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12月8日の礼拝の内容です。

2024-12-07 20:22:00 | 日記
12月8日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.242‣2.200.403.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/ZRfpr572Ag0?feature=shareです。

礼拝説教        使徒13:13~15「失敗から学ぶ」     2024.12.8

 「失敗から学ぶ」という説教題で、今日の聖書の箇所から考えてみたいと思います。皆さんは失敗したことがあるでしょうか。おそらくですが、ここにいる方はすべて失敗したことはあると思います。自分は今まで一度も失敗したことはないという人はいないと考えます。失敗にもいろいろなものがあると思いますが、絶対にしてはいけない失敗もあると思います。例えば、人を殺すなどということです。極端な話ですが、そのような絶対にしてならない失敗もありますが、私たちが多くする失敗はいろいろです。昨日でも忘れることのできない失敗をすることは起って来ます。

 新型コロナウィルス感染症からYouTube配信を始めました。初めは手探りで失敗ばかりでした。配信ができない、音が出ていない、ノイズが起っているなど、きりがありませんでした。新しい配信手段を始めた時に、画質はいいのですが、音がまったくダメだった時がありました。その時には、音響関係を新しい設備にしていただきました。今でも、配信を始める時はドキドキです。必ず祈ってからしているのです。また、その他にもいろいろな失敗があります。失敗しない方がいいのですが、失敗することは避けることができないものです。問題は、そのしてしまった失敗をどのように受け止めるかだと考えます。

 今日の聖書の箇所は、ヨハネの失敗のことを取り上げてみます。このヨハネは別の名前をマルコといいます。これからのことを考えてマルコといわせていただきますことをお許しください。使徒言行録は13章に入って、異邦人伝道が本格化していきます。異邦人の初めての教会としてアンテオケ教会が誕生しました。そこには多くの人々が集まっていました。教会の人々が神に礼拝をしている時に、または断食をしている時に、聖霊が「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって2人に決めておいた仕事にあたられるために」という言葉によって、教会の人々は断食して祈り、2人に手を置いて出発させるのです。

 第1回伝道旅行のスタートです。聖霊によって送り出されたバルナバとサウロはアンテオケ教会を出発し、キプロス島に向かって船出しました。このキプロス島はバルナバの出身地です。故郷伝道ということになるでしょうか。この時に、2人はマルコを助手として連れて行きました。このマルコはバルナバの親戚にあたります。キプロス島の伝道が終り、キプロス島のパフォスから船出し、パンフィリア州のペルゲに来ました。ここで、マルコはバルナバとサウロの一行から離れてエルサレムに帰ってしまったのです。このマルコがどうして急に伝道旅行の際に、途中で帰ってしまったのか、これが後で大きな問題となってしまいます。このマルコの伝道旅行の時の失敗といってもいいと思いますが、この点を考えていきたいと願います。どうして、マルコは第1回伝道旅行が始まって、一緒に同行できるという状況だったのに、途中で挫折してしまったのでしょうか。とても残念なことだと思います。

 マルコの挫折の理由ははっきりとは分かっていません。だから、失敗の理由は分からないということになってしまいます。考えられることが、マルコはバルナバの親戚といいました。実は、第1回伝道旅行が始まった時は、リーダーはバルナバでした。ところが途中から、それがパウロに変っていきます。使徒13:4、7には「バルナバとサウロ」となっています。使徒13:9には「パウロとも呼ばれたサウロ」となっています。その後、使徒13:14では「パウロとバルナバ」と変わっているのです。そのリーダーがバルナバからパウロに変ったことがマルコによって気に入らなかったからというのが、挫折の1つの理由といわれています。次が、伝道旅行には様々な困難があって、その伝道の困難にマルコは耐えることができなかったというのがその理由になっています。このマルコの挫折が、大きな問題になって行くといいましたが、それは、第2伝道旅行が始まる時に起って来ます。

 使徒15:36~41です。第1回伝道旅行が終って、異邦人への伝道についての協議を行ったエルサレム会議が終ってから、第2回伝道旅行に出発することになりました。それはパウロの言葉から始まっていきます。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って、兄弟たちを訪問しどのようにしているかを見て来ようではないか」というものでした。パウロの提案は、第1回伝道旅行に行った後の様子を知りたいということだったと思います。この時に、問題が起って来ます。それは、バルナバはマルコを連れて行きたいと思ったのです。一度は挫折して、伝道旅行の途中で帰ってしまったけれど、成長するチャンスを与えたいと考えたのです。バルナバらしい考えだと思います。パウロが回心でして、キリスト者になった時に、エルサレム教会の人々は、パウロを警戒して受け入れようとはしませんでした。その時に仲介したのがバルナバでした。バルナバの考えはマルコにとって、とても嬉しい事だったと想像します。しかし、反対する人がいました。それは第2回伝道旅行を計画したパウロです。パウロの言い分は、前にパンフリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は連れて行くべきではないと考えたからです。パウロの考えも理解できますし、バルナバの考えも理解できます。どうすればいいのでしょうか。

 この時に、バルナバは自分の考えを曲げなかったのです。慰めの子といわれたバルナバは、しっかりと自分の考えを持ち、必要ならそれを実行する強い思いは持っていたのでした。ここで、パウロとバルナバの意見が激しく衝突してしまいます。ついには別行動をとるようになってしまいます。第1回伝道旅行で一緒に行った者同士が、ここで激しい意見の対立によって、別行動してしまうことは大きな悲しみだと思います。何とか仲直りすることはできなかったのでしょうか。残念なことです。初代教会にこのような激しい対立があったことは忘れてはいけないと思います。バルナバはマルコを連れて、キプロス島に向かって船出します。ここからバルナバの記録は途絶えてしまいます。一方でパウロはシラスを選び、教会の兄弟たちから主の恵みに委ねられて出発します。このように第2回伝道旅行は、パウロはバルナバと離れて、伝道旅行を続けていきます。使徒言行録は、その後、パウロの旅を追っていきます。パウロはシリア州やキリキア州を回って教会を力づけていきます。考えみれば、パウロとバルナバの対立は、伝道旅行が2つ行われるというメリットにもつながっていきます。

 その後のマルコはどのようになっていくのでしょうか。実は、マルコはパウロの伝道にとって大切な役割を担いようになっていくのです。

2テモテ4:11
ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。

 第1回伝道旅行の途中で、伝道旅行の困難さのために挫折して、途中で、エルサレムに帰ってしまったマルコ、彼はその後、どのような気持ちでいたのでしょうか。また、第2回伝道旅行が始まる時に、自分を連れて行くかどうかでバルナバとパウロが激しく対立し、別行動をとることになってことをどのように受け止めていたのでしょうか。使徒言行録は第2回伝道旅行の様子を、パウロを中心に書いていますので、バルナバとマルコの働きについては書いていませんので分かりませんが、おそらく最後まで、バルナバと共にマルコはその伝道の働きを全うしたのでしょう。それから時が流れて、パウロの伝道の働きに同流することになっていったのでしょう。マルコの働きは、パウロにとって良きものだったのでしょう。それがパウロの手紙の中に書かれてあります。

 人は生きていく中で、いろいろな失敗をしていきます。その失敗の中で成長していくのです。そういうパウロ自身も、かつては熱心なユダヤ教徒として、教会を攻撃し、迫害を加えていました。そのようことから、イエス・キリスト出会い、アナニアやバルナバの働きによって、教会の伝道者として働くことができるようになったのです。そういう意味で、パウロ自身も失敗を経験しています。

 今、私たちは教会暦で待降節を歩んでいます。イエス・キリストの誕生を待ち望んでいます。神の子イエス・キリストがわたしたちのために、この世に来てくださるのです。それは、私たち1人1人のために、罪を贖い、永遠の命を与えるためです。神に感謝しながら、私たちは、自分たちができることをして、神の恵みに応えていきたいと思います。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができますことを心から感謝します。マルコの失敗のことをみてきました。人は多くの失敗をしてしまいます。でも、その失敗を通して、成長していきます。私たち1人1人が、神に愛されていることを知っています。小さな私たちですが、あなたのために働くことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。



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