餃子の王将事件では、「官邸周辺が捜査の行方を気にしてピリピリしているという話が出てきた」(p50)という記述がある。森友学園の土地売却問題といい、安倍官邸は関西に縁がある。王将の創業者加藤朝雄氏は福岡県飯塚市の出身で、福岡県への進出に力を入れていた。ところが北九州地区は工藤連合草野一家の力が強く進出は難航したという(p178)。安倍晋三首相の下関の自宅に火炎瓶を投げ入れた犯人は工藤会の関係者であった。王将のビジネス上のトラブル処理を行うU氏という人物が登場するが、実兄は京都市にある同和系団体の中心的人物であったという(p185)。関西電力幹部の金品受領事件に登場した福井県高浜町の森山元助役もかつて同和団体の関係者であった。
また加藤氏は戦争末期に召集され、満州で憲兵をしていたという(p216)。時期は違うが、安倍首相の祖父岸信介氏は満州国実業部次長に就いていた。グリコ森永事件の時、拉致されたグリコの江崎社長が着せられていた黒いオーバーコートは戦前から戦中にかけてグリコ青年学校で支給されたもので、黒色は旧満州・奉天のものだったという(p232)。
なお、「闇に消えた怪人」には、グリコ森永事件の時、森永製菓は自民党の食品産業議員連盟(安倍晋太郎会長)などに積極的に働きかけ、議連から申し入れを受けた農水省は異例の早さで対策本部を設置したと書かれている(p159)。安倍晋三氏と昭恵夫人が見合いしたのは事件のあった1984年である(女性セブン2017年4月30日号)。
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