投資家の目線

投資家の目線463(福岡藩の藩札)

 「福岡県の歴史」(山川出版社 川添昭二、武末純一、岡藤良敬、西谷正浩、梶原良則、折田悦郎 P250)に、福岡藩の天保の改革についての記述があった。それは、困窮する家臣や領民の救済を名目にした御救仕組とよばれる藩政改革である。その概要は、

・藩札を大量に発行して、家臣や領民に貸し付けて借銀を返済させる
・借用した藩札は、一貫目につき毎年米七俵の数年間にわたる上納によって返済させる
・上納米は、領内での入札販売によって藩札を回収したり、領外に販売して幕府発行の金貨や銀貨を取得したりすることに使う

であった。藩札を流通させるために芝居や相撲の興行が盛んに行われ、歓楽街(現在の中州)は大いににぎわったという。


 しかし、藩札の発行高は天保五年だけでも銀三万八四七九貫余もの膨大な額になり、藩札の価値は発行から三カ月あまりで半分以下に下落したという。当時の福岡藩は、英国の軍艦フェートン号の長崎港侵入事件に伴う長崎警備のため、財政は苦しかった。改革が成功すれば余裕を生むはずだった藩財政も、藩主隠居のために建設される江戸屋敷への支出などで大幅な赤字になり、改革は失敗におわる。


 藩札は藩の信用を後ろ盾とする「紙切れ通貨」と言える。現在の「円」も金(きん)と兌換できず、国家の信用を後ろ盾とする「紙切れ通貨」だ。現在の日本も財政状況は悪く、景気の浮上を日本銀行の極端な金融緩和策に頼ろうとしている。福岡藩の天保の改革は、日本のそう遠くない将来を考えるうえで参考になる政策だろう。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「金融」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事