鹿追橋の近くの「頭首工」
本棚片付けは、ついつい読んで進まない。手にしたカミさんの母方の爺様の米寿記念冊子を読んでいたら、爺様夫婦が中鹿追地区で水田をやっていた話があった。水田があることで畑作農家から土地が湿気ると苦情があってやめたと記載があった。
昔、従兄弟達と見に行った施設を思い出し、旧鹿追橋の近くから音更町万年地区に水を引く「頭首工(とうしゅこう)」に立ち寄った。看板に「音更町土地改良区」とある。
昭和44年の頃、帯広から鹿追へ帰る拓殖バスに「万年経由鹿追行き」があり、ちょっとした冒険気分で乗ったことがある。木橋を渡った万年地区は水田が広がっていて鹿追町には無い景色だった。
そんな訳で、鹿追から万年まで水を引いてきた先人の苦労に思いを巡らし、グーグルアースで水路を辿ってみると、高台を避けながら土地の高低を巧みに利用して水を引いていて分岐するなどの工夫がわかる。重機や精密な測量機器が無い時代にここまでの作業は並大抵ではなかったはず。万年地区にある標語「今まで100年、これから万年」にいろんな思いを感じた。▼頭首工とはhttps://kotobank.jp/word/頭首工-103699
頭首工からの水路
デイ・サービスの日。人が増えたので上然別地区、美蔓地区の2人をお迎えに行くのが担当になった。
90歳になるおばあちゃんに鹿追町で最も遅くまで水田があった所と水路を教えていただいた。1950年にお嫁に来た時は、苗を植える手伝いをしたそうだ。
そして、この水路は音更町万年地区に然別川の水を流していて、地区で今でも草刈りをしているとのこと。
高台地区の酪農家のおじいちゃんにこの話をすると、6戸共同でボーリングしてポンプで水を汲み、水不足対策をしていたが、町の水道が整備され役目を終えたとのこと。酪農の拡大は水との戦いだと元農協理事の言葉に重みがある。古くから水が生活や経済の命綱とあらためて知る機会だった。ジオジオするねー。この話をデイ・サービスの朝の挨拶にしてたら、水の苦労を思い出したと言ってくれた。高齢者一人ひとりの歴史を知り学んでみたい。
▼鹿追町のおもしろいこと
https://www.shikaoi.net/contents/sightseeing/
http://tokachibare.jp/about_tokachi/towns/shikaoi/
https://www.shikaoi.net/contents/outdoor/
https://gazoo.com/drive/mura/shikaoi.html
▼ジオパーク
http://www.geopark.jp/geopark/tokachi-shikaoi/
▼神田日勝記念美術館
▼北海道ツーリズム大学
▼グレートフィッシング
▼田舎暮らしのススメ
▼女性のための農業研修プログラム
http://www.tokachi.or.jp/puremalt/
▼トカチナベ
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