先週までは、まだまだだった桜も、一気に満開!
ということで、桜見!
キュピ━━━(☆∀☆)━━━ン!!
まずは兵庫県垂水区から須磨区あたり・・・。
場所によっては満開のとこも。
まだ、7分咲き、8分咲きってとこもありました。
次は大阪府池田市。
五月山はほぼ満開!
. . . 本文を読む
西名阪高速上り線
香芝サービスエリアで
「ここでしか食べれません」の文言で飛びついたもの!
キュピ━━━(☆∀☆)━━━ン!!
大和茶のソフトクリーム!
左が大和茶、右はぶどう
美味し-----い!
けど、結局は抹茶だね。
ァ'`,、'`,、'`,、'`,、(*^∀^*)ゞ'`,、'`,、'`,、'`, . . . 本文を読む
埋没林・・・・・って、知ってますか?
文字の通り、地中や海中に埋もれた林のこと。
特に、地中に埋もれた林は「化石林」といいます。
島根の三瓶小豆原埋没林は、火山の噴火で埋もれた林で、約4000年前のもの。
また富山の魚津埋没林は約2000年前に土砂で埋もれ、
その後、海面が上昇したようで、海底から発見されました。
(下部にあるURLからリンクできます)
奈良の御所市、 . . . 本文を読む
古墳巡りをしていて、「おっ-----!」と歓声を上げることがよくあります。
ここもその一つ。
奈良県御所市の「日本武尊琴引原白鳥陵」を訪れたあと、左手に見えた小山。
この日は突然の大雨が降りだしたため、別の日に行ってみました。
史跡・室宮山古墳
全長238m、全国16位の大きさを持つ前方後円墳です。
築造は5世紀前半頃。
被葬者はこの地 . . . 本文を読む
飛鳥時代は592年から710年まで、ほぼ7世紀の時代を指します。
大和・飛鳥の地に政治の中心が置かれていたことから、飛鳥時代と呼ばれます。。
592年、崇峻天皇が蘇我馬子の手の者に暗殺されました。
犯人は東漢駒(やまとのあやのこま)。
その後、崇峻天皇の嬪(側室)であった馬子の娘・河上娘との密通が露見し、
馬子によって処刑されます。
これは馬子が口封じを . . . 本文を読む
先日、UPした奈良県明日香村にある、
鬼の俎・鬼の雪隠(←こちら)
元々は横口式石槨だった・・・・と書きましたが、
ふっと思ったこと・・・・
横口式石槨って、何?
って、人の方が多いんでは?
と、いうことで、見つけてきました。
橿原考古学研究所付属博物館の前庭で。
これが、横口式石槨です。
上の部分が<雪隠>、下の部分 . . . 本文を読む
日本武尊
これを「にほんぶそん」と読んだ旦那の一声で発見した陵墓です。
正しくは「ヤマトタケルノミコト」
アハハッ"o( ̄∀ ̄メ)。oオバカ・・・
奈良県御所市にある白鳥陵です。
民家の間の小道をすすむと、
最近整備されたと思われるキレイな階段が出現。
その先にありました。
第12代景行天 . . . 本文を読む
歴史入門シリーズ<1>から<6>までを
もっと簡潔にまとめてみました。
詳しくは「歴史入門シリーズ」、またはその関連記事をみてください。
氷河期に石製の武器や道具を使っていた旧石器時代から、
氷河期が終わり、放浪の旅から、一定の場所に定住し、
土器を作り、獣・魚・木の実を取り生活していた縄文時代へ。
稲作が伝わり、農耕をするようになった弥生時代へと変わり . . . 本文を読む
橿原市から国道169号を一路、明日香方面に走ると、
左側に緑の壁状になった小山が見えます。
これこそ全国第6位の大きさを持つ見瀬丸山古墳。
全長318m、高さ21m。
宮内庁の陵墓参考地として管理を受けています。
上の写真にも写っていますが柵の中が宮内庁管理。
いわゆる「後円」部分の中心のみに鉄柵が張り巡らされていました。
. . . 本文を読む
奈良県桜井市にある大神神社。
大国主命が自らの幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)を、
三輪山に鎮めたことが、この神社の由来です。
幸魂とは、運によって人に幸を、収穫をもたらす働き。
奇魂は奇跡によって人に幸を与える働きがあるといいます。
神体山・三輪山と三輪の大鳥居
この大神神社の摂社・檜原神社の祭神は天照大御神。
前回、大神神社を訪問時、ちょ . . . 本文を読む
日本で一番大きい古墳は?
そう尋ねれば、12歳以上なら
「堺の仁徳天皇陵」
と答え・・・・・れるはず・・・・たぶん・・・・
ァ,、,、.....φ(´∀`;q・゜・
では、「仁徳天皇陵の古墳名は?」
「2番目に大きいのは?」
と尋ねられると、ほとんどの方は???となるのでは?
. . . 本文を読む
ヤマト王朝は大王(天皇)を頂点とする、豪族の連合政権のようなものでした。
大王位に就くには、豪族の後押しが必要だったのです。
葛城氏は、5世紀の大王家との継続的な婚姻関係をむすび、
大伴氏・物部氏は有力軍事氏族、
忌部氏、中臣氏は神事・祭祀を担う氏族でした。
その中でもいち早く、仏教を取り入れたのは蘇我氏。
仏像が伝来したとき、日本には八百万の神を信仰す . . . 本文を読む
奈良・明日香村には、石造物が到るトコにあります。
これらもその一つ。
高台にあるのが<鬼の俎>
その下に<鬼の雪隠>
伝説ではこの辺りは「霧ヶ峰」と呼ばれる霧の発生地帯でした。
立ち込めた霧の中で道行く旅人を惑わせ、鬼の俎で料理し、
鬼の雪隠で用を足したといいます。
が、が、が、・・・
結論からいくと、もともとは横口式石槨です . . . 本文を読む
第53代 淳和(じゅんな)天皇は、
桓武天皇の第7皇子・大伴皇子といいます。
平城天皇、嵯峨天皇の異母弟にあたり、
薬子の変後、廃太子された平城天皇の皇子・高岳皇子にかわり、
810年に立太子。823年に嵯峨天皇から譲位され、即位しました。
840年、崩御。
火葬され、遺言通り、京都府西京区の大原野の山中に散骨されました。
陵墓を築くことを禁じていた . . . 本文を読む
倭の五王「武」=第21代雄略天皇の時代、
ヤマト王朝の勢力は拡大したといます。
埼玉の稲荷山古墳から「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」が出土し、
鉄剣の両面に115文字の漢字が刻まれていました。
他に熊本の江田船山古墳からも鉄刀が出土。
それらに刻まれた文字には「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」、
つまり雄略天皇の名がありました。
つまり5世紀後半には、雄略天皇による大和の権力が九 . . . 本文を読む