デジタル大辞泉によれば、「人道」は「人として守り行うべき道」とされる。イスラム教は利子をとることを禁じていた(以前はキリスト教でも禁止されていた)。また、フランスのチュニジアへの入植に関し、「元来イスラム法に基づいての土地所有制度では、個人所有が認められていなかったため、どのような者でも土地を耕すことができた」(「戦火の欧州・中東関係史 収奪と報復の200年」 福富満久著 東洋経済新聞社 p75)。これらを見ても、「人として守り行うべき道」は宗教・宗派、思想によって異なるように思う。
トニー・ブレア著「ブレア回顧録 下」(石塚雅彦訳 日本経済新聞出版社p28)で、パキスタンのムシャラフ大統領が、「一九七〇年代にジアウルハク将軍がパキスタンのナショナリズムを敬虔なイスラム教と結びつけるという致命的な誤りを犯した。(中略)この二つの結合は、国内の過激主義を強め、カシミール問題を深刻化させ、インドとの和解をよりいっそう困難にした」と説明している。神を信仰するものにとって神の教えは絶対的なものなので、国家の外交政策などでは妥協の余地を限られたものにするのであろう。
「神道」も天皇は司祭程度の地位にとどめ、「現人神」などとはしない方がよい。スンナ派(ハンバル学派)イスラム法学者イブン・タイミーヤ(1263~1328)は、四代目カリフのアリーを神聖化しているアラウィー派(追記:アラウィー派を含む極端派)を不信仰者か棄教者として扱っている。キリスト教プロテスタントの一派、ユニテリアンもキリストの神性を否定する。「現人神」などといえば、それらに人々と決定的な対立を招きそうだ。
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