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気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

”だいたい”一筆書きの旅 2022年3月下旬 【後編 九四フェリー~北九州~東京九州フェリー~東京~三河】

2022-08-16 15:25:08 | 旅行

【前編の四国佐田岬半島三崎港から九州に渡るフェリーに乗船したところからの続きです。】

 

この国道九四フェリー(愛媛県西宇和郡伊方町三崎港~大分県大分市佐賀関)

競合はしていないと思いますが

 

八幡浜からは宇和島運輸の別府行と臼杵行

オレンジフェリーの臼杵行があり

 

八幡浜~臼杵間は 完全に競合なんだけど

談合してるのか運賃は 別府間とあまり違いがありません。

 

ご参考までに

〔国道九四フェリー〕

三崎~佐賀関 乗客 1,090円 4m未満車両 7,120円 所要時間70分

〔宇和島運輸フェリー〕

八幡浜~別府 乗客 3,600円 4m未満車両 13,200円 所要時間170分

〔宇和島運輸・オレンジフェリー〕

八幡浜~臼杵 乗客 3,300/3,300円 4m未満車両 11,900/11,900円 所要時間145/145分

近年長距離フェリーはすっかり新造されていますが

短距離のフェリーは残念ながら古いままがほとんど

ところがこの航路はそこそこ収益が得られてるのか

宇和島運輸は新造船も就航し国道九四フェリーは改装してキレイになってました。

(国東半島に沈む夕陽)

佐賀関に近づくと ポツンと高い煙突が

調べてみると 1894年から銅の精錬が行われていところで

翌年の1985年に煙害によって農作物への枯死が発生したことから

住民による反対運動で操業が停止となり

その後1916年に煙害を防止するための鉄筋コンクリートで

167.6mの世界一の高さを誇る煙突が作られて操業を再開

 

残念ながら2012年に老朽化から解体撤去が決定され

現存しているのは 1972年に立てられた高さ200mの第二大煙突なんだそうです。

 

西海町針尾の電波塔を初めて観た時を思い出しました。(因みに針尾は137mだそうです)

 

佐賀関に到着したのが18:45

 

佐賀関から大分で高速に乗るのに相当苦労してしまい

焦りながら高速をぶっ飛ばして21:45に黒崎の昼夜食堂に到着したのですが・・・

ガーーーーーーン

定休日の月曜じゃないから大丈夫だろと勝手に思い込んでたら

お彼岸の代休で連休

 

ま、そんなこともあらーな

 

 

この日はネット予約でなんとか取れたのが黒崎駅前のコンフォートホテル

あんまり好きくないんだけど選択の余地なく泊まり

 

どこかで晩御飯でもと探してみたものの

夜10時過ぎとあって普通の飲食店はもう閉店後

仕方なく昼夜食堂のほぼ隣にある怪しげな中華料理屋に入ってみたのですが・・・

日本全国に増殖してる怪しげな中国人のやってる質より量の店

ピータンも悲しくなるようなクオリティ

麻婆豆腐丼は まさしく質より量

水餃子くらいまともかなぁとの期待を見事に裏切ってくれました~

もう、絶対に二度と行かんぞ

 

翌日も船の入港がまたまた遅れ

着岸予定が午後3時

仕方なくネットカフェで時間潰し

前日は昼夜食堂に行けなかったから

もう1泊しようかな

とも考えていたのですが

 

なかなか思い通りにならなかった今回の出張

我が身の運を考えると長居は無用と

意地になって夜7時前に仕事を終わらせて

 

とりあえず若松大橋を渡って黒崎に出て

昼夜食堂に立ち寄って酒抜きで晩御飯を食べてから

(この日は、ご飯大と貝汁、サバ塩焼きに大根ナマスと高菜漬け)

 

そのまま新門司まで走り

スーパーマーケットで酒類とアテを購入して

東京九州フェリーに乗って東京へ行くことにしました

この船、阪九フェリー、新日本海フェリー、関釜フェリーの系列会社

なのでスペックもほぼおんなじ

 

窓無しのシングルなのが残念でしたが

個室なので遠慮なく酒盛りしちゃいました~

ほぼ深夜の23:50出航

 

 

07:30 高知沖

コロナでまだ使われてませんが

ココ↓がBBQデッキ

カップ麺用の給湯器もあるから便利ですよ~

そして10:15 紀伊水道沖で横須賀から門司に向かう姉妹船と行き違い

ようするにココがこの航路の半分ってこと

11:00 串本沖を通過

この写真ではわかりずらいと思いますが

飛び魚が山ほど

イルカとかもいるんだろうなぁ

この部屋 プラネタリウムなんだそうですが

面白くなかったぁ~

 

18:00 日没

この日は3月24日だったのですが

残念ながら伊豆七島は真っ暗でおがめず

 

そして21:19 横須賀港で下船

このフェリーの岸壁は戦艦三笠のすぐ隣でした。

 

関東に出てきたのが

東京中野に住む親友のお見舞いに行きたかったから

ところが夜遅くに東京都内で車を駐車できるホテルとなると

高いだろうし、ゆっくり寝られないしなぁと

どこに泊まろうか思案した結果

 

前日時間潰しに使ったネットカフェの居心地がそこそこ良かったのと

駐車場もタダで使えたらいいじゃん 探したところ

調布の国領町に駐車場もあって鍵付き個室もあるのを発見

 

と言うことで東名で川崎から下道で国領町に向かったのですが・・・

横須賀から1時間後の22:30に東名川崎IC近くのラーメン屋で晩御飯

それから国領町をウロウロと探して

ネットカフェにチェックインしたのが23:20となりました

 

そこそこいい時間となってしまったのもあるのですが

実は、ネットカフェの駐車場の標識を見誤り

平地にあると思ってた駐車場が実は立体駐車場だと気づき

ようやく車を停めたところ・・・

巡回していたパトカーが 県外ナンバーの不審車が

逃げるように立体駐車場に逃げたと思ったらしく

この歳になって 職務質問を受けるハメに

何しに来たのか?

車内を調べさせてくれ(麻薬や銃刀法の疑い)だの

あれやこれやと質問され

 

1日船でのんびりしたようでも

仕事や移動疲れでそこそこ疲れていたため

意地の悪い警官の質問が鬱陶しくなって

『知り合いの警察官が、いまどきは携帯の番号から身元はすぐにわかる』と聴いてるし

早く本庁なりで調べてくれと伝えると

 

当然のことながらようやく嫌疑が晴れ、

『猟銃を持ってるそうですね』と言われたものの

面倒くさくなって早く休みたいからもういいかと 

職質を終わらせましたが・・・

 

実をいうと 姪(家内の妹の娘)は警察庁のキャリアー官僚

いざとなったら、その姪に電話してやろうと思ってたんですよ。

 

 

そんなこんながあって

朝8時にネットカフェを出て朝の通勤ラッシュで大渋滞の甲州街道をひた走り

9:30に東中野に到着 

お見舞いに行ったその友人

トンガ時代からの大親友なのですが

 

ALSの闘病中で

10年近く前からもう車椅子での生活だったものの

まだ一緒に酒を交わしたり普通に会話できたのが

数年前から人工呼吸器を着けるようになって

手足もほとんど動かせなくなってしまい

身体も弱ってきてたのでしばらく面会もできずにいたのですが

介護ヘルパーさんやリハビリなどで人との接触もあり 

目の動きで会話やパソコンの入力もできるようになり

遊びに来て欲しいと言われ

いつもながらの調子で

矢も楯も止まらずすっ飛んで行っちゃったってわけです。

その日は車椅子での散歩(神田川の花見)とのことで

ほんの少しの時間だったけど

久しぶりに元気そうな姿をみることができてとっても幸せでした

 

なんとか奇跡が起こって欲しいなぁ

 

疲れてたけど精神的には幸せな気分で

東京を離れ

一路東名を西に

足柄SAで昼食を食べ

 

その後、金谷の友達のところに立ち寄って

ご機嫌伺いをしてから 午後7時過ぎに豊川ICに到着

 

さすがにクッタクタで どこに行く気にもならず

またまたネットカフェにチェックインして近くのスーパーマーケットで買った

酒類とアレでお腹を満たして爆睡

 

ココのネットカフェは管理が行き届いているからかとってもキレイで

鍵付き個室も防音がしっかりしてて熟睡

 

翌日、旧南設楽郡作手村で

異母姉(四女)夫婦の墓参りと

自分の舌にあう高原ハウスで五平餅15本を注文して

うさぎと遊んでから

父母の眠るお墓参りをしてから

子供の頃 よく自転車で遊びに行っていた”岩屋観音”に立ち寄り

思い出探し

その後旧渥美郡田原町へ向かい

異母姉(長女)の家で五平餅を手渡しがてらご機嫌伺いをして

一昨年急逝した異母姉(五女)のお墓参りをして 

豊橋市内の実家にも五平餅を手渡しがてら立ち寄ってから

 

豊橋に帰ったら必ず食すあんかけスパを食べて

豊橋っ子の台所、城下町魚町の”スーパーサンヨネ”で魚介類を買い込んで帰路に【15:45】

東名→湾岸線→東名阪→名阪国道の大内ICで下り

あと4日で閉店となる伊賀上野のランドマーク名阪上野ドライブインを眺めてから

一路R163で南山城、笠置、加茂、R24と二条大路で帰宅

自宅に到着したのは 3月26日の19:30

出発したのが3月20日の19:00だったので

合計6日と30分 走行距離1,374.4kmの旅となりました

大回りしたら同じ道を往復することなく ”一筆書き”が完成できたのですが

愛媛県の八幡浜~愛南町深浦(片道90キロ)と

愛知県新城市のR151とR301の分岐点からの作手(片道20キロ)は

時間的制約もなってほぼ選択肢なく同じ道を往復してしまいましたぁ。

 

 

と言うことで、タイトルに”だいたい”と付け加えさせていただいた次第です。。

 

正直な気持ちを打ち明けると

ちょっと疲れたかな

 

自分では若い頃のまんまのつもりでいても

やっぱ歳とっちゃったんだなぁ。。。


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