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祈祷会 サムエル記上1章「サムエルの誕生」 2025.2.26
ルツ記を読み終えて、今日からサムエル記に入ります。イスラエルの人々は、モーセに導かれてエジプトを出て、荒れ野の旅を経て、約束の地を目指して歩んで行きます。モーセからヨシュアに代って、約束の地に入っていきます。約束の地の占領と土地の分割があり、士師の時代と移っていきました。ルツ記からは1人の女性を巡って、当時の生活を知ることができました。ここではダビデの系図の関りが出ていました。そして、サムエル記です。サムエル記は、いよいよイスラエルに王の登場となっていきます。サウル、ダビデです。その王の誕生のことで大きな役割を果たすのがサムエルということになっていきます。
サムエル記上1章は、そのサムエルの誕生の様子が書かれてあります。エフライムの山地にエルカナという人がいました。エルカナには2人の妻がいました。1人はハンナ、もう1人はペニナです。ペニナには多くの子どもたちがありましたが、ハンナには子どもがなかったのです。エルカナは毎年シロに上り、神を礼拝し、いけにえをささげていました。シロにはエリと2人の息子ホフニとピネハスがおり、祭司として主に仕えていました。いけにえをささげる日には、エルカナは妻ペニナとその息子たちと娘たちにそれぞれ分け前を与え、ハンナには1人分を与えました。ハンナを敵と見るペニナは、主が子どもを与えないことでハンナを思い悩ませ、苦しめていました。毎年のようにして、ハンナが主の家に上る度に、ペニナのことで苦しんでいました。今度もハンナは泣いて、何も食べようとはしませんでした。その様子を見たエルカナはハンナを励ますのですが、届いていませんでした。
さて、シロでのいけにえの食事が終って、ハンナは立ち上ります。主の神殿の前で、ハンナは悩み嘆いて、主に祈り、激しく泣きます。そして、誓いを立てて「主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません」と祈ります。ハンナの様子を見ていた祭司エリは、ハンナが酒に酔っていると勘違いをし、注意します。ハンナは「いいえ、わたしは酒を飲んでいません。わたしは深い悩みを持った女です。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです」と答えます。エリは「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことを叶えてくださるように」と答えます。ハンナはそれから食事をしましたが、その表情はもはや前のようではありませんでした。エルカナ一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、自分たちの家に帰って行きます。エルカナは妻ハンナを知り、主はハンナを御心に留め、身ごもって、月が満ちて男の子を産みました。主に願って得た子どもなので、その名をサムエル(その名は神)と名付けたのです。
さて、エルカナが家族と共にいけにえと自分の満願のささげものを主にささげるために上って行こうとした時に、ハンナは行こうとせず、エルカナに「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう」といいます。エルカナはハンナの申し出を了解しました。ハンナはとどまって子に乳を与え、乳離れするまで育てました。乳離れした後、ハンナは3歳の雄牛一頭、麦粉を1エファ、ぶどう酒の革袋を1つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行きました。ハンナは祭司エリに「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたの側に立って主に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ってことを適えてくださいました。わたしは、この子を主に委ねます。この子は生涯、主に委ねられたものです」といいました。そこで、主を礼拝するのです。
サムエルの誕生には、母であるハンナの苦しみが背景にあります。夫エルカナは2人の妻を持っていました。ペニナには多くの子どもたちが生まれ、ハンナには子どもが生まれませんでした。当時は、結婚した女性に子どもが生まれることが求められていました。ハンナのように結婚しても子どもが生まれない場合、女性としての価値がないように思われていたのです。ハンナ自身も、そのことで苦しみ、また、もう1人に妻であるペニナには多くの子どもたちが生まれたことで、苦しみは深まっていました。その苦しみがさらに重くなるのが、主を礼拝し、いえにえをささげる時です。夫エルカナから自分の分だけもらい、ペニナは自分とこどもたちのたくさんの分を受け取ります。そのことでペニナは、ハンナを苦しめるのです。ハンナにとって、自分の価値といいますか、自分の居場所がない、辛い状況が続きました。そのハンナの苦しみがあって、主の御前での激しい祈りとなっていくのです。
このようなハンナの苦しい状況があったから、「神に、どうか男の子を与えてください。そうすればその子を主にささげます」という祈りにつながっていったのでしょう。ハンナの置かれた苦しい状況があって、神への信仰、神に仕える子どもとして、サムエルの誕生となっていくのです。私たちもいろいろな苦しみを背負って生きています。どうして、このような苦しみを負わなければならないのかと神に問いたい時もあるでしょう。私たちがその苦しみと向き合う時に、次のような聖書の言葉があります。
1コリント10:13
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
この聖書の言葉を、私たちはそれぞれの苦しみの中で、どのように受け止めることができるでしょうか。私たちの人生の課題だと思います。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ハンナの苦しみとハンナの祈りをみてきました。ハンナは自分の苦しみを、そのまま神に祈りました。必死に、全力で祈りました。その祈りを、神は聞いてくださり、実現してくださいました。私たちもハンナのように、自分の苦しみを負う中で、そのまま祈ることができる信仰を持つことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)
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