以前、ご紹介した
丹生川上神社 下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)
(その記事➡こちらから)
「下社」とあるのに、近くに「上」が見つからない!
思いっきり離れたトコにありました。
で、行ってみました。
丹生川上神社 上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)
あ・・・・新しい・・・・σ(´ x `;*)ンート・・・
創建は不明ですが、明治初めごろは小さな祠だったとか。
神武天皇が天神地祇を祀り、戦勝を占ったのが「丹生川上神社」なんですが、
その所在地がコロコロ変わります。
江戸時代、「丹生大明神」と称していた現・丹生川上神社下社がその地だ!となり、
まず「式内大社丹生川上神社」とされます。
明治時代になると、この上社が比定され、
大正時代には東吉野町にある「蟻通神社(現・中社)」こそがその地だ!に変り、
上社・下社は中社に包括される形で、改めて3社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」となります。
戦後の官制廃止により、それぞれが独立したわけです。
さて、2番目に比定されたこの上社。
実は現在の地にあったわけではありません。
元宮遙拝所から見えるその地は・・・・
ダム湖!
1959年の伊勢湾台風など、水害に見舞われたことで、
ダム建設の計画がスタート。
反対運動が起こり、計画は長期化。
1996年、妥協案が示され建設がスタートします。
1998年、上社も現在の地に遷宮。
その跡地から遺跡が発見されます!
本殿跡真下から、自然石を敷き並べた祭壇跡が出土し、
また付近では縄文時代(約4000年前)の祭祀遺跡(環状配石遺構)が出土
この「宮の平遺跡」は縄文時代早期の大規模集落跡と判明し、
古代から人の住まう土地だったのです。
現・上社の境内にその祭祀跡が復元されています。
それにしても「社」とつく地には、なんらかの由縁があるんですね。
一度、行ってみて
奈良県吉野郡川上村 丹生川上神社上社