以前、投資家の目線476(日経の特集「食と農」)で書いたように、寛政のころ、農村人口の減少に悩んでいた武蔵国は、信濃や越後の国から奉公人を呼び寄せることで農村人口を増加させようと、彼らを雇い入れる際の手続きの簡素化などを求めていた。実際、現在の鴻巣市にあたるところの名主、福島幸作は「越後国にでかけ、大勢の奉公人を連れてきて村々で耕作にあたらせたが、しばらくすると給金も高くなり、また風俗も乱れてきたので取りやめになったという」(「埼玉県の歴史」 山川出版社:田代脩、塩野博、重田正夫、森田武 P219)。低賃金労働力の確保という点では限界があるし、家族帯同を認めず単身で赴任するとなれば、「風俗」の乱れは大きなものになるのではないだろうか?
「富山県の歴史」(山川出版社:深井甚三、本郷真紹、久保尚文、市川文彦)には、越中から北関東や東北の農村へ移住した農民について次のように書かれている。「越中からの移民は勤勉に働き、農業経営を発展させた。しかし、越後出身者とは違い、加賀藩領からの移民は信仰の違いにこだわり、婚姻関係はもちろんのこと、祭礼その他で地元農民との交わりをあまりもたなかった。このため彼らは、地元農民から新百姓として差別を受けることになった」(P206)。宗教施設は地域コミュニティの中心であり、宗教の違いは地域コミュニティの分裂を呼びそうだ。外国人労働者は、強力な地域コミュニティを持つ地方より、コミュニティの感覚の薄い大都市ほど向いていそうだ。しかし、人口集中で家賃が高騰すれば、ホームレスの増加要因になる。空きの多いシェアハウス対策にはなるのかもしれないが。
「労働力としてよんだが、来たのは人間だった」というスイスの作家マックス・フリッシュの言葉がある。外国人労働者を受け入れるのなら、海外の実例を研究し、できるだけうまくいく方法を探っていかなければならない。
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