ブログを読んでいて、気になった人はいただろうか?
ある時代を境に、皇子が親王に、皇女が内親王に変わっていたことに。
中には皇女と内親王が混ざった記事があったことに。
現在、天皇家の男子には「親王」、女子には「内親王」という称号が付きますよね。
この名称に変ったのは8世紀に施行された律令制制定からです。
かつては皇族の子女は、皇子・皇女と呼ばれていました。
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ジョン万次郎って、ご存知ですか?
本名を「中浜万次郎」といいます。
江戸末期、土佐の中浜村で生まれた人物です。
14歳の頃、漁に出て嵐に遭い、仲間4人と遭難。
5日間ほどの漂流後、奇跡的に鳥島に漂着。
数ヶ月の無人島生活後、アメリカの捕鯨船に救助され、ハワイに移動します。
その後、船長の航海に同行し、アメリカに戻ると船長の養子となり、
語学や航海術など . . . 本文を読む
京都府八幡市。
流れ橋に向かう途中にある「流れ橋交流プラザ四季彩館」で発見。
北海道ソフトクリーム
生クリームたっぷり!
よくある「北海道ソフトクリーム」なら、わざわざUPしません。
ソフトクリームというより、シャーベット。
でもシャーベットではなくソフトクリーム。
なんと表現したらいいのか・・・・・
とにかく・・・・・
これは、うまい!!
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645年、奈良・飛鳥板蓋宮の大極殿で、
時の権力者・蘇我入鹿は皇極天皇の目の前で、暗殺されました。
大化の改新の始まり、乙巳の変(いっしのへん)です。
佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田によって切り殺された入鹿の遺体は、
大雨の中、庭に投げ出され、障子で覆いをかけられたとか。
飛鳥寺の西門跡の側に、入鹿の首塚と伝えられる五輪塔が建っています。
実は・・・・・・
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奈良県桜井市にある舒明天皇陵のさらに奥。
鏡女王の墓を過ぎると、再び看板に出会いました。
(舒明天皇陵の記事は→こちらから 鏡女王の記事は→こちらから)
120m、上?!
ゲッ...(-д-;)ヤダ
初訪の5年前はこんな看板はなく、
ましてや地図には記載があっても、道がなかったトコ・・・・
記憶がない・・・・・
そう思っていたら . . . 本文を読む
奈良県桜井市忍阪にある舒明天皇陵。
(舒明天皇陵の記事は→こちらから)
この同陵域内に藤原鎌足の正室「鏡女王」の墓・押坂墓があります。
舒明天皇陵の右手の道を進みます。
少し行くと、また新たな看板が。
鏡女王は、万葉の歌人。
ふーん、歌碑か・・・そんなもの、あったかな?
と、過去の記憶を思い出そうとした時、
あっ、あった!
こんなとこに!
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第34代 舒明天皇は、名を田村皇子といいます。
女帝・推古天皇が崩御した際、蘇我蝦夷の後押しで即位しました。
父は第30代敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子。
母は同じく敏達天皇の皇女で異母妹、糠手姫皇女。
舒明天皇の時代、政治の実権は蘇我蝦夷にあり、
記紀にも目立った天皇の業績はありません。
舒明天皇13年(641年)、崩御。
押坂内陵(おさかのう . . . 本文を読む
これ、なんかで見たことありますよね?
平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物で、
砂岩でできた湧水設備から続く形で発見されました。
奈良県立万葉文化館のそばにあり、
酒船石と合わせて、この周辺の遺構を「酒船石遺跡」と呼びます。
(酒船石→こちらから)
亀形石造物は、花崗岩製で全長約2.4m、幅約2m。
頭・ . . . 本文を読む
誰もが知っている奈良市にある東大寺の大仏。
「奈良の大仏さん」と呼ばれている盧舎那仏像。
東大寺の大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に発願され、
天平17年(745年)から準備が開始。
天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施されました。
260万の人が関わったといわれ、現在の価格にして4657億円の費用がかかったそうです。
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滋賀県高島市にある白鬚神社。
祭神は猿田彦神。道の神、旅人の神といわれている神様です。
人格化する時、白髪の老人になるということで「白鬚神社」といわれ、
その姿から長寿の神様として信仰されています。
本殿・拝殿
垂仁天皇25年、倭姫命より社殿が創建されたと伝わり、
近江国の最古の神社です。
ここでどーしても見たかったもの。
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京都市伏見区にある醍醐寺。
仁王門をくぐると、ガラリと雰囲気が変わります。
ここからが下醍醐と呼ばれます。
(前回の記事は→こちら)
上醍醐とは対照的に、絢爛な大伽藍。
(上醍醐の記事はこちらから→上醍醐・1 2 3)
応仁の乱でほぼ全焼した後、ここも再建・焼失が繰り返されています。
まず現れるのが国宝・金堂。
平安時代後 . . . 本文を読む
764年、孝謙上皇は重祚し、第48代 称徳天皇として即位します。
称徳天皇と道鏡による政権運営が6年間続けられますが、
しかし飢饉や謀叛事件が起きるなど、政情は不安定。
761年に平城宮改修のため、都を近江国保良宮に一時的に移した際、
病をかかった孝謙上皇(称徳天皇)を看病して以来、その寵を受けることとなった道鏡。
仲麻呂亡き後は、太政大臣禅師を設け、その地位につきます。
その後、 . . . 本文を読む
真言宗醍醐派総本山
醍醐寺
古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。
伏見区の醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院で、
豊臣秀吉の「醍醐の花見」の行われた地でもあります。
874年、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が、
准胝観音と如意輪観音を、笠取山頂上に迎えて開山したことが始まりです。
醍醐寺は . . . 本文を読む
日本最古の本格的仏教寺院で、
蘇我氏の氏寺である飛鳥寺は、
法興寺、元興寺と別名を持つ寺。
蘇我馬子の発願により建立されました。
物部守屋との戦の際、馬子は勝利を祈願し、
飛鳥の地に寺を建てることにしたといいます。
(同じように勝利を祈願し、建てられた寺が聖徳太子の法隆寺になります。)
寺の中心的存在である仏舎利を祀る塔がまず完成し、
他の堂宇は長い年月をかけて . . . 本文を読む
欠史8代とは、古事記や日本書紀で系譜(帝紀)は存在するものの、
その事績(旧辞)が記されない8人の天皇のことを指します。
簡単に言えば、
「××天皇と●●妃の第2子として誕生、××天皇崩御に伴い即位」
とは書かれていても、
「△△をした」という詳しい記載がない天皇たちです。
これが欠史8代の天皇
第2代 . . . 本文を読む