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1月8日の祈祷会の内容です。

2025-01-07 19:51:00 | 日記
祈祷会      士師記20:1~25「悲しみの物語」     2025.1.8

 士師記19~21章は、イスラエルの12部族の中で、ベニヤミン族が滅んでしまうかもしれない危機が書かれてあります。この間の主題は「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(士師記21:25)です。

 エフライムの山地の奥に1人のレビ人がいました。レビ人はユダのベツレヘムから1人の女性を側女として迎え入れます。その側女がレビ人を裏切り、自分の実家に帰ってしまいました。レビ人は側女を連れ戻すために、側女の実家にやって来ます。和解して、レビ人は側女を連れて、自分の家に帰ろうとします。旅を続けて、ベニヤミン族のギブアにやって来ました。そこで、1人の老人の家に泊まることになりました。その家で事件が起ります。町のならず者が家を取り囲み、戸をたたいて、「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい」といいます。家の老人は拒否します。でも、ならず者たちは承知しません。そこで、レビ人は側女をつかんで、外にいる人々の所に押し出すと、ならず者たちは、側女を知り、一晩中朝になるまでもてあそび、朝の光が射すころようやく側女を放しました。朝になるころ、側女はレビ人のいる家の入り口にたどりつきましたが、倒れて、死んでしまいました。レビ人は、死んだ側女をろばに乗せて、自分の家に戻ります。家に戻ると、レビ人は刃物を取って側女をつかみ、その体を12の部分に切り離し、イスラエルの全土に送るのです。これを見たイスラエルの人々は大きな衝撃を受けて、ミツバに集まります。

 ミツバにイスラエルの全部族、剣を携えた40万の歩兵が集まります。ベニヤミンの人々も、イスラエルの人々がミツバに集まったことを伝え聞きます。イスラエルの人々はレビ人に「このような犯行がどうして行われたのか説明してもらいたい」といったので、レビ人は「ベニヤミンのギブアに来て、わたしは側女と共に宿を取っていました。ギブアの首長たちがわたしに向かって来て、夜、わたしの泊まった家を取り囲み、わたしを殺そうとして、側女を辱めて死に至らせたのです。わたしは側女をつかみ、その体を切り離して、イスラエルの嗣業の全耕地に送りました。ギブアの首長たちがイスラエルの中で極悪非道なことをしたからです。イスラエルのすべての人たちよ。ここで話し合って、協議してもらいたい」といいます。レビ人の説明の中で、ギブアの首長たちとありますが、実際はギブアのならず者たちです。また、レビ人は、自分が側女をつかんで外に押し出したのです。自分の都合の悪いことは隠しています。

 イスラエルの人々は、ギブアの人々に対して攻め上ろうと決めました。ベニヤミンがイスラエルの中で行った非道の制裁をしようということです。イスラエルの人々はすぐに、ベニヤミン族を攻めようとしませんでした。まず、ベニヤミン族に「あなたたちの中で行われたあの犯行はなんということか。今、あのならず者の犯人を引き渡せ。犯人を殺して、イスラエルの中から悪を取り除こう」と聞いたのです。ここで、ベニヤミンの人々が、イスラエルの人々の声を聞いて、ならず者たちを出せば、よかったのです。ならず者たちが殺されて、それでこの騒動は終わりとなるはずでした。ところが、ベニヤミンの人々は、イスラエルの人々の声を聞かず、戦おうとするのです。これから最も悲劇的な展開になっていきます。イスラエルの全部族の中で11部族対ベニヤミン族との戦争となっていきます。どうして、ベニヤミン族はそのような決断をしたのでしょうか。分かりません。

 ベニヤミン族は剣を携えた兵士26000人と、ギブアから兵士700人が集まりました。一方、イスラエルの人々も剣を携えた兵士40万人が集まっています。イスラエルの人々はベテルに集まって、神に問うています。「我々のうち、誰が最初に上って行ってベニヤミンと戦うべきでしょうか」と。主は「最初はユダだ」といわれます。翌朝、イスラエルの人々は行動を起して、ギブアに対して陣を敷きます。イスラエル対ベニヤミンの戦いが始まりました。1日目は、22000人のイスラエル兵が倒れました。大きな被害が出たのです。イスラエルの人々は、主のみ前に上って、夕方まで泣き続け、主に問うていいます。「兄弟ベニヤミンと、再び戦いを交えなければなりませんか」と。主は「ベニヤミンに向かって攻め上れ」といいます。2日目も戦いになっていきます。またも18000人のイスラエル兵が倒れてしまいました。ここまでが、今回の聖書の箇所の内容となっています。

 その後は、3日目の戦いでやっとイスラエルの人々の勝利となっていきます。イスラエルとベニヤミンとの戦いの結果として、ベニヤミン族が滅んでしまうかもしれないという危機になっていきます。そうならないように、イスラエルの人々は努力していきます。そして士師記は終ります。神はどうして、この戦いを止めようとしないのでしょうか。分かりません。この戦いは、イスラエル全体に大きな悲劇となっていきます。どうして、そうならないようにすることができなかったのでしょうか。それは、それぞれが自分たちの正しさを主張しているからだと思います。自分たちの正義といいますか。自分たちの正しさといってもいいかもしれません。その正しさがぶつかって戦争となり、大きな悲劇になってしまったのです。

コヘレト7:15~16
善人がその善のゆえに滅びることもあり、善人すぎるな。賢すぎるな。どうして滅びてよかろう。

 自分たちは罪人である。弱い人間であると受け止めることができることは、本当に大切なことだと思います。自分の弱さを知り、自分の罪を知り、人間同士互いに弱い存在だと知り、互いに許し合い、愛し合うことができるようになるからです。自分の弱さを知る人が本当は強いのかもしれません。神は自分をも愛し、他の人々も愛してくださっているのです。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。自分の正しさを強くすると、本当の自分が見えなくなってしまいます。神の前で、私たち1人1人は、罪深く、弱い存在であることを知り、そのことを喜んで、受け入れて、互いに愛し合うことができること、許し合うことができるように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)



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