12月15日の礼拝の内容です。讃美歌は、241.242‣3.459.476.91‣1です。
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礼拝説教 使徒13:16~25「救い主を送ってくださる」 2024.12.15
私たちは今、瀬戸永泉教会で、日曜日に集まって、神を礼拝しています。ふと、これはとても不思議なことだと考えてしまいます。私たちは今、聖書では使徒言行録を読んでいます。これは、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、当時の世界の中心であったローマにまで伝わっていくことが書かれてあります。その福音の流れは、今、日本の愛知県瀬戸市にある私たちの教会まで伝わっているということです。ここまで約2000年という時の流れがありました。時を越えて、イエス・キリストの福音は全世界に伝わっていったのです。使徒言行録の中心的な聖書の箇所があります。
使徒1:8
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
この言葉がその通りになっていくのです。すごいことだと私は考えます。使徒言行録は全部で28章あります。1章~12章は、イエス・キリストの福音がユダヤ人にむけて語られています。13章~28章は、異邦人にむけて語られているのです。今日、私たちは使徒言行録の13章を読んでいます。聖書の後ろに聖書地図がありますが、7、パウロの宣教旅行1には、パウロの第1回伝道旅行の様子が書かれてあります。地図を見ると、パウロの行程が見えてきます。アンテオキア教会から出発して、キプロス島に渡ります。そして、船でパンフリア州のベルゲに渡ります。ここで、パウロとバルナバと共に一緒にいたマルコが、伝道旅行の困難さに負けて、エルサレムに帰ってしまったことを前回見てきました。旅行の様子を見ると、ベルゲで伝道をしたかといえばしなくて、すぐにピシディア州のアンテオケに行っていることが分かります。後にパウロは、マルコが伝道旅行の途中で帰ったことを批判しています。
そのパウロですが、このベルゲで伝道しなかった理由がありました。それは、パウロは素晴らしい伝道の働きをしていくのですが、大きな困難を抱えていたのです。それはパウロ自身の肉体のとげといわれる病気のことです。このパウロの病気はしばしば、パウロの伝道旅行の歩みを止めることになっていくのでした。そのためにパウロは神に、自分の病気を癒してくださるように祈ったのですが、適いませんでした。そのパウロの肉体のとげですが、マラリア熱だったのではないかといわれています。この病気によって、ベルゲでは熱で苦しみ、高い場所に移動する必要があって高地にあるピシディア州のアンテオキアへ行く必要があったのです。パウロの命に関わる問題が起っていたと思われます。でも、そのアンテオキアで、パウロは伝道していくのです。
ピシディア州のアンテオキアで、まずユダヤ人の会堂に入っていきます。その日は安息日でした。そこでは律法と預言者の書が朗読されました。その後で会堂長が人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と勧められています。そこで、パウロは立ち上がって、手で人々を制して話し始めます。これが、使徒言行録に残るパウロの完全な形での説教といわれています。パウロが語っている相手はイスラエルの人々です。ピシディア州のアンテオキアのユダヤ人会堂で安息日に、ユダヤ人に語っているのです。「イスラエルの人たち、神を畏れる方々、聞いてください。この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもって、そこから導き出してくださいました」と、まず話しています。パウロがまずユダヤ人に語っていることは、神がイスラエルの民を選び出してくださったこと、エジプトで長い間、奴隷の状態であったことを高く上げた御腕を持って、そこから導き出してくださった、つまり出エジプトの出来事をいっているのです。
さらに「神はおよそ40年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、カナンの地では7つの民を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです」といいます。出エジプトから、荒れ野の旅を40年間したこと、その間に、イスラエルの人々の行いを耐え忍んでくださったといって、罪の深さを強調しています。それと共に神のイスラエルの人々に対する深い忍耐を思うのです。これは450年に渡ることだといい、「その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました」といっています。これはまさに士師記の内容になります。今、祈祷会では、この士師記を読んでいます。士師の登場と、イスラエルの人々の罪の深さを書いています。
そして、「後に人々が王を求めたので、神は40年間、ベニヤミン族の者でキシユの子サウルをお与えになり、それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ」と、いっています。これはサムエル記の内容になっています。イスラエルの人々は、繰り返される諸民族の戦いがあって、自分たちの指揮官である王を求めたのでした。その最初の王がサウルでした。そのサウルは、神に従うことがなくなって、サウルを退けて、新しくダビデを王として選ばれたのです。そのダビデについて、「わたしはエッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです」と、いっています。ここでパウロがいっているように、ダビデの子孫から救い主イエスを送ってくださったと宣言しているのです。
そして、パウロは、洗礼者ヨハネのことを取り上げています。「ヨハネはイエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました」と、伝えています。更に、パウロは洗礼者ヨハネのことを「その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこういいました。わたしを何者だと思っているのか。わたしはあなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない」と、いっています。
パウロの説教はまだ続いていきますが、神は、多くの民の中から、イスラエルを選び、人間の救いの業を行ってくださっているとことを、イスラエルの人々に語っています。エジプトでの奴隷の時、荒れ野の旅の苦しみ、約束の地に入るための準備とその後、約束の地に入ってからの士師時代、預言者サムエルの時代に、王制が始まり、サウル、ダビデと続いていくこと、時に、ダビデの子孫から、救い主が生まれることを語り、それがイエス・キリストであることを告げるのです。
私たちは祈祷会で、旧約聖書を読み続けています。創世記から始まって今は、士師記を入っています。そこには、神に選ばれたイスラエルの人々の苦しみ、特に、罪の歴史を見続けています。神によって選ばれたのに、神の期待に反して、神に反逆し続け、罪を犯し続けている姿です。どうして、このような罪深いイスラエルの人々を神は選ばれたのだろうかと考えてしまいます。でも、罪深いから神はイスラエルの人々を選ばれたのでしょう。人間とは何か。いかに、人間は神に対して、罪を犯し続ける者か、いかに神に従うことができないかを、旧約聖書を通して、教えてくれるのです。
神が、私たち人間の罪の救いのために、本当に長い時間をかけてご計画してくださることを改めて知ることができました。神は、この世界を創造し、人間を造られ、そして、人間が神に反逆し、罪を犯して、神から離れて、苦しんでいく。人間は自分たちが犯した罪によって、自分自身を苦しめ、他者を苦しめていく。このままでは人間は完全に滅んでしまいます。そのような人間の滅んでいく姿に、神は行動されていくのです。旧約聖書を通して、イスラエルの人々を選び、神の民として生きることの意味を教えてくださいました。神の教えである十戒を中心とした律法、幕屋は祭司制度など、イスラエルの人々の生活に即したものとなっていきました。ダビデを選んで、その子孫から救い主であるイエス様が生まれて来ることを預言してくださったのです。
今、私たちは教会暦で、イエス・キリストの誕生を待ち望む待降節を過しています。来週には、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス礼拝を守ります。今から2000年前に、ユダヤのベツレヘムで、神の子イエス・キリストがお生まれになるのです。家畜小屋の中でお生まれになり、家畜のえさが置いてある飼い葉桶の上に、神の子は寝かせられるのです。寂しい場所で、誰にも知られない場所で、静かにお生まれになりました。その神の子は、私たちのすべての罪を背負って十字架につけられて死ぬために、お生まれになったのです。神の救いの業が、このイエス・キリストの誕生と、その後の十字架の死と復活につながっていきます。私たちは今日、パウロの言葉を聞いて、救い主の誕生を、心からお祝いしようではありませんか。
祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロの説教を聞きました。それはあなたの深い救いの業を見ることができました。長い長い時間をかけて、あなたは、私たちのために救いのご計画をしてくださいました。今、私たちはクリスマスを待つ日々を過ごしています。あなたが私たち1人1人のためにしてくださったこと、そして、そのあなたの救いの業がどのように完成されるのかを、希望と期待を持って、待ち望むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
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