ちょっと歴史入門〈苦手克服方法〉

2016-07-18 12:02:26 | ちょっと歴史入門
歴史って苦手やねん 歴史嫌い そんな声をよく聞きます。   そんな中でも、 歴史は知らんけど、徳川家康は知ってるとか、 ゲームの登場人物で名前は知ってるとか、 歴史への入り口はみんなが持ってるはず。 なのになぜ、歴史が嫌いなのか。 それは学校で暗記教科として学んできたこと。 テストに出るから年号を覚える。 テストの範囲だから名前を覚える。 覚えてなんぼの . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<23>藤原氏の栄枯盛衰

2014-08-14 13:26:45 | ちょっと歴史入門
第66代 一条天皇。 円融天皇と藤原兼家の娘、詮子との間に生まれた皇子。 花山天皇を唆し、退位させた道兼は見事、天皇の外祖父という地位を手にします。     道兼の死後、長男・藤原道隆が摂政・関白の地位につきます。 990年、道隆は一条天皇の元に娘・定子を入内させ、同年、中宮を号します。 しかし5年後、道隆が病没すると、弟・藤原道兼が関白に就任しますが、 7日後 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<22>安和・寛和の変

2014-02-17 12:51:43 | ちょっと歴史入門
944年、第61代 朱雀天皇は、治世中に起こった承平天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)や、 天災なども相次ぎ、同母弟・成明親王に譲位し、仁和寺に入ります。 そして即位したのが、第62代 村上天皇です。 村上天皇の治世はほぼ、承平天慶の乱の戦後処理に費やされました。 949年、関白・藤原忠平が亡くなると、摂関は置かず天皇親政の形式をとりました。 この治世を天暦の治といい、醍醐天皇の治 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<21>承平・天慶の乱

2013-11-16 20:58:34 | ちょっと歴史入門
930年、醍醐天皇の崩御に伴い、即位したのが8歳の寛明親王。 第61代朱雀天皇です。 母の中宮・藤原穏子は怨霊を恐れ、匿うように育てられたそうです。 幼帝のため、伯父・藤原忠平が政務をとります。   その朱雀天皇の時代、関東で戦が起こります。 「平将門の乱」です。   この時代、地方の政治は国司まかせ。 国司は一定の税を朝廷に納めていれば良かったのです。 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<20>寛平・延喜の治

2013-10-25 21:18:59 | ちょっと歴史入門
生後3ヶ月で立太子し、876年に9歳で即位した第57代 陽成天皇。 のちに武家の棟梁となる源氏の祖・経基王(源経基)は、 陽成天皇の皇子・元平親王の子ともいわれ、 「清和源氏」でなく、本当は「陽成源氏」だといわれています。 (ちなみに清和源氏説の場合は、経基王は清和天皇の第六皇子貞純親王の子) これは陽成天皇が「暴君」であったため、1代前の清和天皇の子孫を名乗ったというのです。 &nb . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<19>摂関政治

2013-09-21 21:55:06 | ちょっと歴史入門
842年、承和の変が起こり、第54代 仁明天皇の皇太子だった 淳和天皇の皇子・恒貞親王は廃され、仁明天皇の第1皇子・道康親王が立太子します。 道康親王の立太子に関わったのが、藤原良房でした。 良房の妹・順子が仁明天皇に嫁ぎ、道康親王が生まれたためです。   850年、甥・道康親王が即位(第55代 文徳天皇)。 858年、文徳天皇が崩御すると、娘・明子と文徳天皇の間に生まれ . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<まとめ・4>

2013-09-02 20:39:12 | ちょっと歴史入門
歴史入門シリーズ<15>から<18>までを もっと簡潔にまとめてみました。 詳しくは「歴史入門シリーズ」、またはその関連記事をみてください。     772年、井上内親王と他戸親王がその地位を廃され、 翌年に立太子したのが、光仁天皇の第1皇子・山部親王。 第1皇子でありながら、生母・高野新笠の身分が低いことから、 皇位継承に程遠い場所にいました。 その山部親王 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<まとめ・3>

2013-09-01 08:37:36 | ちょっと歴史入門
歴史入門シリーズ<12>から<14>までを もっと簡潔にまとめてみました。 詳しくは「歴史入門シリーズ」、またはその関連記事をみてください。     710年、藤原京から平城京に遷都。 時代は飛鳥時代から奈良時代に移り変わります。   時の天皇は女帝・第43代 元明天皇。 異母姉にして、亡夫の母であった第41代 持統天皇の遺志は 「我が子に皇位を! . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<18>承和の変

2013-07-29 20:49:10 | ちょっと歴史入門
810年、平城上皇が復位を試みた「薬子の変」が発生。 上皇は剃髮・出家し、藤原薬子は自害しました。   その余波で、皇太子についていた上皇の皇子・高岳親王は皇太子を廃され、 代わって天皇の異母弟・大伴親王が立てられました。   第50代桓武天皇の第7皇子で、 母親は藤原百川の娘・旅子。 「后腹」の親王による皇位継承を目指した桓武天皇の考えからすれば、 大伴親王は . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<17>空海と最澄

2013-07-19 22:37:19 | ちょっと歴史入門
延暦23年(804年)、第16次遣唐使で唐に渡った中に、 後の真言宗開祖・空海と後の天台宗開祖・最澄がいました。 (入唐できなかった遣唐使を合わせると第18次) 奈良仏教から平安仏教の転換期の人物です。 空海は774年、讃岐国(現・香川県)で産まれました。 18歳で京の大学寮に入りますが、翌年その勉学では飽き足らず、山林で修業。 諸説あり20~30歳の間に得度したようです。 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<16>薬子の乱

2013-06-29 12:55:49 | ちょっと歴史入門
794年(延暦13年)、山城国の平安京に遷都します。   時の天皇は第50代桓武天皇。 大和の平城京から、山城国長岡京に遷都しましたが、 様々な変事が起こり、長岡京遷都からわずか10年で、平安京に遷都しました。   806年(延暦25年)、桓武天皇が崩御すると、 第1皇子・安殿親王(あてのみこ)が同日、践祚(せんそ)し、即位。 これ以降、天皇が崩御すると、まず践 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<15>平安京遷都

2013-06-07 21:09:47 | ちょっと歴史入門
772年、井上内親王と他戸親王がその地位を廃され、 翌年に立太子したのが、光仁天皇の第1皇子・山部親王。 第1皇子でありながら、生母の出自が低かったため、皇位継承に程遠い場所にいました。 生母は高野新笠(たかののにいがさ)。 「続日本紀」には、百済から大和朝廷へと送られた人質・武寧王の10世孫とされていますが、 韓国側の史料には武寧王に子がいたのか記録がなく、不明ですが、 一族は新 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<14>天武から天智へ

2013-05-21 20:21:25 | ちょっと歴史入門
764年、孝謙上皇は重祚し、第48代 称徳天皇として即位します。 称徳天皇と道鏡による政権運営が6年間続けられますが、 しかし飢饉や謀叛事件が起きるなど、政情は不安定。 761年に平城宮改修のため、都を近江国保良宮に一時的に移した際、 病をかかった孝謙上皇(称徳天皇)を看病して以来、その寵を受けることとなった道鏡。 仲麻呂亡き後は、太政大臣禅師を設け、その地位につきます。 その後、 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<13>仲麻呂の乱

2013-05-15 22:08:36 | ちょっと歴史入門
729年に起きた長屋王の変は、藤原四兄弟が邪魔な皇親勢力の重鎮・長屋王を排除し、 安宿媛(藤原光明子)を皇后にするために仕組んだことで、 事件後、晴れて臣下の血筋から、初の皇后・光明皇后が誕生しました。   737年、疫病が流行。多くの者が亡くなります。 その中には藤原四兄弟も含まれていました。   不比等の長男 藤原武智麻呂(むちまろ) -  (藤原南 . . . 本文を読む

ちょっと歴史入門<12>長屋王の変

2013-04-26 22:02:23 | ちょっと歴史入門
710年、藤原京から平城京に遷都。 この後、平安京に遷都する794年までを奈良時代といいます。     712年、天武天皇の命で編纂されていた「古事記」が完成、献上され、 翌713年には「風土記」の編纂が命じられます。   715年、元明天皇は老いを理由に退位、太上天皇となり、 娘・氷高皇女が即位します。 第44代・元正天皇です。 結婚経験は無く、 . . . 本文を読む