歴史って苦手やねん 歴史嫌い そんな声をよく聞きます。
そんな中でも、 歴史は知らんけど、徳川家康は知ってるとか、 ゲームの登場人物で名前は知ってるとか、 歴史への入り口はみんなが持ってるはず。
なのになぜ、歴史が嫌いなのか。 それは学校で暗記教科として学んできたこと。 テストに出るから年号を覚える。 テストの範囲だから名前を覚える。 覚えてなんぼの . . . 本文を読む
第66代 一条天皇。
円融天皇と藤原兼家の娘、詮子との間に生まれた皇子。
花山天皇を唆し、退位させた道兼は見事、天皇の外祖父という地位を手にします。
道兼の死後、長男・藤原道隆が摂政・関白の地位につきます。
990年、道隆は一条天皇の元に娘・定子を入内させ、同年、中宮を号します。
しかし5年後、道隆が病没すると、弟・藤原道兼が関白に就任しますが、
7日後 . . . 本文を読む
944年、第61代 朱雀天皇は、治世中に起こった承平天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)や、
天災なども相次ぎ、同母弟・成明親王に譲位し、仁和寺に入ります。
そして即位したのが、第62代 村上天皇です。
村上天皇の治世はほぼ、承平天慶の乱の戦後処理に費やされました。
949年、関白・藤原忠平が亡くなると、摂関は置かず天皇親政の形式をとりました。
この治世を天暦の治といい、醍醐天皇の治 . . . 本文を読む
930年、醍醐天皇の崩御に伴い、即位したのが8歳の寛明親王。
第61代朱雀天皇です。
母の中宮・藤原穏子は怨霊を恐れ、匿うように育てられたそうです。
幼帝のため、伯父・藤原忠平が政務をとります。
その朱雀天皇の時代、関東で戦が起こります。
「平将門の乱」です。
この時代、地方の政治は国司まかせ。
国司は一定の税を朝廷に納めていれば良かったのです。
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生後3ヶ月で立太子し、876年に9歳で即位した第57代 陽成天皇。
のちに武家の棟梁となる源氏の祖・経基王(源経基)は、
陽成天皇の皇子・元平親王の子ともいわれ、
「清和源氏」でなく、本当は「陽成源氏」だといわれています。
(ちなみに清和源氏説の場合は、経基王は清和天皇の第六皇子貞純親王の子)
これは陽成天皇が「暴君」であったため、1代前の清和天皇の子孫を名乗ったというのです。
&nb . . . 本文を読む
842年、承和の変が起こり、第54代 仁明天皇の皇太子だった
淳和天皇の皇子・恒貞親王は廃され、仁明天皇の第1皇子・道康親王が立太子します。
道康親王の立太子に関わったのが、藤原良房でした。
良房の妹・順子が仁明天皇に嫁ぎ、道康親王が生まれたためです。
850年、甥・道康親王が即位(第55代 文徳天皇)。
858年、文徳天皇が崩御すると、娘・明子と文徳天皇の間に生まれ . . . 本文を読む
歴史入門シリーズ<15>から<18>までを
もっと簡潔にまとめてみました。
詳しくは「歴史入門シリーズ」、またはその関連記事をみてください。
772年、井上内親王と他戸親王がその地位を廃され、
翌年に立太子したのが、光仁天皇の第1皇子・山部親王。
第1皇子でありながら、生母・高野新笠の身分が低いことから、
皇位継承に程遠い場所にいました。
その山部親王 . . . 本文を読む
歴史入門シリーズ<12>から<14>までを
もっと簡潔にまとめてみました。
詳しくは「歴史入門シリーズ」、またはその関連記事をみてください。
710年、藤原京から平城京に遷都。
時代は飛鳥時代から奈良時代に移り変わります。
時の天皇は女帝・第43代 元明天皇。
異母姉にして、亡夫の母であった第41代 持統天皇の遺志は
「我が子に皇位を! . . . 本文を読む
810年、平城上皇が復位を試みた「薬子の変」が発生。
上皇は剃髮・出家し、藤原薬子は自害しました。
その余波で、皇太子についていた上皇の皇子・高岳親王は皇太子を廃され、
代わって天皇の異母弟・大伴親王が立てられました。
第50代桓武天皇の第7皇子で、 母親は藤原百川の娘・旅子。
「后腹」の親王による皇位継承を目指した桓武天皇の考えからすれば、
大伴親王は . . . 本文を読む
延暦23年(804年)、第16次遣唐使で唐に渡った中に、
後の真言宗開祖・空海と後の天台宗開祖・最澄がいました。
(入唐できなかった遣唐使を合わせると第18次)
奈良仏教から平安仏教の転換期の人物です。
空海は774年、讃岐国(現・香川県)で産まれました。
18歳で京の大学寮に入りますが、翌年その勉学では飽き足らず、山林で修業。
諸説あり20~30歳の間に得度したようです。
. . . 本文を読む
794年(延暦13年)、山城国の平安京に遷都します。
時の天皇は第50代桓武天皇。
大和の平城京から、山城国長岡京に遷都しましたが、
様々な変事が起こり、長岡京遷都からわずか10年で、平安京に遷都しました。
806年(延暦25年)、桓武天皇が崩御すると、
第1皇子・安殿親王(あてのみこ)が同日、践祚(せんそ)し、即位。
これ以降、天皇が崩御すると、まず践 . . . 本文を読む
772年、井上内親王と他戸親王がその地位を廃され、
翌年に立太子したのが、光仁天皇の第1皇子・山部親王。
第1皇子でありながら、生母の出自が低かったため、皇位継承に程遠い場所にいました。
生母は高野新笠(たかののにいがさ)。
「続日本紀」には、百済から大和朝廷へと送られた人質・武寧王の10世孫とされていますが、
韓国側の史料には武寧王に子がいたのか記録がなく、不明ですが、
一族は新 . . . 本文を読む
764年、孝謙上皇は重祚し、第48代 称徳天皇として即位します。
称徳天皇と道鏡による政権運営が6年間続けられますが、
しかし飢饉や謀叛事件が起きるなど、政情は不安定。
761年に平城宮改修のため、都を近江国保良宮に一時的に移した際、
病をかかった孝謙上皇(称徳天皇)を看病して以来、その寵を受けることとなった道鏡。
仲麻呂亡き後は、太政大臣禅師を設け、その地位につきます。
その後、 . . . 本文を読む
729年に起きた長屋王の変は、藤原四兄弟が邪魔な皇親勢力の重鎮・長屋王を排除し、
安宿媛(藤原光明子)を皇后にするために仕組んだことで、
事件後、晴れて臣下の血筋から、初の皇后・光明皇后が誕生しました。
737年、疫病が流行。多くの者が亡くなります。
その中には藤原四兄弟も含まれていました。
不比等の長男 藤原武智麻呂(むちまろ) - (藤原南 . . . 本文を読む
710年、藤原京から平城京に遷都。
この後、平安京に遷都する794年までを奈良時代といいます。
712年、天武天皇の命で編纂されていた「古事記」が完成、献上され、
翌713年には「風土記」の編纂が命じられます。
715年、元明天皇は老いを理由に退位、太上天皇となり、
娘・氷高皇女が即位します。
第44代・元正天皇です。
結婚経験は無く、 . . . 本文を読む