
祈祷会 サムエル記上2:18~36「サムエルと祭司エリの息子たち」 2025.3.12
サムエルは、母ハンナの祈りによって、神の祝福を受けて生まれて来ました。ハンナは祈りの中で、「男の子を与えてくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません」とありました。生まれた男の子の名前も、主に願って得た子どもなので、その名をサムエル(その名は神)と名付けています。乳離れが終って、ハンナは、その子を連れて、シロの主の家に上って行きました。ハンナは祭司エリに「わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことを適えてくださいました。この子は生涯、主に委ねられたものです」といい、託すのです。
サムエルは、亜麻布のエフォドを着て、下働きとして主の御前に仕えていました。母ハンナはサムエルのために小さな上着を縫い、毎年、夫と一緒に年ごとのいけにえをささげ上って来る時、それを届けました。祭司エリは夫とハンナを祝福し、「主に願って得たこの子どもの代わりに、主があなたにこの妻による子どもを授けてくださいますように」といいました。主がハンナを祝福し、身ごもって、息子を3人、娘を2人産みました。サムエルは主の下で成長していきます。少年サムエルはすくすく育ち、主にも人々にも喜ばれる者となっていきます。
一方で、祭司エリの息子たちは、ならず者で、主を知ろうとしなかったとあります。この祭司たちは、シロに詣でるすべてのイスラエルの人々に対して、次のように行っていました。誰かがいけにえをささげていると、その肉を煮ている間に、祭司の下働きが3つまたの肉刺しを手にやって来て、釜や鍋であれ、鉢や皿であれ、そこに突き入れます。肉刺しが突き上げたものはすべて、祭司のものとしました。そればかりでなく、人々が供え物の脂肪を燃やして煙にする前に、祭司の下働きが来て、いえにえをささげる人に「祭司様のために焼く肉をよこしなさい。祭司は煮た肉は受け取らない。生でなければならない」といいます。人々が「いつものように脂肪をすっかり燃やして煙になってから、あなたの思い通りに取ってください」といっても、下働きは「今、よこしなさい。さもなければ力ずくで取る」と答えるのです。この下働きの罪は主に対する甚だ大きな罪となります。この人々が主への供え物を軽んじたからです。
祭司エリは非常に年老いていたとあります。エリは、息子たちがイスラエルの人々のすべてに行っていることのすべて、また臨在の幕屋の入り口で仕えていた女たちと度々床を共にしていることを耳していました。エリは息子たちを諭して「なぜそのようなことをするのだ。わたしはこの民のすべての者から、お前たちの悪いうわさを聞かされている。息子らよ、それはいけない。人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。だが、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれよう」といいます。しかし、息子たちは、父親の声に耳を貸そうとはしませんでした。主は息子たちの命を絶とうとしておられたというのです。
神の人がエリのもとに来て「主はこういわれます。わたしのためにイスラエルの全部族の中からあなたの先祖を選んで祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたかせ、エフォドを着せて、わたしの前に立たせた。また、わたしはあなたの先祖の家に、イスラエルの子らが燃やして主にささげる物をすべて与えた。あなたはなぜ、私が命じたいけにえとささげものを、わたしの住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしより大事にして、わたしが住むイスラエルが備えるすべてのささげものの中から最上のものを取って、自分の私腹を肥やすのか。わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んじる者をわたしは重んじて、わたしを侮る者をわたしは軽んじる。あなたの家に長命の者がいなくなるように、わたしがあなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る。あなたの家には永久に長命の者はいなくなる」といいます。更に「あなたは、わたしが住む所がイスラエルの与える幸いをすべて敵視するようになる。あなたの家には長命の者はいなくなる。あなたの家の男子がどれほど多くても皆、壮年のうちに死ぬ。あなたの2人の息子たちの身に起ることが、あなたのしるしとなる。2人は同時に死ぬ」と厳しい言葉をいっています。
どうして、祭司エリの息子たちは、このように悪いことをするようになってしまったのでしょうか。また、少年サムエルは、この息子たちの悪い影響は受けなかったのでしょうか。不思議に思います。エリの息子たちの悪もそうですが、その悪行を、父親であるエリは止めさせることができなかったのです。それで、祭司エリは、主の裁きを受けることになってしまうのです。エリの家はやがて滅んでしまうことになります。実は、このことはこれで終りではありませんでした。少し先になりますが、サムエルも祭司エリと同じように道を歩むことになってしまいます。
サムエル記上8:1~3
サムエルは年老い、イスラエルのために裁きを行う者として息子たちを任命した。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤといい、この二人はベエル・シェバで裁きを行った。しかし、この息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた。
サムエルの歩みは主の目に適うものでしたが、息子たちは罪を犯してしまいます。このことが、イスラエルに王を求める声になっていくのです。家族関係の難しさが、ここにはあります。
けれど、主は「わたしは、あなたの家から1人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく。わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油注いだ者の前を歩む」といわれます。その忠実な祭司とはいったい誰なのでしょうか。やがて来る神の子イエス・キリストを指しています。神の救いの業は人間の罪を乗り越えて、実現しているものです。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。サムエル記の学びを続けています。祭司エリやサムエルなどの信仰者の姿を見ることもできますが、その息子たちの罪を見ることになります。人間の罪の深さを思います。それでも、あなたは忠実な祭司を立ててくださると約束してくだいました。その方こそ、イエス・キリストです。神の救いの業の確実さを見ることができています。感謝します。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)
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