ふきの指定席

終生 のほほんな生き様かと思いきや
人生の終盤にきて
ところがどっこいの日々

コーヒーを飲みながら・・

2014-09-21 07:37:45 | のほほんの記
・・チョコを 食べてしまう 朝のハヨから
これがよくないですね 
朝一で 取り合えずコーヒーを 飲みます
睡眠が ハチャメチャなので 朝一というよりも
寝て起きたら 取り合えずコーヒーを入れます
一年前までは 拘ってコーヒーを入れていたのですが ナンカそれも面倒に
今は単体のドリップコーヒーにしています
前の拘りが何だったのか 味はそんなに変わりません・・
これが長年の習慣
家族には内緒なのですが この頃チョコが仲間になることも多々あります
私が巨大化(ヨコノミ)するのは遺伝で 食欲の成せる業ではないと 常日頃言い続けています
タダシ私は突然変異で 一族はノッポでガリばかりですが・・・
なんのかんので 甘い物を口にしているところをみつかったら
我が家の男達から冷たい視線が・・

早朝はコーヒーを飲みながら
皆様のブログにお邪魔し ニコニコしたり 感心したり
また 自分でも のほほんなことをしたためたり しています
家族が起きてくるまで 
日々 ほんわか過ごしています
 
昨日の父ちゃんの戦利品
鯖2匹
イシモチ2匹(仲間からの貢モノ)
鯵はナシ
でした ニコ


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-0.8 チョコだめよ!

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やはりでしたけれど もうすっきりしました(11)

2014-09-20 09:00:38 | のほほんの記
35年前ハンガリーで経験したことの確信を得たいと 
長年心に抱き続けてきましたが
もう私の心だけに留めておきます
私のブログは この4月にスタートさせました 
訪れて下さる方も少ないので
確信を得る反応はそもそも 無理と諦めていました
今まで ハンガリーの国も含め かなり大きな媒体に
何回か私の思いをこめた 同じ内容の記事を載せたことがあります
それでも 反応ナシでした
なにしろ35年も前のことです
帰国してすぐハンガリーのことを調べはじめました
ブルーライトヨコハマがなぜ ハンガリーの地で流行っていたか
なぜ日本人が あの時は 尊敬もされ持てはやされたのか
ちなみに今はハンガリーの人々は 中国人寄り
日本人はnnn~みたいですよ
今だったら ケッとされ日本人は相手にされないのかも

情報は外部からもたらされるもの
その判断は個人に委ねられると思いますが
人間とは 深いようで浅い
人の考えは ときにはある種のコントロールで いかようにも変わる
それは 人の力の及ばない ナニカナノカ

私は35年前 ハンガリーの地で
夢のような経験をしました
列車の車窓から沈むゆく夕日を愛でながら
多くのハンガリーの人々から 日本の歌でもてなしをを受けた
これが夢の体験のピークです
それ以後も 語りつくせないほどの 幸せな経験をしていますが
もういいですね

シンシカ ジョゼフ氏とのその後ですが
帰国して1年ほど何度か文通のやり取りはしたものの 自然と音信不通に
私も変にかんぐりすぎて
国の体制のこと 人種間のことは 聞いてはいけないような気がして 
触れないし 書くこともありませんでした 
検閲でもあってジョゼフ氏に迷惑がかかったら大変・・・ナンテ
とんだ時代錯誤のオバカさんです
でも 男達が外に出てすぐジョゼフ氏が言い放った ヘイトロシアが
私にはかなり衝撃で とても慎重になってしまいました
1989年に起きたこと いっしょに喜ぶことができたらよかったのにと 
今でも時々思います

思い出旅はココデ終りデス
ここまで読んで下さった方
ありがとうございます
心より 感謝申し上げます



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今日も ひねもすのたりのたりかな ノ ヨカン

2014-09-20 06:22:12 | のほほんの記
父ちゃんは 珍しく海釣りに
今 我が家の車が通り過ぎる音がした
ちょっと前までは(カナリノ チョットマエ)ベランダから顔を出して見送ったものだが・・・
山姥に見送られても 興ざめと思い しないことに
今 早朝 出かけるのはゴルフがほとんどの父ちゃんだが
結婚当初の何年間は 明けても暮れても釣り三昧だった
ルアーフィッシングが殆どだったが
今日のような海釣りも 年に何度かしていた
今日は鯵を釣ってくる予定
前回も鯵6匹だった かなり小ぶりだったので 干物にしたが 
あれだけの“量”を 後生大事に持ち帰るサマが可笑しく
好きに生きてちょうだいと 寛容に微笑むブキミな私

息子もさきほど出かけた
夕飯もいらないそうだ メデタシ

男達は
元気で
留守がいい

ホント平和だワイ


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-0.8 なかなか もう一歩が 越えられない
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スコットランドの独立が否決

2014-09-19 16:20:42 | のほほんの記
興味を持って 事の成り行きを注視していました
私にはどちらがいいのか 勿論わかりません
血を見ることなく 独立の有無を問うとは 
イギリスも懐の深い 大人の国であると思いました
 
20代の時のヨーロッパひとり旅では
スコットランドへも 勿論行きました
ロンドンから夜行バスで向かったのですが
途中バスが故障をしてしまい 何時間も待たされることに
なんと交代のバスが ロンドンから向かっているとのこと
誰一人文句も言わず この国の人々は随分悠長だなと思いました
勿論私も自由気ままなひとり旅でしたから 
全然気にはなりませんでしたが
確か11月ごろだったと記憶しているのですが 寒さは感じませんでした
待っていてお尻が痛くなり 
外で少し身体を動かしていいですかと ドライバーに聞いたらOKの返事が
ドライバーも外に出てきて 漆黒の闇の中で 2人でストッレッチをすることに
何人かの人が私もと 外に出てきました
私 器械体操をしていましたので 私の指導のもとに 
気がつけば 乗車していた方のほとんどが 参加していました
懐かしい思い出ですね

スコットランドの首都である エディンバラは 
石造りの灰色の街の印象が とても強く 他の色の記憶がありません
今はどうなのでしょう
TVで見るかぎり 近代化され 私のイメージのエディンバラでは ありませんでしたが

ネッシーにも逢いに行きましたよ
アレだけ有名な存在なのに ネッシーに逢いに来ているは私だけ
全然観光化もされていなく もちろん看板一つも 何もありませんでした
いいなぁ
自然のままが一番
手垢をつけない スコットランド人の心意気を 20代の私はイタク尊敬しました

後にネッシーちゃんは 虚偽と判明したとかしないとか
今は どうなっているのでしょう
ネットで検索はしません
あの時の思い出のままで いいと思うからね

取り合えず独立はないとのこと
メデタシ メデタシ
で いいのかな?

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英語は話せません  

2014-09-19 09:57:14 | のほほんの記

英語で会話はしますが 話せません
英語で手紙を書きますが 辞書が手放せません

今は英語ができなくても
なんとでもなります
万能のetcを酷使できる時代です

35年前
私はヨーロッパ各地を 1人旅していましたので
英語ができると 誤解されがちですが 
できる できないで 言えば できません
日本の言葉で便利な「どうも」がありますが
それで 渡り通したと言いますか…
「どうも」のような 一言で多くを語れる言葉は 
英語にはないような気がしますが でも そんな感じで旅をしていました


私は肩こりなので(笑)
当時の若者達の定番 バックパッカーでの旅は不可能

握力は小学生並みなので重い荷物も持てません

当時の旅での所持品
 パスポート
 トラベラーズチェック
 サイフ
 ミニノート ボールぺン 手ぬぐい
 これらは ショルダーバックに

 歯ブラシ 練り歯磨き 日本手ぬぐい(めっちゃ便利 3枚持参)
 化粧石鹸(髪の毛も 洋服等も石鹸で洗う)くし
 着替え3日分 タダシ替えズボンは1本ノミ
 バカチョンカメラ(ほとんど使用せず)
これらを風呂敷で包み 小さなボストンバックに入れ 旅をしていました

けっこうワイルドだぜ~デスね
不潔は嫌なので 毎日洗濯 シャワーはしていました
ヨーロッパは乾燥していますから 洗濯物がすぐ乾きます
要は旅の必需品かもしれない
ガイドブック 辞書の類は 持ってはいませんでした 
 
英語が話せなくても 不思議と英語で会話ができます
相手が何を話しているかも 殆ど理解できます 
一度夜行列車で同室だったスイスの女の子と 
18時間ぶっとうしで英語で会話した経験があります

英語が通じない時は 堂々の日本語で通します
相手も私に言葉が通じないとわかると 
言語を変えてくるので

私も言語を変えます(タモリさんバージョンです)
だって一言語(日本語)しか話せないことがわかると 
結構バカにされます

私はこれだけの言語を話せるけれど 
あなたは?って 居直ってヤリマス

私の話せる言語には 
東北弁や大阪弁も入っています(ホントはそれも嘘 日本語すらあやうい)

怠け者の私
今では 英語の会話もできません
あの時の流れで 努力をしていればと
いやいや
人生で 努力など したことがありません
チャライ人生もまた良し
ナンテネ

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hate R・・・・a (10)

2014-09-18 21:35:05 | のほほんの記
コンパートメントにいた 男性2人が下車した
なんとなく感じてはいたが 2人は知り合いだった
私が中に加わってから 
2人・・・ なぜか3人の男達は会話をすることはなかった
2人が出たとたん
残った男性が「ヘイト ロシア」と 言ったのだ
彼らは ロシア人だったのかな・・・
残った男性の名前は シンシカ ジョゼフ
彼はとてもインテリで 英語がぺらぺらだった
35年前 ハンガリーの人達は 本当は英語ができるのに 
多勢の前では決して英語を話すことはなかった
これは私だけが感じたことなのかな
私は 色々な思いを察して
人種 政治の 質問はしないことにした
その年 ソ連がアフガンに進攻していたのだが
私は全然知らず 帰国してからその事を知り
あとで そうだったのかと 思うことが多々あった
当時西ベルリンにも行きましたが
戦争が起こるかもしれないから
早く日本に帰りなと言われたりもしていたのだ

ジョゼフに何処まで行くのかと聞かれ
終点までと答えたら
そんな所にホテルもないし大変だからと
終点より手前の駅にある 知り合いのホテルを紹介してくれた
送ってくれると言う
とんでもない タクシーで行きますから
ここはハンガリーだよ
それもとても田舎
タクシーなんて あると思っているのかい
ありゃ
ジョセフは自分が降りる駅を大分乗り越し
バスを利用して 私をホテルまで送ってくれた
帰りはどうしたかな
バスも 電車も終電のような気がしたが
申し訳なくて直接は聞けなかった

コンパートメントでジョゼフと2人きりになり 
我々は随分色々なことを話し合いました
後に文通を交わすようになったのですが・・・
今だったら メールで簡単なのにネ



にゃんともすんとも・・・
 
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我が家からの夕日 

2014-09-18 16:43:40 | のほほんの記

全然情緒なしですね・・・
住めば都で
私には この夕日さえも愛おしく 思えます
玄関の方が西ですが たまに 玄関を開けて夕日に愛でられると 
その愛おしさに 立ち止まり 見とれてしまうことも

朝日はビルとビルの間から
チョッコッと拝めるだけです
カーテンは常に閉めたままでないと
ご近所から丸見えになってしまいます

< 太陽と 月に抱かれ ひとつ星 >
 星は地球のことです
 皆 守られているのは 同じです
 仲良く 暮らしましょうね 

< ぶっ飛びの 泥川ここに 我語る >
 泥ハネのひどい私の川柳は 解説が必要のようです


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どうしてブルーライトヨコハマの曲が・・(9)

2014-09-18 10:59:15 | のほほんの記
35年前 ハンガリーの地で ブルーライトヨコハマの曲が
ハンガリーの皆さんの知りえる曲になったのか 
帰国後調べてみたのですが わかりません
私はかなり早とちりな人間ではありますが
あの時
私が日本人であることがわかっていてこその 
皆さんから自然発生したブルーライトヨコハマのハミングであったと思うのです
私は突然のことで パニクッテいました
わぁ~ブルーライトヨコハマ♪だぁ~
その時 何故が 私の思考回路に 現れてはいませんでした
進められるままに トカイワインをグイグイ飲んでしまいました
ふぅ~
アルコールを飲んで赤くなるのは 東洋人だけ・・・
特に日本人に多いと 何かの本で読んだことがありますが
私は旅をしながら
必ず地ビールを飲むことを 自分に課していたのですが 
なにせ 真っ赤になってしまいます
心配される度に
『ダイジョウブだぁ~』と答えながら
当然 この時も
トカイワインはとても口当たりがよく 美味しい
日も沈み
ハミングガ終わると共に
私の赤い顔が 酔ってしまった口実となり 
自然にコンパートメントの中に戻ることができましたホッ
若い時の私は赤くはなるけれど アルコール大好き 酔った経験もありません
(今アルコールは全くダメですが)
ホントは トカイワインに 心を残しながらも
この気恥ずかしい場から 逃れることができたことに 安心していたのです
コンパートメント内の3人の男達
何ごともなかったかのように チンモクの空間
私はワインを飲んで気持ちよくなっていたので
気づまりな空気も気にならなくなっていました

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-0.6  



 

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奇跡のハミングに・・(8)

2014-09-17 23:18:18 | のほほんの記
沈み行く夕日のあまりの美しさに しばし我を忘れ見とれていると
さきほどまで だれもいなかった通路に 人が1人 2人と出てき
気がつくと 立錐の余地もないくらいの人たちで 通路は埋めつくされていました
なんと夕日を見るためではなく 私を見るための人たちなのです
スターでもない限りこんなことありえないでしょう
ましてや私にです
あの入国審査官に出会った時から
私にはありえないことばかり起きていました
“ナントカとナントカは3日やったらやめられない”
まさにこのことなんだと思いました
(7)で もう慣れちゃって・・・と のたまっていますが
ハンガリーを出るまで
私は“スター”であり続けました

コンパートメントで同室だった男性の一人が ワインを私にご馳走してくれました
彼だけではなく 何人もの人達が 
手に手にグラスを持ち 私にご馳走しようと待ってくれています
私 何事が起きているのかわからず 放心状態
そして 誰からともなく 
あの名曲『ブルーライト横浜』のメロディーのハミングが
通路にいた人達全員の 合唱となって 私の耳に届いたのです
感動を通り越した気持ち なんだこれぇ~
あの時の気持ちに ピタリと当てはまる言葉が見つかりません
そんな経験をしているのに 心の隅であの綺麗な夕日を
静かに独りで完見できないことの無念もかすめ 
もうひっちゃかめっちゃか
白ワインが美味しい
トカイワインと言ってハンガリーでは有名なワインらしい
酒好きだけど 体質的に弱く すぐ真っ赤になってしまいます
でも美味しくてどれだけでも飲めちゃう私
とても感動的でいいシーンなのですが
酔っ払っちゃいました・・・
心がね


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・・夕日と対峙し 涙旅(7)

2014-09-17 16:17:03 | のほほんの記
チェコの国境近くの町に行きたいと
教えてもらった列車に乗った
私は固有名詞を覚えることが苦手で 都市の名前を全く記憶していない
旅の殆ど 私の人生のほとんどは 映像記憶であり そこから思い出を呼び起こしている
後ろが見えないほどの長い連結の列車で 
夜行列車だったのかな 全く覚えていない
コンパートメントに入ると 3人の男性がすでにすわっていた
軽く会釈をして中に入った
私に対して 興味100倍の空気感がもろ伝わってきたが
みんな視線をそらし 沈黙を決め込んでいる
男たちは 私よりかなり年上に 見える
モロ出しの緊張感が カワイイ
ちなみに3人とも 頭髪がサミシイ
東欧の男の人達は 若者も頭髪のフサフサな人をあまり見なかったし
何ゆえにかな・・
この変な緊張感に 私は慣れっこになっていました
余裕を持って英語で挨拶をしてみたのですが
彼らは目を合わせてはくれますが 
返答なし
これも わかりきったこと
なんとなく 申し訳なさと 気づまりを覚え 通路に出てみました
びっくり
荒涼とした大地に 夕日が沈もうとしているところでした
見渡すかぎり 家もなにもありません
ブダペストを出て そんなに時間は経っていないと思っていたのですが
いやぁ~綺麗だわ
日本語で思わずつぶやいていました

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人生最初で最後のスター感な旅(6)

2014-09-17 10:13:38 | のほほんの記
あくまでも昔々35年前のお話です

公安警察から 逃れたくなった私は
ブダペストを離れることに
もっとも夕方になれば 公安ちゃんは家?に戻ってしまいますが
公安ちゃんとも別れるとなれば 少し寂しい気持ちに
小太りで どんぐり眼
狸みたいで 可愛い 優しい オヤジさんでした
お笑い芸人の アンタッチャブル山崎さんに そっくり
仕草まで似ています 
彼をTVで見る度に 公安ちゃんを 思い出します
共産圏のあのブダペストで 当時ホームレスの方が 1人いらした
彼が私に話しかけようとしたその時 
あの山崎さんと同じオチャラケタ瞳で 公安ちゃんはダメダメと制止した
その時の仕草が 山崎さんとあまりにも似ているので
いつも思い出し笑ってしまう
とても懐かしく 胸にジーンとくる笑いです
「明日ブダペストを離れます・・・」と 挨拶をするべきだったかもしれない
とても親切で 優しくして頂いたことに 間違いはない
難しいことは抜きにして 私はそう感じていた
私は 公安ちゃんに お礼の一言もなく あいさつもせず ブダペストを離れてしまった
後にその事を どれだけ恥ずかしく思い 悔やんだことか
あの時 若い私は 見張られている感が苦しかった
離れることを言ってしまうと
また次の公安警察の方に守られるかもと思ってしまったのだ
夕方1人になった私は ブダペスト駅に向かった


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・・・涙ポロリンコの思い出旅(5)・・・

2014-09-16 17:12:20 | のほほんの記
・・・思い出旅(4)続き

< 呆け花の 臭いを避けて 旨き汁 >
   泥川柳では 自分の事を 花と例えています
   “華”ではないから許して下さい
   補足します
   ブログを書いていて 自分のあまりにもひどい文章といいますか 
   内容に 自己嫌悪におちいってしまいました 
   そんな思いに至るのは今回が2度目です
   読んで頂くのも恥ずかしく
   この川柳は
   こんな私のブログはスルーして下さい 
   タシャさんのブログの方が 何倍もいいですよとの意味です

   誤解を受けるとの指摘を受けました
   ご尤もです
   ご指摘ありがとうございます
   思いのまま 削除せず 補足の形にさせて頂きました
    
           
< うぬぼれも 己が後ろの 手鏡や >
   自己満足だけで書いているブログ
   それを人様に読んで頂けて嬉しいと思う自分 おこがましいですね
   今己が心と格闘中 
   読んで頂けると思うと 字が湧き出てきます
   でも 人様のブログのほうがより楽しくて
   
   
< 生きる道 思い出重ね 今を知る >
   思い出があるから 人は生きて行ける
   そんな気がします 私はカナ


< 食い意地に 悲しき涙 ドナウにて >
   ブダペストのカフェで この世の物とは思えないほど 
   ド不味いケーキを食べました
   その日初めて口にした食事です
   残さずに食べた自分が哀れで
   泣きながら ドナウ川ケイユで ホテルへ

< 戻り道 ドナウの旅に 哀れ男(ビト)>
   センチメンタルジャーニーを 気取っていたのに
   露出狂の男性に遭遇
   もぉ~
   街灯は点いているのですが 誰もいません
   コヤツ街灯の下で
   おかげ様で 涙目でも よく見えました

< 驚きも 我が懐の 深き知る >?
   旅をしていると
   何度もこの手の 男性と遭遇しました
   私は全然恐怖を感じません
   いつも哀れさのみを心に思います
   ただ淡々と 目にしっかりと焼きつけ 通り過ぎます
   経験はなくとも 百選練磨カモヨ
   

< 後ろ髪 引かれる思い いくタビぞ >
   一期一会は辛いですね
   素敵な街 素敵な人々の別れは 悲しい
   ブダペストを離れ ハンガリーの田舎町に行こうと思っています


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・・・思い出旅 (4)

2014-09-16 14:04:58 | のほほんの記

先ほどかなり大きな地震があり 思わずテーブルの下に 
私の慌てぶりに ひとり照れまくり
あの震災以来 どうしても敏感に反応してしまいます
とても 恐いです


ハンガリーでのことを書こうと思っていたのですが
気持ちが飛んじゃった
本当に私はノミの心臓の持ち主です
首都のブダペストは 
色々な国を旅した中でも 群を抜いて綺麗な都市だと思います
特にドナウ川沿いの綺麗さは圧巻でした
朝に夕に 何度もそぞろ歩きをしました

今はハンガリーも観光立国で 多くの人が訪れているようですが
35年前のあの時は 私のような旅行者には出会いませんでした
ソ連のアフガン進攻の影響も少なからずあったと思います
能天気な私は 夜でも平気でブラブラしていたのですが
ちょっと怪しげな 若者(男子)が 数人たむろっているくらいです
夜といっても7時頃ですよ
こんな時こそ 公安ちゃんがいてくれたらいいのに
勤務時間は厳守のようで 5時頃には いなくなります
巷では 日本人の変な女がいるよぐらい 情報が行き渡っているのか
公安ちゃんがいなくなると 誰もが声をかけてくれます
まぁアンちゃん達しかいないのですが 
とても有効的に 優しい眼差しを向けてくれます
なぜか皆 私の前で 空手のポーズを取ったり 合掌したりします
私が日本人と知っているからでしょうが
日本人にどんなイメージを持っているのか 聞きたい気もしましたが
英語が通じません
簡単な英語もダメでした???

お腹がすいているのに レストランらしき場所が なかなかみつかりません
カフェなのか 
わからず入ったところは お客は誰もいませんでしたが
ひょっとしてもう閉店していたのかもしれません 
そんな状況を無視して 
唯一お店で残っていたケーキを食べることに
砂糖の塊以外の何物でもありません 甘~い
涙 ポロリの 完食

微に入り 細に入り 記憶が蘇ってきます
自己満足の王道に ひた走っています

ここまで
お付き合い下さっている方 ありがとうございます
でも もう無視して下さい
恥じ入ります

呆け花の 臭いを避けて 旨き汁


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・・・やめられないさぁ~ (3)

2014-09-15 14:42:34 | のほほんの記

35年前 ハンガリーで 経験したことが 現実であると
自分の人生の確証を得たく 懲りずに書き続けています
これが 人生で最後と・・・決めて

あくまでも35年前の話です

ハンガリー滞在中 公安警察が近づ離れず 私の動向を見守っていました
その方の顔もはっきり 記憶しています
もう隠れもせず 私が困っていると すぐそばに来て 助けてくれました
本当は 何も困ったことはなく 
ちょっと立ち止まっただけで 
道に迷っているのかと 私の心が疲れてしまうほどの「親切心」なのです

あの入国審査官が 
日本の娘を助けるようにと 連絡でもしたのかな…
このことを帰国してすぐでしたが 
東ヨーロッパの情報通に話したことがあります
一言「コワッ!」と 言われました

…結果よければ すべてよし
1週間の滞在ビザを 有効に使い 
堂々の自由な精神で 恐いもの知らずの ハンガリー1人旅
夢のような時間を 25歳の私 経験しちゃいました

綺麗な 綺麗なブダペストに 2日間滞在
ブダペスト滞在中は ずっと同じ公安ちゃんが私に付いていました
それ故か 私に話しかけてくる人はいませんでしたが
みんな私に興味津々なのが 肌で感じます
付いて来るなよと内心思いましたが
親切心からだと 善意の解釈です
遠い日出国から女の子が1人 共産圏の国を旅している訳ですから
私にとって簡単なことでも 何かあったら大変と 
国がかりで守られている感じでした

なかなか先に進みませんね
思い出すだけで 胸がジーンとなり 
感情が震えてしまいます
疲れました

心の休憩が必要です 
とんでもないナルシストだわ 許してツカーサイ


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寄り道さま

2014-09-15 07:06:19 | のほほんの記
おはようございます
もう 嬉しくて お茶出しの準備をしていたのですが
父ちゃんの奴 ゴルフに行くんで 目覚ましより 30分も早く起きてきました
今日は殿様ゴルフ お仲間の人が迎えに来てくれます
心優しきお仲間は これまた約束の時間より30分も早く来られ 待って下さっています
なんや かんやで あわてて出発したものの 
忘れ物をし 戻ってきました
今 ベランダから 放り投げてやりました
ワタシ 山姥状態なので お迎えの方に 挨拶もできず 
大人人間失格です

車もねぇ
都会暮らしでは 何の必要性も感じません
30年の結婚生活で マンション購入時に1年だけ 車を持たない時期があったのですが
父ちゃんはこの世の終わりみたいに 寂しそうにしていました
完全にワタシの負け
今を楽しもうに考えを方向転換しました
未だ老後資金貯まらずデス
ケセラセラだわいっ! トホホ

去年の秋
父ちゃんと九州旅行をしたんですよ
なぜか 鹿児島だけ寄りませんでした
もったいない
ちなみに 私は45年前 修学旅行で 鹿児島に行きました
桜島にも 河口付近まで バスで行ったような記憶があります
あの時は とても静かな 桜島でしたが・・・・・

それにしても
毎日お墓のヨコを散歩なさるとは
粋ですね
お墓への寄り道はなさらないんですか(笑)

あの世のことも この世のことも 座して思う私
旅人とは 同じ背の高さなのに
視野が違いすぎます
ハンセイ

ごめんなさい
今日はオープンカフェで おもてなしをしてしまいました
また ヒミツの部屋で お待ちしています


板消しを されて喜ぶ 姥の花    
 



 
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