gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

12月22日の礼拝の内容です。

2024-12-21 20:33:00 | 日記
12月22日の礼拝の内容です。讃美歌は、258.263.265.269.81.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/6meQebL04Es?feature=shareです。

礼拝説教    マタイ1:18~23「神は私たちと共にいます」   2024.12.22

 クリスマスおめでとうございます。2024年のクリスマス礼拝を、このようにお祝いすることができますことを神に感謝したいと思います。毎年毎年、この時期に私たちはクリスマスをお祝いしていますが、その年その年で、それぞれのクリスマスを祝っていると思います。皆様にとって2024年は、どのようなクリスマスなのでしょうか。

 今日の聖書の箇所は、クリスマスの時によく読まれる箇所です。クリスマスの出来事を男性のヨセフの視点から書かれてあります。イエス・キリストの誕生の次第について、次のようであったとあります。母マリアはヨセフと婚約していたが、2人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになったとあります。ユダヤでは、結婚について厳しい考えがありました。結婚の前に約1年間の婚約期間があります。この時には、まだ夫婦とはなっていませんが、夫婦であるかのようにふるまうことが求められていました。特に、男女間の性的な健全さが求められていたのです。ヨセフとマリアもおそらく両親が決めた結婚なのでしょうか。今のように自分が結婚相手を選ぶことは少なかったと思います。この婚約期間中に、2人は結婚のための準備をしていくのです。男性として夫としてどうあるべきかを準備していくのでしょう。女性として妻として、どのように過ごしていくのかを期待と不安を交えながら、この時を過していくのでしょう。

 ヨセフとマリアが婚約中に、マリアが身ごもることはあってはならないうことでした。十戒の中に姦淫をしてはならないとあります。この姦淫の罪は石打ちの刑に当ります。つまり、死刑になることを意味します。厳しい状況が待っているのです。そのことがマリアに起っているのです。マリアに対する受胎告知はルカによる福音書に書かれてあります。ルカは、天使ガブリエルから語られた受胎告知にマリアは不安と戸惑いで答えています。しかし、最後は、神の御心であることを告げられて、マリアは自分に与えられた受胎告知を受け入れています。マリアの妊娠は聖霊による働きであるとマタイが告げています。

 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心したと書いています。結婚前にマリアの妊娠を知って、夫になるはずのヨセフは、ひそかにマリアとの婚約関係を切ろうと考えたということです。ヨセフの正しさが強調されていますが、実際には、マリアを切り捨てるということだと私は思います。このような時に、男性は簡単に逃れることができます。しかし、女性は、その重荷を生涯背負っていくことになっていきます。マリアと婚約関係を切って、ヨセフは新しい女性と出会い、新しい結婚生活を始めることが容易です。しかし、マリアは、新しく生まれる子を育ていかなければならないのです。マリア自身も罪の女と言われ続けることになります。マリアの子も罪の子として生きていくことになっていきます。

 マリアと婚約関係を解消しようとひそかに考えていたヨセフに、主の天使が夢に現れて、「ダビデの子ヨセフ、恐れず、妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」といいました。マタイは、イエス・キリストの誕生のことを、このすべてのことが起ったのは、主が預言者を通していわれていたことが実現するためだったといっています。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 このマタイによる福音書は、クリスマスの出来事を、インマヌエル、つまり神は私たちと共にいてくださる、ことだと告げているのです。このマタイによる福音書を読んでいて、大切なことがあります。マタイによる福音書は、新約聖書の一番、最初に来ているということです。そして、マタイ1:1~17は、イエス・キリストの系図が書かれてあります。そして次に、イエス・キリストの誕生の次第はと、なっています。イエス・キリストの誕生の前に、イエス・キリストの系図を書いているのです。ここが、旧約聖書と新約聖書を結び付ける大きな役割になっていることに、私たちは気づくのです。

 このイエス・キリストの系図が、大きく3つに分けられていることに気づくのです。それぞれが14代と数えられています。マタイ1:1には、アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図となっています。1は、アブラハムからダビデまで、2は、ダビデからバビロン捕囚まで、3は、バビロン捕囚から、イエス・キリストまでと、なっています。つまり、アブラハム、ダビデ、バビロン捕囚、そして、イエス・キリストへとつながっています。アブラハムは、イスラエルの人々の初めです。ダビデは、イスラエルの人々の栄光の時代です。バビロン捕囚は、イスラエルの人々の苦しみの時代です。

 イスラエルの人々の始まりであるアブラハムについて、その弱さについて触れてみたいと思います。創世記の内容となります。イスラエルの祖であるアブラハムには子どもがありませんでした。アブラハムとその妻サラです。2人は、神に子どもを与えてくださいと祈っていました。また、神の2人の祈りに答えて、子どもを与えてくださる約束してくださっていたのです。しかし、なかなか2人には子どもがうまれませんでした。そこで、妻のサラは他の女性のエジプト人ハガルによって、子どもを得ようとしました。アブラハムとハガルの間に、子どもが生まれました。それが、イシュマエルです。アブラハムは、自分の子どもが生まれて喜んだのです。しかし、後に、2人に子どもが生まれました。それがイサクです。イサクが生まれて成長していくと、アブラハムとサラは、ハガルとイシュマエルを追い出してしまいました。自分の置かれた事情によって、その時その時に必要なことが変っていくのです。ハガルとイシュマエルは、アブラハムとサラの犠牲者になります。

 また、イスラエルの黄金期にあたるダビデですがサムエル記の内容となります。ダビデは多くの妻を抱えていたのですが、ある日、1人の女性を好きになりました。その女性は、ダビデの家来の1人の妻でした。ダビデは、その家来の妻を、自分の妻とするために、イスラエルが他の民族と戦っている時に、自分の軍の将軍に密かに手紙を送ります。その手紙を妻の夫に持たせるのです。その手紙の中には、その家来を、敵との戦いの最前線に送り、家来を残して退却させよという命令でした。そのダビデの手紙の内容は、敵との戦いの中で、実行されて、その家来は戦死してしまったのです。自分の夫の戦死を知った妻は悲しみます。悲しみの時を終えると、その女性はダビデの元に行き、妻となっていくのです。このダビデの行為はすべて、神の知られていました、後に、神の罰を受けて、ダビデは大きな苦しみを持つことになっていきます。

 バビロン捕囚です。旧約聖書の中で、イスラエルの人々にとって、一番に苦しい出来事となっていきました。バビロン捕囚は、紀元前6世紀に起った出来事で、ユダヤ人がバビロンに連れて行かれた期間をいいます。この出来事は南ユダが滅び、エルサレム神殿が破壊された時に始まったのです。バビロン捕囚は約70年間続き、多くのユダヤ人がバビロンに強制移住させられたのです。この間に、ユダヤ人は自分たちの宗教を保つために努力しました。エルサレムに帰還してから、エズラ・ネヘミヤ時代に、神殿の再建を成していくのでした。バビロン捕囚はユダヤ人の歴史において非常に重要で、悲劇的なことであり、ユダヤ人自身の存在と信仰を強化する役割を果たしたといえると思います。

 イスラエルの人々にとって、旧約聖書は大切な部分です。その上で、イエス・キリストの誕生による新約聖書が形成されていきました。マタイによる福音書の最初にあるイエス・キリストの系図は、イスラエルの人々が自分たちの歩みを振り返っているものです。自分たちの存在の根拠となっているものです。アブラハム、ダビデ、そしてバビロン捕囚が、イスラエルの人々の存在そのものなのです。それは、苦難の歴史そのものでした。また、罪の歴史の繰り返しそのものです。そのイスラエルの人々の歩みの中に、神の子イエス・キリストが誕生していくのです。

 そして、その続きとして私たちの歩みの歴史ということになっていきます。私たち日本の歩みを振り返ってみると、イスラエルの人々と違う歩みがあるでしょうか。神の前に素晴らしい歩みということができるのでしょうか。日本だけでなく、人間の全体の歴史を見ていても、同じように戦争の歴史です。敵意と憎しみと戦争の繰り返しの歴史といってもいいと思います。神は、イスラエルの人々を選ばれたました。その理由は、最も数の少ない民であったからといわれています。でも神は、私たち人間に対して、愛することを止めることはしませんでした。それが、クリスマスです。マタイは、インマヌエルといいました。神は私たちと共にいてくださるということです。神は、私たちに、独り子イエス・キリストを送ってくださいました。これが、神が私たちと共にいてくださるという意味です。クリスマスは、神が私たちと共にいてくださることを意味しています。クリスマスを心からお祝いしようではありませんか。

祈り 神よ。クリスマスの礼拝をこのように守ることができましたことを心から感謝します。神はイスラエルの人々を選び、神の救いの業を行ってくださいました。イスラエルの人々の歩みは罪の歩みそのものでした。そのために多くの苦難を味わっていくことになっていったのです。そして、そのイスラエルの人々の中から、神の子イエス・キリストの誕生を成し遂げてくださいました。イスラエルの人々の罪を赦すために、やがて、私たちすべての人間の罪を赦すためです。あなたの救いの業を改めて、このクリスマスの時に受け止めることができました。この感謝を、忘れることなく、過していくことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿