も引き受けていただいたのですが恐れ多いので結婚式にはお越しいただきました群馬まで。(学生結婚)

よくゼミで先生にとっては私は孫?ぐらいだったのでしょうやさしく、時には厳しく?と色々指導を承りました。

沢山残された言葉の中で
「江原君、建築とは壁面は二次元だよ、だから絵(絵画)が解らなくてはだめだよ。絵かきでなくてもね。そして建築は彫刻だ。彫刻がわからなくてもいけないね。最後に建築は人が入る器です。人間とは何かを勉強しなければ・・・・・。」

「建築の勉強も芸術も毎日毎日努力していても階段を一歩一歩上がるように出来るようになるわけではないよ。毎日毎日努力しているとある日突然レベルアップしている自分がるんだよ。」

35年以上昔の話である。多少言葉のニュアンスの違いはごりょうしゃ願いたい。

先生は建築家のル・コルビジェが大変お好きだった?いつもバラの根っこのパイプをくわえて講義していただいた事は昨日のことのように思われる。(私もその頃タバコはパイプになり先生の勧めで、葉はハーフ&ハーフだったかな?・しかしパイプはくさかった、葉巻もそうだが。)

私はル・コルビジェの建築理論もなるほどと思ったのだが何故かフランクロイド・ライト(旧帝国ホテル)が好きだった。
そんな人間ですから黒川さん・安藤さん好きになるのは無理ですね。

他に建築は剣持 玲先生・父上の剣持 勇先生本当にお二人は岡田先生と間逆で怖かった。
でもお二人ともデザインとは何か?今の私のデザイン論確立はお二人なくしては考えられません。

今は、本当に建築やってなくてよかつた・・・かな?

私も昔はそんなことはあまり考えてデザインしていたわけではないが
10年も前になりますが、某大手の設計事務所にCADを導入する為、指導者として1年じかく関与した経験が有ります。

常にコンペに向け設計を起こしその為に組織をCAD化し図面のコストダウンのため私は力を貸しました。
その結果に生まれた産物が某市が経営した日帰り温泉センターであった。

まさしく宇宙船を思わせるデザイン。
これは後に、私が事務所で目をかけた一人から聞いた話だが事務所がCAD化していなければ出来なかったそうだ。
確かに  良くわかる。
CADを使えどんな線もイメージのまま図面化するのは容易である得にR(曲線)の部分を表現するのにはもってこいの道具になる。
新日曜日術館を出ると右手にサントリー美術館建設中(超高層)とか美術は上野から六本木・乃木坂に移って行くのか?
そして最後に私の見たもは六本木ヒルズ53階展望台から見た景色は地獄の景色である。

超高層ビル「霞が関ビル」が完成したのは1968年4月私がまさに大学に入学した年である。
建築を志授業も芸術学科ではあっても出来るだけ建築の授業を受けた。
授業の中に超高層ビル「霞が関ビル」は当然でてきた。
感動した映画『超高層のあけぼの』地震国家日本における初の超高層36階。

今でもその時の感動を忘れない。
しかしそれが地獄の始まりなのかもしれません。

建築家の驕り・国家の権力・資本主義という名の下に立ち並ぶ超高層の建物
六本木ヒルズ階展望台からの眺めは私の想像を絶する光景でした。

一ヶ月前、私が借りてきた新しいDVD「日本沈没」
まさしく10年後あるい30年後いや一週間後かもしれません。

「関東大震災
大正12年、9月1日正午、源を伊豆大島付近の海中に発した地震は、東京湾、相模湾沿岸一帯の地方をゆりつぶして、安政2年(1855年)10月2日の夜に起こった、江戸大地震以来の惨害を加え、同時に各所に発した火のために、大東京の大半、横浜・横須賀の全部は焼き払われ、死傷算なく、沿海海底の地形に大変化を示し、その損害程度にいたっては、実に世界有史以来と伝えられる。ここにその顛末を記して、後世の記録に残すゆえんである。」HP抜粋。

昨年私は見ました。
新潟県中越地震新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、2004年(平成16年)10月23日(土)午後5時56分に新潟県のほぼ中央に位置する小千谷市を震源として発生したマグニチュード6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震。
私は隣の群馬ですから群馬も揺れました。
しかし地震後10ヶ月を経て会津から新潟経由で群馬に戻る時高速道路の生々しい地震の傷跡。
文字では到底言い表せません。(どんなに構造計算上安全な数値を出して設計・施工してもぢ面が裂けるのですよ。)

東京にいずれ再び起きる関東大震災。
まるで私は旧約聖書に登場するバベルの塔の話を思い出さずにいられなかったのは私だけでしょうか?。

都会に行って始めて納得しました。
国会議員の先生達東京に住んでいると、とてもじゃないが世の中不景気だとは思いませんね。
あれだけ人間がいるのだから。

確かに。東京は魑魅魍魎の集まるところに完全に変貌しなおも、おかしな学識経験者やら有名建築家やゼネコン何がなんだか全くわからない。

(姉歯建築設計事務所)東京都建築基準法施行細則様式一覧・建築確認なぜ必要なのでしょうか?。

都市の概観とは?建築とは?私の今は無き、恩師達の言葉が今はむなしく響いています。

余談ですが
今回の都知事選・本当に日本に人材がオリマセンネ。
黒川 紀章72才・石原慎太郎72才
いい加減にしてといいたくなる。どっち・もどっち(若い人材無いんですかね)

一人は小説家一人は建築家。

二人とも豪邸に住み一般庶民とかけ離れた生活の中で何が出来るのか?
そして今後ほかの立候補者はどなたになりますか?

本当に東京を魑魅魍魎の世界にして日本沈没を加速させるのか。

天災の地震が来る前に日本が破綻していたら何の意味もないですね。

最後に一枚懐かしい(人によりますが)写真がありましたので乗せますね。


私の恩師いまは亡き岡田哲郎先生と昔々の私です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする