訳(?)あって
昨日、急遽中国に来ちゃいました
んで、香港に着いた時も
あれ~? この前はいつ来たんだっけ?
広州に行った時だったっけ?
それとも常平から深圳行った時だったっけ?
上海の東海大橋渡って 渡米する前日まで人質になった時?
って もう前回がいつだったかも定かでない状態
んで、今回は深圳の蛇口(SHEKOU)なんだけど
ここらは 実をいうと、もう数数えられないくらい来てるんでした~
いまから20年以上前
香港からでも中国に入るのが面倒臭かった頃
一般的には九龍から電車で行くんだけど
なんせ本数が少なくて
乗り遅れたら もうその日は諦めるか
地下鉄で羅湖まで行って 深圳に入るか (これがいまからでは信じられないくらい大変だった)
あとは、尖沙咀からフェリーやホーバークラフトに乗って行くって方法
その中国側の港のひとつが蛇口でした
この蛇口は2000年以降のいつごろからだったかな~
まだ中国査証のいる頃からでも
一次査証を到着した港の入管で取れたんです
太平(タイピン)や 広州の黄哺(ファンポ)の時は
香港の中環(セントラル)にあった 中華ビル(中国本土の出先)に行って
Expressで査証を申請して そのまま現地に向かうなんてことしてたんですよ~
ホント、むっちゃ不便な時代でした。。。
最初の頃は、香港の会社からアシスタントで同行してくれてたんだけど
途中からは、 いまとおんなじように たったひとり旅
筆談だけを頼りに オートバイのタクシー(?)を乗り継いで
百キロ以上離れた仕事先や宿まで よくたどり着いたもんだと
今更ながら感心しちゃっています
『自分を褒めてあげたいと思います!』って (爆)
ま、その経験もあって その後も
ひとりで大連や上海をひとり歩きしてたから
多少のことではビビらないようになってしまいましたネ~
って いつものように 昔話をはじめると
もう支離滅裂になっちゃってますけど
今回、ひさびさに蛇口に来て超ビックリ
なにやら外国人(特に白人系)が そこらじゅうウロウロしてるし
ピザ屋やら アメリカンなフィートロングのサンドイッチ屋はあるし
どうやら外国人が経営しているような
インディアン、イタリアン、グリーク風なんかのレストランもいっぱいあって
よくここまで発展したものだ! と アングリと口を開けながら
ただただ見入っている次第でございます
思い起こせば 1979年夏
田中角栄首相によって 日中国交復活して
国策的に日本の青年をと招待された航海訓練所の練習船で寄港し
天津港から半日近くかけて
当然のことながら舗装もされていないユーカリ並木(?)の道路を
埃をまいあげながら走り 北京飯店で国賓級の歓迎会をしていただいてから
もう35年近くたってしまったとは
いまの中国には
あんまりいいイメージを抱いていませんが
あの頃の素朴な中国人は とっても良かったんですよ~
”衣食足りて礼節を知る”とはいいますが
清貧ってこともあるんですよね
愛想のかけらもない 一人っ子政策の元で育った連中を見ながら
いつもの浦島太郎の如く
ただただ あの頃を懐かしく思い出している次第です。
(また、あとで写真掲載しますね)