百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
この御所の古びた軒端に生えているしのぶ草を見るにつけても、朝廷のさかえたあの頃が懐かしく思われてならない。
昔は良かったなぁ。
順徳院(1197~1242)
第84代天皇。後鳥羽上皇の第三皇子、母は高倉範季の娘修明門院・藤原重子。承久の乱に破れ佐渡に配流、当地で崩御。
激しい気性の持ち主と言われ父後鳥羽上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で有ったと言う。
父後鳥羽院の影響で藤原定家に師事し和歌や詩に精通し、藤原俊成女や藤原為家とも親交があった。
歌集「順徳院歌集」、歌論書には当時の歌論を大成した「八雲御抄」がある。
定家は幕府に遠慮し「新勅撰和歌集」には順徳院の歌を採集しなかったがこの百人一首にはこの歌を採録している。
この御所の古びた軒端に生えているしのぶ草を見るにつけても、朝廷のさかえたあの頃が懐かしく思われてならない。
昔は良かったなぁ。
順徳院(1197~1242)
第84代天皇。後鳥羽上皇の第三皇子、母は高倉範季の娘修明門院・藤原重子。承久の乱に破れ佐渡に配流、当地で崩御。
激しい気性の持ち主と言われ父後鳥羽上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で有ったと言う。
父後鳥羽院の影響で藤原定家に師事し和歌や詩に精通し、藤原俊成女や藤原為家とも親交があった。
歌集「順徳院歌集」、歌論書には当時の歌論を大成した「八雲御抄」がある。
定家は幕府に遠慮し「新勅撰和歌集」には順徳院の歌を採集しなかったがこの百人一首にはこの歌を採録している。